浮世絵漫歩 17 葛飾北斎の百物語

葛飾北斎筆 百物語

 この連作の題の「百物語」とは、「怪談会の一形式。夜、数人が集まって、行灯に百本の灯心を入れて怪談を語り合い、一話終わるごとに一灯を消し、語り終わって真っ暗になった時に妖怪が現れるとされた遊び。」(広辞苑)です。
 この北斎の作品は、『冨嶽三十六景』を制作していたのと重なる時期の、天保2年から3年(1831-32)頃に刊行されました。それぞれの題名のコマ絵には、作品名の他に、「百物語/前北斎笔(筆)/霍(鶴)喜板」と入っていて、版元が老舗の鶴屋喜右衛門であることが判ります。現在まで5点が見つかっています。5点のみで出版が続かなかった理由として、摺度数が多く、手が込んでいるのが一因とも考えられます。また、天保4年に鶴屋の主人が急死したことも何か関係があるのかも知れません。
 ここでは、2020年の東京都美術館での浮世絵三大コレクション展の目録順に、少々の解説を試みました。

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お岩さん
 四世鶴屋南北(1755-1829)作の『東海道四谷怪談』を基にした作品で、お岩さんは、夫民谷伊右衛門に殺され、幽霊となって現れます。 半面が腫れ上がった顔で描かれることが多いですが、ここでは、歌舞伎の舞台で、お岩さんの幽霊が提灯から出現する場面(提灯抜け)に因んで「南無あみた(阿弥陀)仏/俗名いは女」と書かれた提灯と共に描かれています。額の梵字風の模様は該当する文字が見付かりません。額の皺の象徴でしょうか。

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しうねん・執念
 財宝に未練を残して死んだ者が、死後蛇になってその財宝を取り巻いています。位牌の上に書かれた文字は、「時于天捕(補)之革/茂問爺院無噓信士 空/御正月日待咄」とあります。一行目は「ときに・てんぽのかわ」で、「でまかせだよ」、二行目は「ももんじいいん・うそなししんじ」で、「ももんじい」は「毛深い化け物」のこと、よく、子供を脅かす時に使う言葉でもあります。三行目は、「おしょうがつひまちばなし」で、日待とは、正月に人々が集まって話をしながら夜を明かして日の出を拝む行事です。上にある梵字のような模様は、人の横顔です。全体に、洒落の位牌ですよ、ということです。茶碗の「卍 」は北斎の画号と判断します。なお、「も・もん・じい」は「百掛ける百・字」で「万字」を示すと説く人もいます。

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こはだ小平二・小幡小平次
 小幡小平次山東京伝(さんとうきょうでん・1781-1816)の 読本『復讐奇談安積沼』(ふくしゅうきだんあさかぬま)中の人物です。しがない歌舞伎役者で、妻の浮気相手伝九郎に奥州安積沼で殺され、幽霊となって出現します。この絵は、邪魔な小平二を殺害後に、二人が蚊帳の中で寝ているところを上から覗き込む小平二の姿です。

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笑ひはんにや・笑い般若
 絵の基になる物語はありません。般若は、角があり、妬みや苦しみ、怒りを持つ女性の姿を表しています。この般若は、笑いながら小児の頭を握っています。この小児の首の切り口が、柘榴のように見えます。柘榴は、鬼子母神が手にする果物で、その鬼子母神北斎の信仰した日蓮宗と縁が深いところから、この般若像は鬼子母神を描いたとも考えられます。

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さらやしき・皿屋敷
 1741年初演の為永太郎兵衛・浅田一鳥合作の『播州皿屋敷』の中で、青山鉄山が陰謀をお菊に聞かれたので、口封じのためにお菊が管理している皿一枚を隠して、それを咎として責めて斬り殺し、井戸に捨てます。お菊の亡霊が井戸から出現する姿を描いた絵で、首が皿になっています。口からの妖気は、もともと紅であったようです。