信太妻 1 福福亭とん平の意訳

信太妻 ◎第一 
 そもそも、天地陰陽の道理、吉と凶、禍と福をいかに招くかということは、人の知恵と無知の差にあるのである。この原理を悟れば、天地日月、全世界も、自分の思うままに知り、操れるのである。このことを知らなければ、つい目先のことも判らないのである。
 昔、天文地理の動向から将来を判断する妙術を体得して、神に通じた人と呼ばれた安部の晴明の生い立ちを詳しく調べると、第六十二代村上天皇の御代に、五畿内の摂州に安部の郡司保明という武士がおいででした。この方の系譜を調べると、安部の仲丸から七代目にあたります。その血縁で安部の姓を名乗っています。四天王寺住吉大社との間に一つの土地を拓いて、代々ここにお住みになっています。それで、この土地を安部野の里と名付けたのです。
 さて、この保明は、一人のお子さんをお持ちでした。その名を安部の権太左衛門保名と申し上げて、年は二十三、心根は優しく、姿形はとても美しい青年でした。何か事があって怒りを表す時には怪力を出す、とても強い勇者でした。そのような安部の家の大切な宝として、阿倍仲麻呂公から代々伝わった天文道の巻物がありますが、保名は武芸の道にばかり心を入れ、この巻物の内容を学び究めることがありません。この家を取り仕切りる役には三谷の前司はやつぐがいて、そのほかに家来達が毎日出仕しています。ある日、保名は、父保明に向かって、「私は、心の内に願いがございまして、そのため、和泉の信太の明神へ毎月参詣しております。今月はまだ参詣しておりませんので、今日参詣に参りとうございます」と申し上げました。保明様はお聞きになって、「願いの筋ならば、決して怠ってはならないぞ。さあ、早く参れ」との仰せです。保名は「ありがとうございます」と返事を申し上げました。親子の仲はまことに親しく、うらやましく見えました。
 お話変わって、安部の家の物語はひとまずおいて、その頃、河内に石川悪右衛門つねひらという者がいました。この者は、現在日本第一の占いの名人として天下に名高い、芦屋の道満法師の弟です。生まれは播磨の印南の者でしたが、兄の道満が朝廷に仕えて、領地を数か所拝領しました。その威勢に与って、弟の悪右衛門も河内の守護になり、石川の郡に居住して豪勢に暮らし、何事も思い通りになっていました。しかしながら、人の思う通りにならないのが病気で、悪右衛門の妻が、ふとした風邪の様子から重病となって寝込んでしまいました。一家の者をはじめ家来に至るまで、あちこちの医師を求め、あれこれと治療を尽くしましたが、一向に快復の兆しがありません。悪右衛門が言うことには、「ちょっとした軽い病気だと思ったのが、熱が下がらず、病状はかなり重い。都においでの兄上道満法師をお願いして病気の様子を占って貰い、その占いの結果によって、妻の病気が生霊や死霊のしわざであるかを尋ねてみようと思って、道満兄の所へ人をやったところ、すぐにおいでくださるとのご返事が来た」と話しているところへ、取次の侍が「都からお兄上の道満様のおいででございます」と悪右衛門に申し上げました。悪右衛門は喜んで、「やあやあ、こちらへお呼び申せ」とすぐに出迎え、「これは早々とお出でくださり、まことにありがとうございます」と、早速、奥へと案内しました。道満が「すぐに飛んで来ようと思ったけれども、天皇様からのお仕事が多く、思いも掛けず遅くなってしまった。それで、病人の様子はどうだ」と仰います。悪右衛門は、「それが、ほんのちょっとした病だと思ったのに、熱が高くなって苦しんで、耐えられない様子です」と、発病以来の様子を伝えます。道満はお聞きになって、「それで、その病気がおこったのは、何月何日何の時であったのだ」とお尋ねになります。悪右衛門は、「先月の十日の夜、夜中の子の刻ころと覚えています」と答えます。道満はうなずかれて、「さあさあ、占ってみよう」と、先祖の芦屋宿禰きよふとが中国の法道仙人に会って天文地理、易法、暦の読み方を学んで書き記して、子孫に伝えた一書を取り出して、しばらく調べて、「これ、つねひら、この病気は、生霊死霊の仕業ではなく、本人の身の内から発したものであるが、めったにない<ぎゃくきょうちゅう>という病気である。世間の並の医者が知らない発病原因だ。この病気を治すには、若い雌狐の生き肝を取って、時をおかずに病人に与えればすぐに病気は全快するであろう。この療法は、法道仙人からの伝書にそのまま確かに記されている。少しでも早く手配せよ」と言い渡されます。そのところへ都からお使いがやってきて、「道満法師殿、急いで都へお戻りください。中国からそうこくという役人が渡ってきて、貢ぎ物をあれこれ献上しているので、その品の吉凶を占えとの天皇様の命が下りました」と、急いで伝えました。道満は、「そのような天皇様の命ならば、すぐに都へ戻りましょう。これ、つねひらよ、先程言った通りにきちんと行えば、近いうちに治るであろう。全快の祝いにやってこよう」と、すぐさま都へとお帰りになりした。そこで、悪右衛門は、「やあ、この上は、少しでも早く生き肝を調達しよう。幸いなことに、和泉の信太の森には狐がたくさんいると聞いている。私自身で出かけて狐狩りをしよう。留守の間、病人の面倒をよく見るように」と言って、狐を狩り出す勢子役の家来を、身分の上下合わせて数百人を引き連れて、信太の森へと急ぎました。
 さてさて、安倍保名は、数人の供を連れて信太の明神にやって来て、神前で「所願成就、武運長久」と祈り、拝殿に幔幕を引き回させて、酒宴を催して一同が楽しく時を過ごしました。この拝殿には多くの歌人の肖像とその歌の額が掛けられていました。保名がご覧になると、まず一番先にあるのは柿本人丸の像で、歌は「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ(ほのかに明けて行く明石の浦の朝霧の中に、島陰に隠れて行く舟を思うよ)」とあります。この歌は、神道の根本であり、仏の悟りの優れた言葉で、人間の生死のありさまを浦を漕ぎ行く舟に喩えて、深遠な意味を詠まれているのです。さてその次には(山辺)赤人、(在原)業平、(小野)小町の歌があり、結びは中務の額で、その歌は「うぐひすの声なかりせば雪消えぬ山里いかで春を知らまし(鶯の鳴く声がなければ、春になっても雪が消えない山里は、どうして春の到来を知ることができようか)」です。なるほど、心ない鳥類であっても、花に鶯も鳴き、水の中に住む蛙も声を出し、みな歌を詠むのであるなあ、神も仏も我らの思いをお聞き届けくださるのは歌の道であるよと、保名がしばらくしみじみとした思いに耽っているところへ、あの悪右衛門の狐狩りの勢子たちが信太の森に駆け入って、大声でわめき叫んで狐を追い出しています。その時、西の山の方から狩り出された雌雄の狐が、子を連れて全力で走り抜けようとしました。二匹の親狐は逃げのびましたが、後から続いた子狐が疲れ果てて走れなくなり、保名が拝殿に巡らせた幔幕の中へと逃げ込みました。保名は、もともと慈悲深い性質ですから、これを見て、「さても可哀想だ。口のきけない獣であっても、なんとかして助けてくれと言わんばかりの姿だ。気の毒だ、その子狐を助けよ」と言っているところへ、悪右衛門の勢子たちがやって来て、「たしかにこの幕の内に狐が入り込んだのだ。狐をお出しなさい」と口々に言いました。保名は勢子たちの言葉を聞いて、「皆々、おとなしく下手に出て、穏便に応対しなさい」と命じました。保名の家来が丁寧に幔幕の外へ出て、「いえいえ、狐はこちらには来ておりませんのです。ほかをお探し下さいませ」と、素知らぬ顔で返事をしました。
 勢子は怒って、「確かに狐を見つけて追い掛けてきたのだ。さっさとお出しなされ。出さないならこのまま押し入って、無理にでも捕まえよう」と怒ります。保名の家来はこれを聞いて、「それでは、狐が入ったのをご覧になったのか。それでは仕方がない。確かに。仰る通り狐はここにいます。お渡しせねばとは思いますが、こちらを頼りにして逃げ込んできたものを、たとえ動物だからと言って簡単にそちらに渡しては可哀想です。私どもはこの明神に願いの筋があって参詣しています。そのような立場の者がそちらに狐を渡して神社の境内を穢すのは恐れ多いことです。この狐はこちらに貰い受けましょう。なにとぞお許しくださって、この場は見逃してください」と、とても静かに応対しました。勢子は保名の家来が穏やかに話すので、図に乗って勢い込んで、「やあ、馬鹿馬鹿しい言い草だな。さっさと狐を出さなければ中へ押し入るぞ」と幔幕の中に入ろうとします。保名の家来は、「乱暴者だ」と押し止めているうちに、勢子は問答無用とばかり、抜き打ちにはっしと切りつけました。保名の家来はすぐさまその刀を受け止め、真っ向から二つに切り捨てました。他の勢子どもを一度にぱっと追い散らして、そこで保名は逃げ込んだ狐の子を取り出して、「お前の親たちが嘆いているだろう、それ、お逃げ」とお放しになりました。狐の子は振り返り、嬉しそうな様子をして、どこへ行ったのか、姿が見えなくなりました。
 狐の子を放したそのところへ、悪右衛門が大勢の勢子を引き連れて幔幕の近くへ寄って来て、大声で、「いったいどこのどいつだ、こちらで使うために捕まえる狐を我らを馬鹿にして無法に奪い取るだけでなく、我が家来をさんざんに打ち打擲して、乱暴な振る舞いをする奴らめ、一人残さず退治する。俺は石川の悪右衛門つねひらという者である。さっさと幕の内から出て来い。命が惜しければ狐を差し出して降参しろ」と怒って声を上げます。これに対して、保名は若さゆえにすぐに気持ちをあらわにして、「なにぃ、石川の悪右衛門だと、我は摂州安部の土地の郡司である保明の子、権太左衛門保名という者である。そのほうの家来どもがが、我らが張り巡らした幕の前で無礼な振る舞いをしたけれども、礼儀を知らない身分の低い者と思って、わざと下手に出ればつけあがり、刀を抜いて幕の内へと斬り込んだので追い払ったのだ。身分低い家来のしたことで主人は知らないのだろうと思っていたのに、悪意ある無礼で恥知らずな乱暴者に命じて、わざと問題を起こさせようという騒動好みの者と知れた。お前のような人の道に外れた者は、相手にするのもいまいましいとは思うが、そのように言いつのるのなら致し方ない、さあ来い」と言って太刀を抜いて悪右衛門へと斬りかかります。悪右衛門の家来どもが保名一行に向かって斬り合いになり、ここが一歩も引けぬ大事の場として斬り合います。ですが、悪右衛門側の家来は大勢なのに対して、保名側は少ない人数の不利な状況でしたから、保名の家来のうち、ある者は斬り殺され、または手傷を負い、全員無事ではありませんでした。主の保名も手傷を負いながら相手を遠ざけて一息ついているところに、悪右衛門の家来のさわなみ清六が、保名に息もつかせず斬りかかってきました。斬り合う刀は上段下段、二人は近づいたり体を入れ替えたりして斬り合っていました。保名がそこに転がっていた倒木につまずいて、がばと転んだところに、清六がはっしと刀を振り下ろします。保名はその刀をしっかり受け止めて、倒れながら刀を横に振りました。両膝が切られて清六が仰向けに倒れたところを、保名は立ち上がって清六の首を打ちます。その場へ悪右衛門の家来が駆けつけて、勢いよく保名に抱きつきます。「なんのこれしき」と言って、「えい」と組み付いた男を前へ転がします。また家来三人が保名に抱きつきます。これも取って組み敷こうと組み合うところに、悪右衛門の家来が大勢上から被さり、手足を押さえて、すぐさま縄を掛けました。保名は自らの不甲斐なさに、「ああ、残念だ。さすがの私でも、このように罪人扱いになってしまうことは、天から見放されたのだ。ああ、父上がどうお思いになるか、口惜しいことよ」と歯ぎしりをして怒りました。悪右衛門は保名のこの言葉を聞いて、「ふふ、先程の大口とは違って、易々と捕まったものだな。面を見るとますます腹が立ってくる。それ、首を刎ねてしまえ」と命じます。家来がその命令を承って、保名の首を斬ろうとを片隅へと移らせたちょうどその時に、河内の国の藤井寺の住持のらいばん和尚が、供の僧を大勢連れておいでになりました。河内の国の住人悪右衛門は、この寺の檀那(寺に属して布施を行う家)でありますので、「これはこれは、思いがけないところへのお出ででございますね」と申し上げます。 和尚は悪右衛門の言葉を受け、「私めは近頃、用事があって都へ上って、数日前に戻って来たもので、貴殿の奥方のご病気を存じ上げず、今日貴殿のお宅へ立ち寄りましたが、奥方のご病状は伺っていたよりもはるかにお元気と拝見いたしました。あなた様のご動向をお尋ねしたところ、ご用事がおありでこの信太の森へおいでになったと伺い、折良く信太の明神へのお参りのついでながら、貴殿にお目に掛かるために参りました。さて、そこに囚われている罪人は、どのようなことで処刑なさるのですか」と仰います。悪右衛門は、「はい、ご親切にご心配下さり、拙宅までおいでくださり、ありがとうございます。さて、この男を捕らえた次第は、これこれの悪事をいたしましたので、捕まえて命を取るところでございます」と、事の始終を語りました。らいばん和尚はこれをお聞きになり、「なるほど、それはその通りでございましょう。ですが、私めがこの場に出会って、ころされようろする者を見捨てて通ることはできませぬ。たまたまこの場に来たのも、仏神のお力によるお守りの力でありましょう。どんなに大きな罪があるとして、寺と檀那との縁によってご承知しにくいところでしょうが、この罪人を私めにお引き渡しください」と仰せになります。悪右衛門はこの言葉を聞き、「和尚様の仰ることには従うべきですが、こいつめはとても重い罪を犯した悪者で、ずたずたに切り刻んでも気が済まないほどの奴ですので、おわたしすることばかりは、どうかお許しください」と、きちんと理由を細かに申し上げました。らいばん和尚はこの言葉をお聞きになって、「仰せはとてもごもっともですが、出家である身にとっては、仮に鳥や獣であっても、その身に代えても命を救うのが我らの生き方であります。この者をこちらに引き渡しいただいた場合は、決してそのままに解き放つことはいたしません。この場にてすぐさま衣を着せて出家させ、私めの弟子にいたしましょう。何とぞ、何とぞ、お許し下され」と仰います。この言葉に悪右衛門は、もはや断ることができず、「和尚様がそのように仰せになるのを、どうして駄目と申し上げられるでしょうか。これ、その罪人を和尚様へお渡しせよ」と命じまして、和尚を敬って保名を引き渡しました。
 悪右衛門は、「さて、私は、まだ用事もあり、これからすぐに行かなければいけない所もありますので、これでお別れいたします」と挨拶をすると、和尚も同じように、「こちらから、後ほど改めてお礼の遣いの僧をつかわしましょう」と仰って、互いに別れの言葉を交わして別れました。この後、和尚は保名が縛られていた縄をほどき、「実は、我々はまことの人間ではございません。あなた様が思いがけない危難にお遭いになったのも、すべて我々のせいですから、なんとかしてお救い申し上げようと、姿を変えて悪右衛門を騙しました。先程の命を救ってくださった恩義を、いつお返し申し上げるのが良いのかと存じておりましたが、ちょうど良い時期が参りました」と話すかと思うと、一行は姿を変えて狐となり、どこへとも知れず姿を消してしまいました。保名はこの様子に呆然として、しばらくその場に動けないままでいました。「ああ、心ないと言われる獣であっても、情けの道を忘れず、命を助けてもらった恩義に報いたことは、まことに人間にも優ったことだなあ」として、感心しない者はございませんでした。