蛤の草紙 福福亭とん平の意訳

蛤の草紙 天竺摩訶陀国の片隅に、しじらという人がいて、この人は、とてもとても貧しい人でした。父親には若い時に死に別れ、一人の母がいらっしゃいました。その頃天竺はひどい飢饉になって、人が飢えて死ぬことが長く続きました。しじらは母を養うことがで…

猿源氏草紙 福福亭とん平の意訳

猿源氏草紙 少し昔のことでありましょうか、伊勢の国の阿漕が浦に、一人の鰯売りがいました。元は海老名六郎左衛門と言って、関東の侍でありました。妻に死に別れて、一人娘があったのを長年召し使っている猿源氏という男に嫁入らせて、そのまま鰯売りの職を…

落語十二支

はじめに 少し昔のこと、落語について一時間ほど、何か楽しい話をせよ、とのご指名をいただきました。そもそも落語の発生が、戦国時代に出陣した大名は、戦闘のない時には退屈でしかたがありません。そこで、話の上手な者に楽しい話をさせました。この退屈を…

信太妻参考資料 江談抄(阿倍仲麻呂と吉備真備) 福福亭とん平の意訳

信太妻参考資料 吉備入唐の間の事(江談抄 第三の一) 安倍保名の七代前の祖先の阿倍仲麻呂と吉備真備との間のことについて、『吉備大臣入唐絵巻』がありますが、この絵巻は詞書が欠けていて詳しく知ることができません。この話は平安後期の大江匡房(104…

信太妻 5 福福亭とん平の意訳

信太妻 ◎第五 道満法師は、宮中の占術競べに負けて、日々怒り恨む心が増し、家来を呼び寄せて、「これ、お前たち、この度、わしが清明との占術の勝負に負けたことは、あまりに奴をあなどって思い上がり、思いがけない恥を搔いてしまった。もともと、奴らはわ…

信太妻 4 福福亭とん平の意訳

信太妻 ◎第四 さてさて、月日の経つのは早いものです。月日の進みを止めるものもなく、安部の童子は十歳を超えました。もともと並の生まれではないので、八歳の時から本を読んで学問を始め、その天性は一を聞いて十を知り、一度聞いたことは二度と忘れません…

信太妻 3 福福亭とん平の意訳

信太妻 ◎第三 そもそも、人間世界の盛衰について述べれば、盛者必衰(盛んなる者は必ず衰え)、会者定離(会った者は必ず別れるものである)、ということである。安部の保名は、しばらく前に信太の森で父を殺され、その敵を討ち取りましたが、世間の噂にならない…

信太妻 2 福福亭とん平の意訳

信太妻 ◎第二 保名は、思いがけない難儀に遭いましたが、狐の懇切な気持ちで幸いにも危うい命が助かりました。ですが、体のあちこちに傷を受けて気持ちもすぐれず、少し休もうと谷川へと下って行く途中に、土地の者らしい十六、七歳ほどのとても美しくかわい…

信太妻 1 福福亭とん平の意訳

信太妻 ◎第一 そもそも、天地陰陽の道理、吉と凶、禍と福をいかに招くかということは、人の知恵と無知の差にあるのである。この原理を悟れば、天地日月、全世界も、自分の思うままに知り、操れるのである。このことを知らなければ、つい目先のことも判らない…

浮世絵漫歩 28 北斎の絵を七福神と読み解きました

この絵は、画狂人葛飾北斎による摺物で、「踊り図」「踊り行列」などと呼ばれています。これを七福神として読み解きをしてみました。 この絵には、七人の人物が描かれています。七福神として読み解くと、女性が二人で少々変です。実は、江戸時代の七福神では…

浮世絵漫歩 27 豊原国周のこと

森銑三という碩学の著作集の中に、豊原国周についての読売新聞からの記事が転載されています。豊原国周は三代歌川豊国の弟子で、一時押絵の道にも入っていて、後に豊国の弟子として役者絵の第一人者と言って差し支えがない、幕末から明治期に活躍した絵師で…

浮世絵漫歩 26 喜多川歌麿略年譜

喜多川歌麿略年譜1753 この年生まれるか(一説に1754年)。 北川氏、幼名市太郎、俗称勇助、勇記。出生地には江戸、川越、栃木など数説あ り。-- 狩野派から浮世絵に転じた鳥山石燕に入門、北川豊章と名乗る。なお、鳥山石燕 には、栄松斎長喜も入門している…

浮世絵漫歩 25 ゴンクールの歌麿評

エドモン・ド・ゴンクール著『歌麿』(1891年6月刊)抄出 (隠岐由紀子訳、平凡社、2005年12月、[ ] 内は訳者の注) 「深川の雪」について 肉筆画についての章を終わるにあたり、ビング氏の店で見せられた幅3.5メートル、高さ2.4メートルとい…

浮世絵漫歩 24 浮世絵関連事項年表

浮世絵関連事項年表 浮世絵の時代背景については、あまり細かいことまでは頭に置かないで、およその時 代の流れを知れば十分です。 1617(元和3) 葺屋町に官許の遊里、元吉原誕生。 1652(承応元) 若衆歌舞伎禁止。 1657(貞享4) 明暦の大火。 吉原が浅草日本…

浮世絵漫歩23 名所江戸百景2

名所江戸百景から 日に三つ「日に三つ散る山吹は江戸の華」と言われます。この三つは千両箱のことで、江戸には日に千両の金が動く場所が三つあったと言うことです。その三つの場所は、魚河岸と芝居町の猿若町と吉原遊廓です。その風景を「名所江戸百景」から…

浮世絵漫歩 22 名所江戸百景1

名所江戸百景 二代広重の絵 「名所江戸百景」は安政3年(1856)から初代歌川広重によって描かれた118枚の連作です。安政5年(1858)に初代が亡くなった後、安政6年(1859)に二代広重の襲名披露を兼ねたかといわれる「赤坂桐畑雨中夕けい」が追加され、さら…

浮世絵漫歩 21 保永堂竹内孫八の仕事

先に保永堂竹内孫八について書きましたが、保永堂版と呼ばれる東海道五十三次を一覧表にしてみました。 東海道五十三次 全55枚 初版版元表示 保永堂(43)・仙鶴堂(1)・連名(11) 後版ができて 保永堂(47)・仙鶴堂(1)・連名(8) 宿場名と副題 …

浮世絵漫歩 20 歌川国芳の金魚づくし

歌川国芳 金魚づくし 歌川国芳の「金魚づくし」は、天保13年(1842)頃に出版されました。歌川国芳が朝桜楼と一勇斎の号を併用し、豊年印を使っている45歳の頃です。天保15年4月以降、国芳は三代豊国を継いだ初代国貞の一門になるのは嫌だとばかり…

浮世絵漫歩 19 歌川国芳の洒落 猫飼好五十三疋  

9歌川国芳「其まゝ地口 猫飼好五十三疋」の読み解き 作品名は、「そのままじぐち みょうかいこうごじゅうさんびき」です。ずばり言葉の洒落、猫大好きな江戸っ子の歌川国芳が描いた、東海道五十三次の宿場名を猫にまつわる絵にした洒落です。 なお、「地口」…

浮世絵漫歩 18 保永堂竹内孫八

保永堂竹内孫八と保永堂版「東海道五十三次」 竹内孫八は天明元年(1781)生まれ、嘉永7年(1854)7月21日に、74歳で没します。井上和雄の『浮世絵師伝』(昭和6年刊)には、「眉山(びざん)」という項を立てて、以下の通り述べられています。「竹内氏、俗…

浮世絵漫歩 17 葛飾北斎の百物語

葛飾北斎筆 百物語 この連作の題の「百物語」とは、「怪談会の一形式。夜、数人が集まって、行灯に百本の灯心を入れて怪談を語り合い、一話終わるごとに一灯を消し、語り終わって真っ暗になった時に妖怪が現れるとされた遊び。」(広辞苑)です。 この北斎の…

浮世絵漫歩 16 喜多川歌麿のビードロを吹く女(娘)

喜多川歌麿画 「ビードロを吹く女(娘)」(婦人人相十品 相観) 未婚の若い女性の輝きを、白キラの背景で表しました。キラとは、鉱物の雲母で、キラキラするところからに通称です。キラを画面に載せるには、細かい粉末にした雲母を膠と混ぜ、人物像の上にその…

浮世絵漫歩 15 復刻

私説 ふっこく 覆刻・復刻・複刻 浮世絵の復刻について、どういう意味かと問われるので、「ふっこく」全般について思うところを書きました。 辞典で「ふっこく」という語を引くと、覆刻・復刻・複刻と漢字が当てられています。50年ほど前までは「複刻」は…

浮世絵漫歩 14 歌川広重による画中の書き入れ

画中に彫師と摺師の名があった 歌川広重の保永堂版「東海道五十三次之内」の御油(ごゆ)の宿、宿屋の札にご注目下さい。一番右の札は東海道の「五十三」か御油の宿の順番「三十五」か、半分しか見えていないので省略して、あとは右から「東海道続画」「彫工 …

浮世絵漫歩 13 主要浮世絵師生没年

主要浮世絵師生没年 2020年7月から9月に東京都美術館で開催される三大コレクション展の出品目録を土台にして絵師を選んで一覧にしました。ついでに近年展覧会の多い明治期の絵師を少し付け加えました。肉筆の絵師が少ないですが、これくらい知っていれば、…

浮世絵漫歩 12 極印・改印の変遷

浮世絵の自主検閲印 浮世絵の画面中には、いろいろな情報が掲載されています。 作品名・絵師・版元の名はすぐに目に付きます。また、時代によって彫師・摺師の名が載っています。これらの他に、丸に極や改という字や年号・干支、苗字が入っている印がありま…

浮世絵漫歩 11 絵師の号2ー広重 

浮世絵師の号について 2「歌川広重」の場合 まず、いきさつを年譜形式で示します。 1858 初世歌川広重没。 1859 師の広重に特に目を掛けられていた歌川重宣が、14歳年下の広重の養女お辰 に入夫し、二世広重を名乗る。 1865 二世広重、広重号を返上し、婚家…

浮世絵漫歩 10 絵師の号1ー豊国

浮世絵師の号について 1 葛飾北斎は生涯に30以上の号を使っています。改号の理由の一説として、弟子に号を売り渡して収入に充てたといいます。この話は、浮世絵の価値を、絵自体の巧拙ではなく、号という看板だけで判断する買い手がいたということを示し…

浮世絵漫歩 9 歌川国芳の道外十二支6

番人の戌 題に十二支の戌を入れたために「番犬」とはできなかったのでしょう。蜀山人(しょくさんじん)大田南畝(おおたなんぽ・1749-1823)の狂歌「飼ふ人の恩を魚の骨にまで良く噛み分けて家守る犬」そのままの絵です。大きな鋸を持つのは、家や蔵の裏側を破…

浮世絵漫歩 8 歌川国芳の道外十二支5

申のもゝとり猿が桃を運んでいる小僧を襲撃し、荷物を強奪していきます。猿蟹合戦でも申が柿の実を奪います。『西遊記』中の、孫悟空が天界に昇って、神女の西王母のもとにある三千年に一度実る不老不死の桃を奪って大暴れをする場面を思わせます。この桃は…