浮世絵漫歩 4 歌川国芳の道外十二支1

 

f:id:fukufukutei:20200628083143p:plain

歌川国芳 道外十二支(どうけじゅうにし)
 歌川国芳は寛政9年(1797)生まれ、文久元年(1861)没です。浮世絵好きの方でもあまり意識しませんが、初代歌川広重と同年の生まれです。
 国芳日本橋の染物屋の家に生まれ、初代歌川豊国に弟子入りして、国芳を名乗ります。
 国芳は30代になってから、「通俗水滸伝」の作で一躍人気絵師になります。後に、役者絵の初代国貞改め三代豊国(にがほ・似顔)、風景画の初代広重(けしき・景色)と並んで、武者絵の国芳(むしゃ・武者)と三幅対で称えられます。
 また、江戸っ子として洒落を好み、戯画の世界でも大活躍します。金魚づくし、猫を題材にした作品など、いろいろな生物や器物を擬人化した作品を多く描いています。近年、奇想の絵師として人気が急上昇しています。
 道外十二支は、天保12年(1841)に刊行されました。十二支の動物を擬人化し、諺や慣用句を土台にした作品です。江戸の洒落言葉や諺は今日ではわからないものも多く、また、絵だけで説明文が付いていませんので、様々な解釈ができるのが面白くも、もどかしいのです。
 国芳作品では、細部まで洒落がありますから、子細に見る必要があります。本作では、染物屋の悴らしく、着物の柄が凝っています。鼠に餅、牛に牛車の輪と天神様の注連縄、虎に竹、兎に波と芒、馬の絵に登場の狐に稲荷の宝珠と狸に茶釜、羊に紙、鶏に竹籠、犬に椀といったところが見てとれます。こういう細かい機知には、「よ、ご趣向(江戸訛りで、ごしこう)」という褒め言葉を使ったものです。           右、甲子の鼠
 甲子(きのえね)の日に集まり、子の刻(深夜0時)まで起きていて、大豆・黒豆・二股大根を食膳に供えて大黒天を祀り、商売繁盛を祈る行事を甲子待ちと言います。大黒天のお使いの鼠たちの甲子の宴の場に、なんと天敵の猫が来て、上を下への大騒動の場面です。甲子は十二支と十干の始まりですので、物事の始まりとして重んじられました。
左、からしきゝの牛 
 今日では使われない「牛と辛子は願いから鼻を通す」という諺が絵になりました。牛が鼻輪を通されて苦しむのは自らの天性ゆえ、辛子を食べて苦しむのは自分で口にしたゆえであるということで、責めすべて自分で負うのです。現代では自己責任という情の無い言葉になりました。牛が酒の肴に付けた辛子が利いて、鼻を押さえています。江戸では鰹を食べるときに辛子を付けて食べますから、鰹で一杯の光景でしょうか。