相生の松 福福亭とん平の意訳

相生の松 さて、昔から今日に至るまでのおめでたい例として言われることは多いですが、その中で、鶴の雛が巣立つ姿は千年の寿命を見せています。また、池の岸近くに亀が浮かび出るのは、万年の寿命の姿を見せるということです。それにも増して、格別にめでた…

古浄瑠璃すみだ川 後編(四段~六段) 福福亭とん平の意訳

すみだ川 後編(四段~六段) 四段目 梅若様が亡くなられ、土地の人々は梅若埋め若様の御遺言に従って、道の端に塚を築き上げ、墓の標として柳を植え、大勢の人が集まって念仏を唱えて、懇ろに梅若様の菩提を弔いました。今でも三月十五日には多くの人が参詣…

古浄瑠璃すみだ川 前編(初段~三段) 福福亭とん平の意訳

すみだ川 前編(初段~三段)初段 その時をいつかと考えますと、本朝第七十三代の堀河天皇の時代と伺っております。都の北白川に吉田の少将是定様という位の高いお方がいらっしゃいました。是定様は身分が高いことを誇ることはせず、心には五戒を保って、振…

さざれ石 福福亭とん平の意訳

さざれ石 さて、我が国の人間天皇の始めの神武天皇から十三代に当たる天皇様を、成務天皇と申し上げます。この天皇様の御世は、この上ないすばらしいものでいらっしゃいます。天皇様は年が若くいらっしゃる時は、左右の大臣が代わりに政務をお執りになりまし…

金剛女の草子 付、金剛醜女の語 福福亭とん平の意訳

金剛女の草子 昔、中天竺の大王の名を臨汰大王と申し上げます。この王には一人の姫がおいでになります。その名を金剛女と申し上げます。この姫の美しくいらっしゃることは、まるで、晴れた空にひとひらの雲が浮かんでいる中から、十五夜の満月が顔を出したよ…

藤袋の草子 福福亭とん平の意訳

藤袋の草子 《始めに》この物語は登場人物の名前がありません。どこにでもいるような夫婦一家と娘の物語です。判りやすいように、翁(おきな・おおじ)を喜六(四十代)、姥をお松(同年代)、娘をおもよと名付けて民話風に意訳します。 昔のことです。近江の国の…

熊野の本地 後編 福福亭とん平の意訳

熊野の本地 後編 その後、月日は次々と過ぎゆき、女御の遺骸は雨、露、雪、霜が当たって朽ちてきて、ついに白骨となってしまいました。ですが、女御の左の乳房だけは生前と色も変わらずに乳を出して、王子に飲ませ続けました。こうして王子が成長して、昼間…

熊野の本地 前編 福福亭とん平の意訳

熊野の本地 前編 さて、人間界である南閻浮提の大日本の都から南の紀伊国に大神がいらっしゃいまして、熊野の権現と申し上げます。とても霊験あらたかでいらっしゃり、御恵みは我が国の外までもご利益を施して、生きとし生けるものの願いを叶えてくださるこ…

うたたねの草子 福福亭とん平の意訳

うたたねの草子 うたた寝に恋しき人をみてしより夢てふ者はたのみそめてき (うたた寝に恋しい人に夢で会ってから、夢というものを頼りにするようになりました) このように平安時代の歌人の小野小町が詠んだのはたいしたことのない心の動きの様子で、その歌…

まつら長者 後編(四段目~六段目) 福福亭とん平の意訳

まつら長者 後編 (四段目~六段目) 四段目 気の毒なさよ姫は涙ながらに足を速めますと、間も無く、先をどちらと問うという言葉に通じる遠江の浜名湖、そこの今切から入ってくる潮の流れに棹をささなくても上る漁師の小舟のように、舟を漕ぐに縁ある言葉の…

まつら長者 前編(初段~三段目) 福福亭とん平の意訳

まつら長者 前編 (初段~三段目) 初 段 今から語ります神仏の現世での物語は、国で言えば近江の国、竹生島の弁才天のもともとの物語を詳しくお話しします。この弁才天は、かつては普通の人間でいらっしゃいました。 国の名は大和の国の壺坂という所に、松…

木幡狐(こはたきつね) 福福亭とん平の意訳

木幡狐 全 少し昔のことでありましょうか、山城国木幡の里に、年を重ねて長生きをしている狐がいました。稲荷の明神のお使いを務めていることで、あらゆることが思いのままで、とりわけ子どもは、男子も女子も多くいました。どの子も知恵が働き、学問、芸能…

七草草子 福福亭とん平の意訳

七草草子 全 さて、世の中で、天子様の御志ほど有り難いことはございません。と申しますのは、まず第一に、陽気の盛んになる春の始めには、国の全体から国の民の一人一人に至るまで不自由がなく、一年中天災も人災も無く平穏無事であるようにと、天子様おん…

瓜姫物語 福福亭とん平の意訳

瓜姫物語 全 古代の神代から人の歴史が始まって、どれほど経ったともわかりません。大和の国石上というところに、おじいさんとおばあさんがいました。二人は、後々の世までも添い遂げようと深く契って、長い年月を過ごして来ましたが、一人の子もいませんで…

かざしの姫君 福福亭とん平の意訳

かざしの姫君 全 昔、五条の辺りに、源の中納言様と申し上げて、とても上品な方がいらっしゃいました。その奥様は、大臣様のお嬢様でございました。お二人の間には、姫君がお一方いらっしゃいました。お名前を「かざしの姫君」と申し上げます。そのお姿を拝…

壺の碑 参考資料 徳道聖人、始めて長谷寺を建てる語(今昔物語集より)

徳道聖人、始めて長谷寺を建てる語 今昔物語集巻第十一の第三十一 壺の碑が祟りをなすという話から、漂着した霊木が、人々に働きかけた話を一つ。 昔のことです。洪水があった時に、近江の国の高島の郡に大きな木が漂着しました。土地の人がその木の端を切り…

壺の碑(いしぶみ) 福福亭とん平の意訳

壺の碑 全 さてさて、千引の石と申しますのは、昔、平(へい)城(ぜい)天皇様の御代に、陸奥の狭布(きょう)の郡の壺という所に、高さが五丈ほどの大きな石がありましたが、坂上田村麻呂将軍が蝦夷の悪路王を征伐なさった時に、この石の表面に弓の弭で「日本の…

のせ猿草紙 福福亭とん平の意訳

のせ猿草紙 全 さてさて、丹波国能勢の山に、年を経た猿がいて、その名を増(まし)尾(お)の権頭(ごんのかみ)と申しました。その子に、こけ丸殿といって、抜きんでて知恵や学問、芸能に優れた方がいました。このこけ丸殿が扇を手にして舞を一差し舞ってお入り…

をこぜ 福福亭とん平の意訳

をこぜ 山桜は、私が住むあたりの景物であるから、珍しくもなく、春のうららかな時には、浜辺がまことに好く、低い波と高い波の女波男波が交互に打ち寄せ、岸辺の美しい藻を洗っているところに、波間に浮き沈む千鳥の鳴く音もいうまでもなく好く、沖行く舟が…

蛤の草紙 福福亭とん平の意訳

蛤の草紙 天竺摩訶陀国の片隅に、しじらという人がいて、この人は、とてもとても貧しい人でした。父親には若い時に死に別れ、一人の母がいらっしゃいました。その頃天竺はひどい飢饉になって、人が飢えて死ぬことが長く続きました。しじらは母を養うことがで…

猿源氏草紙 福福亭とん平の意訳

猿源氏草紙 少し昔のことでありましょうか、伊勢の国の阿漕が浦に、一人の鰯売りがいました。元は海老名六郎左衛門と言って、関東の侍でありました。妻に死に別れて、一人娘があったのを長年召し使っている猿源氏という男に嫁入らせて、そのまま鰯売りの職を…

落語十二支

はじめに 少し昔のこと、落語について一時間ほど、何か楽しい話をせよ、とのご指名をいただきました。そもそも落語の発生が、戦国時代に出陣した大名は、戦闘のない時には退屈でしかたがありません。そこで、話の上手な者に楽しい話をさせました。この退屈を…

信太妻参考資料 江談抄(阿倍仲麻呂と吉備真備) 福福亭とん平の意訳

信太妻参考資料 吉備入唐の間の事(江談抄 第三の一) 安倍保名の七代前の祖先の阿倍仲麻呂と吉備真備との間のことについて、『吉備大臣入唐絵巻』がありますが、この絵巻は詞書が欠けていて詳しく知ることができません。この話は平安後期の大江匡房(104…

信太妻 5 福福亭とん平の意訳

信太妻 ◎第五 道満法師は、宮中の占術競べに負けて、日々怒り恨む心が増し、家来を呼び寄せて、「これ、お前たち、この度、わしが清明との占術の勝負に負けたことは、あまりに奴をあなどって思い上がり、思いがけない恥を搔いてしまった。もともと、奴らはわ…

信太妻 4 福福亭とん平の意訳

信太妻 ◎第四 さてさて、月日の経つのは早いものです。月日の進みを止めるものもなく、安部の童子は十歳を超えました。もともと並の生まれではないので、八歳の時から本を読んで学問を始め、その天性は一を聞いて十を知り、一度聞いたことは二度と忘れません…

信太妻 3 福福亭とん平の意訳

信太妻 ◎第三 そもそも、人間世界の盛衰について述べれば、盛者必衰(盛んなる者は必ず衰え)、会者定離(会った者は必ず別れるものである)、ということである。安部の保名は、しばらく前に信太の森で父を殺され、その敵を討ち取りましたが、世間の噂にならない…

信太妻 2 福福亭とん平の意訳

信太妻 ◎第二 保名は、思いがけない難儀に遭いましたが、狐の懇切な気持ちで幸いにも危うい命が助かりました。ですが、体のあちこちに傷を受けて気持ちもすぐれず、少し休もうと谷川へと下って行く途中に、土地の者らしい十六、七歳ほどのとても美しくかわい…

信太妻 1 福福亭とん平の意訳

信太妻 ◎第一 そもそも、天地陰陽の道理、吉と凶、禍と福をいかに招くかということは、人の知恵と無知の差にあるのである。この原理を悟れば、天地日月、全世界も、自分の思うままに知り、操れるのである。このことを知らなければ、つい目先のことも判らない…

浮世絵漫歩 28 北斎の絵を七福神と読み解きました

この絵は、画狂人葛飾北斎による摺物で、「踊り図」「踊り行列」などと呼ばれています。これを七福神として読み解きをしてみました。 この絵には、七人の人物が描かれています。七福神として読み解くと、女性が二人で少々変です。実は、江戸時代の七福神では…

浮世絵漫歩 27 豊原国周のこと

森銑三という碩学の著作集の中に、豊原国周についての読売新聞からの記事が転載されています。豊原国周は三代歌川豊国の弟子で、一時押絵の道にも入っていて、後に豊国の弟子として役者絵の第一人者と言って差し支えがない、幕末から明治期に活躍した絵師で…