竹生島の本地 福福亭とん平の意訳

 鏡男が迷い込んだ家に、時においでになるという竹生島の弁財天が人間であった時の話を語ります。竜女が成仏したという女人往生を説く法華経五の巻が出て来ますが、『更級日記』の著者は、夢に出て来た僧に、物語にうつつを抜かさずに、「法華経五の巻を疾く習へ」と言われますが、物語と離れられないようです。
 
   竹生島の本地
 
  少し昔のことです。信濃の国の人が、京に滞在していた時に、一条今出川にいた美しい女性と親しくなって、夫婦の契りを結んだところ、間もなく妻は身ごもりました。妻の故郷は大和の国の壺阪という土地でしたので、妻と共に壺阪へと行きました。月日が経ち、月満ちて、玉のような美しい姫が生まれました。
 この姫君が三歳になった秋に、お父様はふと風邪を引いて、間もなく亡くなってしまいました。お母様はこの上なく嘆き悲しみましたが、こればかりはどうしようもありません。姫君を、夫の忘れ形見としてお育てしました。
 時が経ち、姫君は立派に成長なさいました。姫君はお父様の後世をいつも心に留め、朝晩法華経を読み、ご本人も悟りの道を求めていらっしゃいました。ある時、壺阪のお寺で尊いお坊様がなさった説法の中に、自身の身を売っても親の菩提を弔いましょうというお言葉がありましたので、姫君はこのことをいつも心に思っていました。
 お父様が亡くなって早くも十三年の年回にあたる時に、どこから来たのかは判りませんが、一人の商人がやって来て、「若い女性がいたら値よく買い取るぞ」という声を掛けて回りました。姫君はこの声を聞いてとても喜んで商人のところへ駆け寄り、「これ、あなた、私自身をお売りするので、買って下さい」と仰いました。商人はこれを聞いて喜んで、すぐさま黄金五十両を渡しました。姫君はこの上なく喜んで、黄金を受け取り、「今日から五日後においでください。間違いなく、あなたに従いましょう」と、堅く約束をして商人を帰しました。
 姫君は望みがかなったと嬉しくお思いになり、すぐさまお母様の前に黄金を置かれて、「ご覧ください、この黄金を拾いました。これでお父様の御法事をなさってください。今年は十三年に当たっていますから、いつもより丁寧な法事をなさってください」と仰いましたので、お母様は、この子は、女子ながらも父親の菩提を弔いたいと思う気持ちが深いお蔭で黄金を拾った、これというのは、まことに天のお恵みであろうとお思いになりました。そこで、早速お坊様をお招きして、いろいろ法事をなさいました。
 法事の後、姫君はお母様の前に来て、「お父様の御菩提を祈る法事を立派に果たせて嬉しく存じます。今は何をお隠しいたしましょう。費用の黄金は、私が身を売って作ったものですので、私の身は商人の手に渡り、どことも知れない土地へ参ります。お父様のために自分から売った身ですから、私の命は少しも惜しくはございません。ただ心に掛かるのは、私が出て行った後、お母様がお嘆きになるのが悲しゅうございます。仕方ない、これも前世からの約束事と思い切って下さいませ。どのような所へ参りましても、必ずすぐにお便りを差し上げます。それではこれでお別れいたします、ごきげんよう」と仰って、泣く泣く家を出られました。そのお心の内、お気の毒でございます。
 お母様は、この姫君のお言葉をお聞きになって、「これは夢か真か、いったいどうしたことであろう。あなたのお父様とは死に別れ、ここでまたあなたにまで別れたら、私はどうしたら良いのでしょう。死んだ親の菩提を弔おうとして自分の身を売って、母親に心配を掛けるということがあって良いものか。恨めしいことじゃ、私も一緒に連れて行っておくれ」と正体無く立ち上がる有様はあまりに気の毒で、見る人はどう思うでしょうか。姫君の袖に取りすがり、嘆き悲しまれる母上の姿は、周りの人が皆、涙を流していました。
 姫君はその時、「お母様のお言葉はもっともですが、どのようにお止めなさっても、私を買った商人が同意することはありませんでしょう。どんなにお母様がお思いになっても、それはできません。そのようにお思いになるとご病気になってしまいますから、早くお家へお帰りください」と仰いました。そこへ、商人が、思った通り、姫君が来るのが遅いと迎えに来て、姫君を連れて帰りました。
 さてさて、姫君は三十里ほど歩かれて、慣れない旅のせいでしょうか、それともお母様をご心配なさってのことでしょうか、旅の疲れが出ました。その時に一首、
  あとをとふ そのたらちねの 憂き身とて 売る身ぞつらき 我が涙かな
  (親のために菩提を弔おうとして私の身を売った、そのつらい我が身に涙が流れ
   る)
と詠んで、先へと進まれます。
 何日もの旅をして、姫君は、商人の住む奥州安達の郡にお着きになりました。商人は我が家へ帰って、「これ、お母さん、妻よ、あの娘を見なさい。ずいぶん苦労して買い取って連れ帰ったんだよ。大事にしてやってください」と言いますと、商人の妻は喜んで、様々に世話をしました。その時、姫君はとても喜んで、このように一首、
  身を売りて 親の菩提を 問ふ我を 情けをかけよ いかに旅人
  (身を売って親の菩提を弔う私をどうか哀れと思っておくれ、旅人よ)
と詠みましたので、ここで商人は姫君の傍へ寄って、「今は何を隠しましょう。あなたをここまでお連れしたのは、ほかでもありません。この山の奥に大きな池があります。その池に大蛇が住んでいて、年に一度、その大蛇に人を人身御供に供えることがあります。今年は、我が家がその番に当たりました。私どもには娘が一人いますが、それを人身御供に出すのはとても悲しいので、そこであなたを買い取って、人身御供にしようとするのだから、覚悟してください」と言いました。
 姫君はこの商人の言葉をお聞きになって、我が身を売ったのだから、どんなつらいことに遭うとしてもかまわないとかねてから覚悟はしていたけれど、人身御供になるとは考えてもいなかったとお思いになりましたが、「はい、父の菩提のためにと売った身ですから、仕方がありません、いかようにもなさってください。とは言っても、お母様が後に残ってお嘆きなさることだけは、とても悲しいことです。私の命は、少しも惜しくありません』と、静かに仰いました。
 さて、大蛇に人身御供を差し出す日になりますと、姫君には十二単を着せて、池のほとりに三層の棚を作って、そこに姫君を載せました。その時に、その土地の地頭夫妻を始めとする人々が座敷に居並んで、見物しています。
 しばらく経って、池の乾(北西)の方角からさざ波が立って、大蛇が十六の角を振り立てながら姫君のいる建物のある岸に上がり、建物に身を寄せて、今にも呑もうと紅の舌を動かしています。その時に姫君が、「大蛇も心があるからこそ、この時を知って出て来たのでしょうが、私に少しの時間をください。私の守り袋に、親の形見の法華経が入れてあります。この御経を読誦して、回向といたします」と仰って、一首、
  いづくとも 行き方知らず 身を売りて 親の菩提を 問はんためにや
  (行く先をどことも判らずに身を売ったのは、親の菩提を弔おうということです)
とお詠みになると、大蛇も心があるのでしょうか、頭を下げて静かにしています。姫君はお喜びになって、御経を高らかに読まれました。
 そして、姫君は、御経をお読みになるときに、「法華経一の巻は、お父様のため、二の巻は生きていらっしゃるお母様のため、三四の巻は商人のため、私を商人が買ってくださったからこそ、父上の菩提を弔うことができたのですから、現世、来世、幸多くお過ごしになりますように。また、五の巻は、提婆達多品で、八歳の竜女の即身成仏を説く御経ですから、この御経の功徳によって、大蛇としての身の苦しみを逃れて即身成仏なさい」と仰りながら、大蛇の頭の上に御経をお置きになりますと、大蛇はすぐさま頭を下に向けて、そのまま池の中へ入り、しばらく経って角の間に黄金を千両載せて上がってきて、姫君に差し上げました。
 大蛇は、「私は、この池に住んで九百九十九年になります。人を呑むことも九百九十九人です。もう一人飲めば千人になるところでしたが、このような素晴らしい場に遇い、この法華経読誦を拝聴して、御経の功徳によって、たちまちに大蛇の身を受けた苦痛を逃れられ、成仏することができました。ですから、あなたのお命はお助けします。また御経を上げていただいた御布施として、この黄金千両を差し上げます。そえでは、あなたの故郷へ、すぐにお送りいたしましょう」と言って、大蛇の角の上に姫君をお乗せして、天に昇りました。そして、瞬時に、大和の国、壺阪の地に送り届けました。
 そして、大蛇は、壺阪の観音となったのでございます。姫君は、お母様にお会いになりました。お二人の喜びはこの上ありません。姫君は後に、近江の国竹生島の弁財天の明神とお祀りされました。と申すのは、大蛇に縁を結ばれたことによるということです。昔も今も、親に孝行な人は、すぐにこのような不思議な良いことがあるのです。
 この物語をお読みになる方は、よくよくこのことを心得て、親にはいくらもいくらも孝行であることを第一にして、日夜を分かたずひたすら孝行に励むことです。
 また、法華経を読誦する人は、心を籠めて読まなければいけません。また、この法華経を読誦できない人の場合は、繰り返し繰り返し念仏を口にして、後世安楽を願わなければなりません。ほんの少しでも心を緩めてはいけません。
 近江の国、竹生島の弁財天の御由来は、このようなことでございます。