2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

浮世絵漫歩 11 絵師の号2ー広重 

浮世絵師の号について 2「歌川広重」の場合 まず、いきさつを年譜形式で示します。 1858 初世歌川広重没。 1859 師の広重に特に目を掛けられていた歌川重宣が、14歳年下の広重の養女お辰 に入夫し、二世広重を名乗る。 1865 二世広重、広重号を返上し、婚家…

浮世絵漫歩 10 絵師の号1ー豊国

浮世絵師の号について 1 葛飾北斎は生涯に30以上の号を使っています。改号の理由の一説として、弟子に号を売り渡して収入に充てたといいます。この話は、浮世絵の価値を、絵自体の巧拙ではなく、号という看板だけで判断する買い手がいたということを示し…

浮世絵漫歩 9 歌川国芳の道外十二支6

番人の戌 題に十二支の戌を入れたために「番犬」とはできなかったのでしょう。蜀山人(しょくさんじん)大田南畝(おおたなんぽ・1749-1823)の狂歌「飼ふ人の恩を魚の骨にまで良く噛み分けて家守る犬」そのままの絵です。大きな鋸を持つのは、家や蔵の裏側を破…

浮世絵漫歩 8 歌川国芳の道外十二支5

申のもゝとり猿が桃を運んでいる小僧を襲撃し、荷物を強奪していきます。猿蟹合戦でも申が柿の実を奪います。『西遊記』中の、孫悟空が天界に昇って、神女の西王母のもとにある三千年に一度実る不老不死の桃を奪って大暴れをする場面を思わせます。この桃は…

浮世絵漫歩 7 歌川国芳の道外十二支4

左、たいこうち 午 祭屋台の囃子の稽古か相談か、一杯やりながらの場面です。太鼓は馬の皮を張りますから馬の腹には太鼓の巴紋、狸は腹鼓から鼓の担当、狐は初午の鳴り物から、ちゃんぎり、よすけとも言われる当り鉦を担当して楽しくやっています。浴衣の柄…

浮世絵漫歩 6 歌川国芳の道外十二支3

右、冨士こしの辰 古来画題になっている「富士越しの龍」です。北斎の絶筆も「富士越の龍」でした。国芳は北斎の絶筆を見たでしょうか。富士登山・浅間信仰が大変に流行し、富士講・浅間講という仲間が作られ、江戸の各地に小型の富士山に祀られ、団体で参詣…

浮世絵漫歩 5 歌川国芳の道外十二支2

右、蛇の目ずしの寅 虎仲間が、ちょいと寿司でもつまもうかと来ましたが、屋号は蛇の目、これは朝鮮出兵の時に虎退治で名を上げた加藤清正の紋所で、虎にとっては怖い存在、みんなびっくり、逃げるしかありません。虎は蛇の目傘も嫌ったのでしょう。雨に遭っ…

浮世絵漫歩 4 歌川国芳の道外十二支1

歌川国芳 道外十二支(どうけじゅうにし) 歌川国芳は寛政9年(1797)生まれ、文久元年(1861)没です。浮世絵好きの方でもあまり意識しませんが、初代歌川広重と同年の生まれです。 国芳は日本橋の染物屋の家に生まれ、初代歌川豊国に弟子入りして、国芳を名乗り…

浮世絵漫歩 3 彫師競演 

彫の極致 三代歌川豊国(天明6年<1786>ー元治元年<1864>、天保14年<1844>初代国貞から三代豊国を襲名)の「役者見立東海道五十三次」(嘉永5年<1852>以降成立)の京、右が「真柴久吉」、左が「志川五右衛門」で、歌舞伎『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』の…

浮世絵漫歩 2 序文2

富士三十六景 序文 歌川広重没後に出版された富士三十六景の序文を紹介します。この文から、富士三十六景が広重没後に出版されたことが判ります。色の指定は、二代広重によるかと言われています。 上段の文は原文のままの改行です。初代広重翁(しよだいひろ…

浮世絵漫歩 1 序文1

保永堂版 東海道五十三次之内の序文 浮世絵を続き絵として刊行して完結後、組にして販売する時に目録と序文を付けることがあります。個々の絵を見ることはあっても、なかなか序文には出会えませんので、ここに、保永堂版東海道五十三次の序文をご紹介します…

落語のひととせ 咄の索引

咄の索引 咄の作品名・「落語のひととせ」の通し番号と部。 あ青菜 5 夏の部2赤貝丁稚 9 秋の部2赤貝猫 9 秋の部2[秋風] 10 秋の部3明烏 2 春の部2朝顔 5 夏の部2麻のれん 6 夏の部3愛宕山 3 春の部3あたま山 3 春の部3甘酒屋 5 夏の部…

落語のひととせ 総目次

総目次 通し番号・部と通し番号・標題・咄題([ ]内は仮題) 1 口上 1 春の部1 元日 かつぎや 初夢 かつぎや 七草 七草 藪入り 藪入り 2 春の部2 初天神 初天神 初午 鹿政談のマクラ、明烏 梅見 やかんなめ 雛祭り 道具屋、雛鍔 彼岸 天王寺参り、菜刀…

落語のひととせ 14 冬の部4

餅搗き (尻餅、狂歌家主) 正月が目前となり、餅搗きをする時期になりました。二十九日に搗く餅は、九が苦につながるところから、「苦餅」と言われて嫌がられました。餅を搗くときには職人を頼み、ご祝儀を出しますから、餅搗きも縁起の行事と言えそうです…

落語のひととせ 13 冬の部3

富札 その1 (富久、火事息子) 富札は昔、寺社が修復の資金集めのために許しを受けて売り出したものです。一枚が一分で、最高賞金の一番富が千両ですから、四千倍になるということになります。富札は、売った者が誰に売ったかをきちんと控えておきます。売…

落語のひととせ 12 冬の部2

鍋物 その2 (ねぎまの殿様、居酒屋、ずっこけ) ねぎま (ねぎまの殿様) 現代の居酒屋で「ねぎま」というと「葱間」で、葱と鶏肉が交互に串に刺された焼鳥が出てくるでしょう。江戸では、葱と鮪を煮た「葱鮪」鍋のことです。ついでに、魚について、「中落…

落語のひととせ 11 冬の部1

うどん (うどんや、替り目) 江戸っ子は蕎麦を好み、表立っては饂飩を食べない振りをしました。饂飩は温まりますから、冬の夜にはうってつけなのですが、「饂飩は風を引いたときに口にするものだ」というのが、やせ我慢の江戸っ子の弁です。とすると、「お…

落語のひととせ 10 秋の部3

蕎麦 その1 (蕎麦の殿様、よいよい蕎麦) 秋は新蕎麦の季節です。 これは赤井御門守様の咄だと伝えられます。ある日、お出かけ先で蕎麦を打って振る舞われた殿様、その蕎麦の味もさることながら、蕎麦打ちの手順にすっかり感心してしまいました。早速、余…

落語のひととせ 9 秋の部2

薩摩芋 その1 (位牌屋、味噌蔵) 薩摩芋は、琉球から薩摩に伝わり、甘藷先生と呼ばれる青木昆陽が救荒用の食物として全国に広めたものです。当初は琉球芋とも呼ばれました。 赤螺屋(あかにしや)という商家は、屋号の示す通りとてもけちで、味噌汁に実を入…

落語のひととせ 8 秋の部1

名月 その1 (近江屋丁稚、柳田格之進) 秋の部を名月から始めましょう。 中秋の名月は八月十五夜です。中秋とは、江戸時代、七、八、九月が秋とされ、八月はその真ん中だから中秋という意味です。「月月に月みる月はおほけれど月みる月はこの月の月」とい…

落語のひととせ 7 夏の部4

大山参り (大山参り<百人坊主>) 江戸で山に出掛けるのは、行楽ではなく、もっぱら信仰としてでした。特に人気があったのは、相模の大山でした。当時の人は「お山をする」と言っていました。このお山参りには、まず、両国の垢離場で身を浄めて出発します。…