蛤の草紙 福福亭とん平の意訳

蛤の草紙

 天竺摩訶陀国の片隅に、しじらという人がいて、この人は、とてもとても貧しい人でした。父親には若い時に死に別れ、一人の母がいらっしゃいました。その頃天竺はひどい飢饉になって、人が飢えて死ぬことが長く続きました。しじらは母を養うことができなくなって、いろいろな仕事をして母を養おうと、天を仰ぎ地に伏して祈り、いろいろなことをしましたが、一向に好い結果が出ません。しじらは、そうだ、良いことを思い付いた、海辺で釣りをして魚を獲って母に食べさせようと、浜辺に来て小舟に乗り、沖へと漕ぎ出して釣り糸を垂れました。そうして多くの魚を釣って、毎日母を養っていました。
 このようにして母を養うことができるのを、しじらは嬉しいことに思って、ある時また海へ出て釣り糸を垂れましたが、その日は、日暮れまでかかっても、魚が一匹も釣れませんでした。しじらは、これまでに随分生き物の命を取って母を養ってきた報いなのだろうか、魚が全く釣れないのだ、母上はさぞ私を待ちかねていらっしゃるだろう、この時までお食事を差し上げず、さぞご心配のことだろうと、釣りをする気持ちが上の空になって、母のことばかり考えていましたが、釣り竿も心を持っていたのでしょうか、さあ、魚が掛かったと思って、慎重に釣り上げてみると、美しい蛤を一つ釣り上げました。しじらは、これはどういうことだ、蛤が何の役に立つものかと、蛤を海へ投げ入れました。
 しじらは、ここには魚がいないとして、西の海へと舟を漕いで行き、釣り糸を垂れたところ、また最前の、南の海で釣り上げた蛤が掛かりました。しじらは、あれあれ不思議なことだと思って、また釣り針から外して海へ投げ入れました。それからまた、北の海へ行って、釣り糸を垂れたところ、西の海で釣り上げた蛤がまた掛かりました。その時しじらは、これはめったにない不思議なことだ、一度だけでなく、二度だけでもなく、三度まで同じ蛤を釣り上げた、ほんのちょっとしたことではあるが、蛤と三世の縁を結んだものだなと思って、舟の中へ投げ入れて、また釣り糸を垂れたところ、この蛤が急に大きくなりました。しじらが、あれあれ不思議なことだと、取り上げて海へ入れようとする時に、この蛤の中から、金色の光が三筋差しました。これはどうしたことだと見たしじらは驚き、肝を潰して、恐れて後ずさりをしました。この時に蛤の貝が二つに開いて、その中から、とても美しい、十七、八歳くらいの女性が出てきました。
 しじらはこれを見て、海の水を掬って手を洗いながら、「姿をみると春の花、顔を見れば秋の月、十本の指までも瑠璃を延ばしたような、これほど美しい女性が、海から上がっておいでになるとは不思議なことだなあ。あなたはひょっとして竜宮にいらっしゃる竜女などという方でいらっしゃいますか。このいやしい男の舟にお上がりになるのは、もったいないことです。ともかくも、住みかへお帰りください」と言いました。その時女性は、「私は、どこから来たのかも判りません。また、これからどちらへ行くのかも存じません。あなたの家へ連れて行ってください。お互いに仕事をして、この世を暮らしてゆきましょう」と仰るので、しじらは、「ああ、恐ろしいこと、思いも寄らないことです。私はもう四十歳になりましたが、まだ妻を持っていません。その訳は、六十歳を超えた母が一人いますので、もし私が妻を持つと、心がいい加減になって、母親の面倒をきちんと見なくなることもあって母の思いにそむくだろうと存じ、妻を持つことなど思いも寄りません」と言って、とても考えられないと申し上げます。すると、この女性が「つれない方ですね。物の道理をよくお聞きください。『袖振り合うも他生の縁』と聞いています。たとえば、鳥であっても、縁のある枝に止まるものなのです。まして、これまであなたを頼りにして、この舟にやってきたのに、その心を無にして、帰れとの仰せは情けないことです」と仰って、思い詰めた様子で泣いていらっしゃいます。しじらは女性のこの姿を見て、それならばせめて陸へ下ろそうとつくづく思って、急いで舟を漕いで、波打ち際に着いて舟から急いでお下ろしして、「私はここまでお連れしました。それではお別れいたしましょう」と言って帰ろうとすると、この女性は、しじらの袖にすがって、「せめてあなたのお宅まで連れて行って、一晩お泊めになってください。夜が明ければ、どちらへでも足のままに出て行きましょう」とお嘆きになりました。しじらが、「私どもの家というのは、ただ世間一般のような家でもなく、本当に貧しい男の寝る小屋のようなもので、目も当てられないようなひどい所ですから、あなたをお泊めする場所は全くありません。普段の居間にお泊めすることはもったいないことですから、家を造ってお泊めしましょう。お待ちください」と言いますと、女性は「どのような、金・銀・瑠璃・硨磲・瑪瑙の豪華な家であっても、よその家には行きたくありません。あなたのお宅へならば行きましょう」と仰います。しじらは、「それでは少しお待ちください。私が先に家へ行って、母上に伺ってからお迎えに参りましょう」と言って、しじらは家へ帰って、母にこのことを話したところ、母はとても喜んで、「急いで座敷を片付けてきれいにして、こちらへお迎えしましょう」と仰るので、しじらは喜んで、急いで浜へ女性をお迎えに行きました。
 しじらとこの女性とは、女性が待ちかねてしじらの家へと来る途中で出会いました。しじらが、「裸足で歩かれてはあなたの御(お)御(み)足(あし)が痛いでしょうから、このみすぼらしい男の背中におぶさってください」と言いますと、女性は喜んでおぶさりました。こうしてしじらの家に着いて背中から下ろしますと、すぐに母が出て来て女性に会って、ああもったいないこと、この方こそ天人と言う人だ、私と同じ場ではいけないと、急いで自分より一段高い座を作って座らせ、この上なく大事にいたしました。
 その時に、しじらの母が、「もったいないことを申しますが、どうして、あなたはしじらの妻におなりになる方ではないのでしょうか。しじらはもう四十歳になりましたが、まだ妻を持たず、子供も一人もいないことを、毎日嘆いて暮らしていました。私はもう六十歳を過ぎて明日をも知らない身で、このことばかり心配しています。ああ、ああ、しじらにふさわしい妻がほしいなあ」と嘆きますと、女性は、「私はどこからきたのか、これからどちらへ行くのかも知らない身ですから、どのようにしてでもしじら殿と一緒に置いてください。私は人の知らない仕事をもして、一緒にこの世を過ごしていきましょう」と仰いましたので、母はとても喜んで、それならばと言って、しじらにこのいきさつを話したところ、しじらはもともと親孝行の人なので、ともかくも母上のお気持ち通りにと返事をしました。天竺という土地も人の好奇心の強い土地ですので、人々が、「しじらの所に、どこから降って湧いたかわからない人がやってきた。さあ行って対面しよう」と言って、出家者も俗人も、男女皆々が神仏に供える米を包んでやって来ました。それで、白米三石六斗が一日に集まりました。

 その時にかの女性が、やって来た女性に、「私は何も持たずにここへやって来た者ですので、糸にするアサをお持ちならばください」と仰るので、翌日にはアサを持って来ました。しじらは、前日から皆が持って来てくれた米で母を養えることを心の中で嬉しいことだと喜びました。またこの女性は人目に立たない形で、いつその作業をなさっているともわからないうちに、たくさん麻糸をお作りになりました。
 そのようにしているうちに、紡錘という物がほしいと仰るので、しじらは早速探し求めて差し上げました。この麻を糸に紡いでいく音は、とても面白く聞こえました。しっかりと聞き留めて文字にしてみると、前へ送る時には「南無常住仏」と響き、手元に引き入れて糸を縒る時は「南無常住法」と響き、巻く時は「阿耨多羅三藐三菩提」と巻き収めなさいます。また、てがいという物をお取りになる時は、「南無妙」と響いて、こうして糸を紡がれているうちに、始めてから二十五か月という時に紡ぎ終わって、今度は布を織る道具一式がほしいと仰るので、しじらが、それではと言って作ろうとするのをご覧になって、「世の中の普通の機織り機ではいけません。私の機織り機は、並の道具とは変わっています」と仰って、手本をお示しになったので、注文通りに作って差し上げました。この女性は喜んで、「力を尽くして糸を巻き立ててみましょう」と仰っていらっしゃると、神通力を持って示すという万能の方である観世音菩薩がすぐにお聞き届けになって、菩薩は広く智恵や方便を修めて功徳を示すと説いていらっしゃる通り、どうして悪いことがありましょう、見たことのない二人の人がやって来て、一夜の宿をお借りになり、この機を一緒に巻かれました。この出来事を始めとして、しじらの母は不思議なことだなと思って、この女性をますます大事にすることはこの上ありません。
 しじらは、「この機が出来てから、母の気持ちがなごんでいらっしゃることが嬉しい。今までよりも心のどかに暮らせて、また暮らしの仕事をして、このところは苦労とは思わない。天竺の飢饉はあまりにひどい状況だけれども、我々が心のどかでいることが嬉しい」と言い、母の足をしじらの額に置いて寝かせ申し上げました。
 その時、しじらの隣に寝ている女性がしじらに、「どうしてお泣きになるのですか」とお尋ねになりますと、「母上が太っていらっしゃった若い頃は、母上の足を額に寝かせ申し上げると、重くていらっしゃったのに、もうお年も取られて、次第に身も細くなられ、格別に軽くなられました.ので、泣くよりほかはありません」と答えますので、女性はこれをお聞きになって、「まことに見上げたしじらの心です。どんな仏様のお恵みもどうしてないことがありましょう。これほど親孝行な人は、まことに珍しいことです」と仰って、孝行の物語を始められました。
 女性は、「たとえば、越の国の鳥は故郷に近い南の枝に巣を掛ける、そういう鳥も親が大事に育ててくれたことを思い、巣から追い立てられて、一緒に飛び立つとき、四鳥の別れと言って、母と子の別れは、それまで味わったことのない迷いの心を持ちながら、雲に隔てられるようにして離れていきますが、親孝行な鳥は、生まれた木の枝に百日の間、一日に一度ずつ来て羽を休めるのを母の鳥が、さてはこれが我が子だとして喜びます」と、すぐにしじらをお慰めになりました。「孝行な鳥が不思議なことは、猟師が何とかしてこの鳥を捕ってやろうと網を掛けても、つかまることはありません。特に、鷹や鷲にもつかまることはありません。ましてや、人間として生まれて、親に従わない人は、この世では禍を受け、七つの難や過ちに遭って、その人の思うようにはならないのです。親孝行の人には、天から福が与えられ、七つの難はすぐさま消え、七つの福がすぐさま生まれると言って、願うことは皆その日のうちにかない、人々から慈しみ愛されて、この世では自然と、上を目指して悟りを求める道に進み、安らかで穏やかな楽しい気を受けて、極楽浄土の蓮の台(うてな)を指して、東方の薬師浄土、西方の阿弥陀浄土で、諸仏の上の浄土にもとづいて、自然に神通力を現し示す身となって、『かの観世音を念ずれば』と唱えるという浄らかな身となることは、疑いありません」とお語りになります。
 女性の息の匂いは、この世ではない良い香りで、それが、夜昼の区別なくいつも広がって満ちています。さあ、機織りをしようと、女性がしじらに、「この家は布を織るのには狭くて、これでは織れないでしょう。そばに機を織る建物を造ってください」と仰います。しじらは急に皮付きの丸太を使って、機を織る建物を作って差し上げました。
 そのときに、女性が、「機を織っている間、決してこちらへ人を入れてはいけません」と仰いましたので、しじらは「わかりました」と言って、母にもこのことを語りました。その夕暮れに、若い女性が一人、どこからともなく、しじらの家へと宿を借りにおいでになりました。しじらの女房になった女性は、すぐさまこの機を織る建物を貸しました。しじらの母が、「この建物には人を入れるなと仰ったのに、どうして宿をお貸しになったのか」と仰いますと、女性は、「この人は構わないのです」と仰って、二人で機を織られる音は珍しいものでした。
 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五の菩薩様が、玉の様に美しい機を織られます。実に、法華経の一の巻から八の巻に至るまでの二十八品をことごとく織り入れなさる御声が、耳に聞こえてありがたく、昼夜の弁えもなく、十二か月の間に織り出しになりました。女性が、「今織り出しました」と仰って、布を厚さ六寸ほど、広さ二尺四方の碁盤のように畳んで、しじらに、「明日摩訶陀国の鹿野苑の市に持って行って売ってください」と仰いますので、しじらは、「代金はいくらぐらいと言いましょうか」と尋ねます。「代金は金銭三千貫にお売りください」と仰いますので、しじらは、「ああ、信じられません、最近売り買いする布の値段は、世間の常識として安い値段ですが、これはあまりに高価過ぎます」と、おかしそうに言いますと、女性は、「これはただ世の中の普通の布ではございません。私たちが織った布は、きっと鹿野苑の市で判る人があるでしょう。代金はあなたが決めてはいけません。さあさあ、市に人が集まるでしょう。お出でなさい」と仰いますので、しじらは布を持って鹿野苑の市へ行くと、「これはどんな値打ちのある物なのですか」と笑う者もあり、またはうさんくさそうに見る人もあって、一日持って回りましたが、手に取って見るだけの人も一人としていませんでした。

 しじらは、やはりな、知らないことをして、こんな物を市に持って来て人に笑われるはめになったのは口惜しいことだ、と思って布を持って帰ろうとして、途中で年は六十歳を過ぎ、鬢も鬚も白く、姿が人に優った老人が葦毛の馬に乗って、三十三人の供を連れているのに出会いました。この馬に乗られた老人が、「そなたはどちらの者じゃ」とお尋ねになりますので、しじらは、「私はしじらと申す者でございますが、鹿野苑へ布を売りに出かけましたが、買い手がなくて持ち帰ります」と言います。「そなたのことは聞き知っている。その布を見よう」と仰いますので、馬の上へ差し上げました。
 三十三人の供の人達がこの布を広げると、長さ三十三尋あります。「これは珍しい布であるな。わしが買おう、代はいくらだ」と仰いますので、しじらが「金銭三千貫でお売りいたします」と言います。すると老人は、「なんと安い布だ」と仰って、「それでは私の家へ持って来なさい」ということで、しじらをお招きになって、そこから南の方を指して行きます。高い軒が広がる雲にそびえる門があります。見ると、瑪瑙の土台に、水晶の珠を柱として、瑠璃の垂木があり、その上に硨磲瑪瑙を屋根として、驚いて目を見張るほどの立派さです。
 門の中へ入って見ると、この世ではないような良い香りが漂って花が降り、音楽が天に満ち満ちて、心が若くなり、寿命も延びる気持ちがして、帰ることを忘れてしまいました。この馬に乗った老人は、馬を縁の端まで乗り付けて下り、建物の中に入って金銭三千貫を三人で持って出て来ました。ああ、こんな力の強い人もいるのだと、しじらは恐ろしく思いました。
 そこで、「今の布売りをこちらへ呼びなさい」と座敷へ呼び上げなさいました。しじらは足を震わせ、心も乱れ、身の置き所がなく思っています。あまりに何度もお呼びになるので、階段を登り、広縁に上がります。心はまるで薄氷を踏むようにおどおどと上がります。そこで、老人が、「その七徳保寿の酒を飲ませなさい」と仰いますと、しじらは、もともと酒好きで、一杯飲んでみたところ、甘露の味わいにとても満ち満ちて、言い表せないほどの美酒です。いくらでも飲むことができますが、老人が仰るには、「七杯より多く飲んではいけない」ということなので、七杯飲ませました。
  ここで布の代の金銭三千貫をこちらからお送りしようということで、老人は恐ろしい様子の三人をお呼び出しになりました。この人たちは声聞身得度者、毘沙門身得度者、婆羅門身得度者と言います。この三人にお命じになられて、三千貫の金銭を一気にしじらの住まいへと届けましたので、その時しじらが、「これでお暇いたします」と申しますと、老人が、「今飲んだ七徳保寿の酒は、観音の浄土にある酒である。一杯飲めば千年の寿命が延びるのである。その上にその方は、七杯飲んだのだから、七千年の寿命を保つのである。これから後は物を食べなくても腹が減ることはなく、裸でいても寒くなくなったのである。これが、そなたが親孝行である証(あかし)である」と仰って、立ち上がられて、雲の上に乗っておいでになりました。すると、五色の光が差して、老人が南の天へと上ると思っていたら、しじらは家に着いていました。
 家に帰ったしじらが、女性にこの様子を語ろうとすると、しじらが何も言わない前に、女性はその時のありさまを少しも違うことなく語りましたので、しじらは、何と恐ろしいことか、この妻は人知を越えて悟る化け物だと思っていると、この妻が、「それでは、私たちはお別れいたします」と言いますので、しじらの母はこれを聞いて、「情けないことを仰るものですね。この度は、思いがけない素晴らしい人をしじらの妻としてお迎えして、しじらと二人でこの上なく嬉しく過ごしていましたのに、去ろうと仰ることは、ああ、なんとも情けないことです」と言いながら、天を仰いだり、地に転がって身悶えしたり、この上なくお嘆きになります。
 女性は、「これから長い間こちらにいられることならば、どのようなことも働き出して後日の形見にとお目に掛けて、それで過ぎた昔のことをお忘れになるようにとは存じますが、この短い間でありましたので、私たちがこの布を織り出して金銭三千貫に売ることしかできませんでした。ですが、いずれも同様であるとお思いになってください。この三千貫の金銭で一代を安楽にお過ごしになっていただくためなのです。このことは、何より、しじら様が親孝行である証なのです。私は南方補陀洛世界の観音様の浄土から、観音様のお使いとして参った者です。今は何をお隠ししましょう、私は観音様にお仕えする童男童女身という者です。しじら様が布を売りにお出でになった所は、南方補陀洛世界の観音様の浄土なのです。しじら様はこれから七千年の御寿命です。これは、七徳保寿の酒を七杯お飲みになったからです。これから後はますます豊かに富み栄えて、神仏のお守りがあるでしょう。あちらでお酒を召し上がられた時に三人お酌の役をいたしましたのは、私たちと共に観音様にお仕えする者で、名を声聞身得度者、毘沙門身得度者、婆羅門身得度者と申します。これも全くしじら様の親孝行の徳として観音様が憐れみなさっていることであるのは疑いがあありません。それではお暇いたします」と言って、しじらの家を出て、門口で別れを惜しむのは、親鳥が子鳥と別れる悲しみのように悲痛な様子でした。お名残惜しいと言いながら南の空へとお上りになっていくかと見ていたら、白雲にお乗りになって天上されていました。空中に音楽が響いて、この世ではない良い香りが四方に満ち広がり、花が降って、多くの菩薩がお迎えにお出でになりました。
 この間、しじらは、呆然と立っていましたが、どのように恋い慕っても二度と逢うことはできないことですので、女性との思いを断ち切りながら家へと帰りました。
 それから後しじらの家は富み栄えて発展して、母親を安楽に養いました。一方しじら自身は、自然に悟りを得て成仏するという縁に結ばれて仏の位置になり、七千年経った時に天にお上りになりました。その時、紫の雲が棚引いてこの世ではない良い香りが四方に満ち広がり、花が降り、不老不死となる風が吹いて、音楽が絶えず流れ、二十五の菩薩、三十三の童子二十八部衆、三千仏がみな鮮やかにお揃いになり、十六の天童、四天王、五大尊のみなみなも空中に一杯に並ばれました。
 これは全く親孝行の賜物です。今後とも、この物語草紙をご覧になって、親孝行でいらっしゃれば、しじらのように富み栄えて、現世来世を安楽に過ごせるようにとの願いは、すぐさま叶います。身にふりかかる七難は端から消え、何の不自由もなく、人々から温かく迎えられ、ますます栄えます。来世において、必ず成仏して悟りを得られることは疑いありません。とにかく親孝行をして、この物語草紙を人に読み聞かせなさい、読み聞かせなさいませ。