2020-06-28から1日間の記事一覧

浮世絵漫歩 11 絵師の号2ー広重 

浮世絵師の号について 2「歌川広重」の場合 まず、いきさつを年譜形式で示します。 1858 初世歌川広重没。 1859 師の広重に特に目を掛けられていた歌川重宣が、14歳年下の広重の養女お辰 に入夫し、二世広重を名乗る。 1865 二世広重、広重号を返上し、婚家…

浮世絵漫歩 10 絵師の号1ー豊国

浮世絵師の号について 1 葛飾北斎は生涯に30以上の号を使っています。改号の理由の一説として、弟子に号を売り渡して収入に充てたといいます。この話は、浮世絵の価値を、絵自体の巧拙ではなく、号という看板だけで判断する買い手がいたということを示し…

浮世絵漫歩 9 歌川国芳の道外十二支6

番人の戌 題に十二支の戌を入れたために「番犬」とはできなかったのでしょう。蜀山人(しょくさんじん)大田南畝(おおたなんぽ・1749-1823)の狂歌「飼ふ人の恩を魚の骨にまで良く噛み分けて家守る犬」そのままの絵です。大きな鋸を持つのは、家や蔵の裏側を破…

浮世絵漫歩 8 歌川国芳の道外十二支5

申のもゝとり猿が桃を運んでいる小僧を襲撃し、荷物を強奪していきます。猿蟹合戦でも申が柿の実を奪います。『西遊記』中の、孫悟空が天界に昇って、神女の西王母のもとにある三千年に一度実る不老不死の桃を奪って大暴れをする場面を思わせます。この桃は…

浮世絵漫歩 7 歌川国芳の道外十二支4

左、たいこうち 午 祭屋台の囃子の稽古か相談か、一杯やりながらの場面です。太鼓は馬の皮を張りますから馬の腹には太鼓の巴紋、狸は腹鼓から鼓の担当、狐は初午の鳴り物から、ちゃんぎり、よすけとも言われる当り鉦を担当して楽しくやっています。浴衣の柄…

浮世絵漫歩 6 歌川国芳の道外十二支3

右、冨士こしの辰 古来画題になっている「富士越しの龍」です。北斎の絶筆も「富士越の龍」でした。国芳は北斎の絶筆を見たでしょうか。富士登山・浅間信仰が大変に流行し、富士講・浅間講という仲間が作られ、江戸の各地に小型の富士山に祀られ、団体で参詣…

浮世絵漫歩 5 歌川国芳の道外十二支2

右、蛇の目ずしの寅 虎仲間が、ちょいと寿司でもつまもうかと来ましたが、屋号は蛇の目、これは朝鮮出兵の時に虎退治で名を上げた加藤清正の紋所で、虎にとっては怖い存在、みんなびっくり、逃げるしかありません。虎は蛇の目傘も嫌ったのでしょう。雨に遭っ…

浮世絵漫歩 4 歌川国芳の道外十二支1

歌川国芳 道外十二支(どうけじゅうにし) 歌川国芳は寛政9年(1797)生まれ、文久元年(1861)没です。浮世絵好きの方でもあまり意識しませんが、初代歌川広重と同年の生まれです。 国芳は日本橋の染物屋の家に生まれ、初代歌川豊国に弟子入りして、国芳を名乗り…