地蔵堂草紙 福福亭とん平の意訳

 『天稚彦草子』を紹介した時に少し触れたので、ここに掲げておきます。発端は『日本霊異記』に見られる僧の欲望、中間は浦島太郎のような異界訪問、そして最後の変身が『天稚彦草子』と、三つの作品の要素が重なっています。
 
  地蔵堂草紙
 

 時は昔のこと、越後国菅(すが)野(の)という所に朽ちかけたような地蔵堂がありました。その堂で、法の通りの千日の写経を始めた聖がいました。
 写経の日数が重なって、およそ二年ばかり過ぎ、この僧が法華経を読んでいる時に、白い薄衣を着て気品のある一人の美女が堂に来て、聴聞することがありました。
 女の聴聞が何日にもなりましたので、この僧が女に、「どちらからおいでになっていらっしゃるのですか。このあたりはあなたのような方がおいでになるのにふさわしい所とは思われません」と言うと、「私は、このお堂近くにいる者です。私は、ささやかな寄進をさせていただきましょう。今回の行に、どのような物が必要でしょうか。調えて差し上げましょう」と言いましたので、僧は、「この行と仏縁を結べるようにさせて差し上げましょう。きっとあなたの本心からのお気持ちでございましょうから。寄進の物品には、馬の鞍のような品や絹布の類を施す方もいます。また、自分の分に応じて、米銭などをくださることもあります。寄進の多少ではありません」と答えると、女は、「それならば、私は供養の檀那となりまして、布施物を用意いたしましょう」と言うので、これはまさしく仏法を守る十羅刹女の思し召しであると僧は貴く感じました。その僧の気持ちの中に、この女への深い愛執の心がとても深く湧いてしまいましたので、女への愛執心をそのままに伝えますと、「あなたの気持ちにお応えするのはたやすいことです。今回の写経の行を全うしてください。行の後、あなたのお気持ちに従いましょう」と語りました。僧は喜び、思いがけない幸運にあった心地がして、行の満願までの日を待ちきれない思いを抱きながら、行を続けていました。
 千日の写経の行が終わり、仏への十種供養(華・香・瓔(よう)珞(らく)・抹香・塗(ず)香(こう)・焼香・繒(そう)蓋(がい)・幢(どう)幡(ばん)・衣服・伎楽をもって行う供養)の日になると、この女が輿に乗り、多くの供の者に囲まれて参詣に来た様子は、とても立派でありました。さて、供養が終わると、布施ということで金銀珠玉の宝や綾羅錦繡(りょうらきんしゅう)の布の類を数知らず寄進しました。法に従って写経の行を共に行った僧もこれを分かち取って、その寺をすぐさま立派な大堂に改修して、日々の勤行まできちんと行うようになりました。
 その後、僧はこの女と世間に忍んて常に情を交わしていましたが、女が「このまま密会を続けいるわけにはいきません。私の故郷へお連れしましょう」と言いましたので、僧は「はい、承知しました」と言って、すぐさま二人一緒に出て、海岸に着きました。すぐさま女が海へ入って行きますので、僧が「いやいや、海中へは入れません」と言ったところ、女は、「それならば、これを着てください」と言って、錦のような布を打ち掛けたなと思うとすぐさま、海に入るのに少しも障りがなく、波の上を、陸地を行くように遥かに遠く沖の方に出たところ、周りの山も見えなくなりました。
 その海の底に着いて見れば、宮殿楼閣の寺院様の建物があります。荘厳美麗で、この世のものではありません。唐の国の絵を見ている心地がして、とても素晴らしいものです。門の内に入って見れば、我が妻と思ってきた女の姿が、たちまちに天女のように変わりました。多くの世話役の男女が次々と出て来て、「姫君がお戻りになった」と言って、騒ぎ合っています。その騒ぎは、誠に言葉に表せないほどです。その人々の姿は、皆、天人か唐の人を絵に描いたようです。その中で人々に世話をされている気持ちは、現実とは思われず、たとえていうことができません。ただ、夢を見ているように思われます。
 この僧は、片田舎の山寺の聖で、無知で世間知らずでしたので、物の道理をよく知っているということはありませんでしたが、少しは仏法修行をした身でありましたから、多少の思慮もあったようで、この地で日々を過ごしているにつけて、これまでのいきさつを考えると、現在の楽しい境遇はありふれたこととは思えず、ただ仏の説かれた経に従って修行した果報として生きながら仏になったのかと思いましたが、それでも仏の浄土に生まれたという覚えもなく、海中に入ったのですから、もしかしたらここは竜宮であろうかとは思います。けれども、たやすく周りの人に尋ねられることではありません。もしも竜宮であったならば、せっかく仏法修行をした身の果てはどうなるのだろうかと思い続けて過ごしていましたが、ある時、妻である女と寝ていたところ、女の天女の衣の裾が蛇の尾のように見えたことがありましたので、さては、疑いなく竜宮に来ていたのだと、気持ちが沈んでしまい、このままではこの先自分の身はどうなるのだろう、何とかしてこの境遇を改めて、元の人間に戻ることができるのだろうかと悩んでいました。
 この僧が女に、「私は、この地にやってきて、身に余るほどの楽しい日々を過ごしてきましたが、故郷が恋しくなりました。ちょっと行って見る方法はありませんか」と言いますと、女が答えることには、「簡単なことです。お思いの通りになるでしょう。それについて、お話申し上げたいことがありまして、この所へお連れしたのです。そのことというのは、あなたは、始めは仏法に従っての行を思い立たれ、その当座はとても貴くいらっしゃったので、縁を結び申し上げました。その内に、私への愛着心をお起こしなさったために、せっかくの行が無駄になりました。お書きになられたお経も、取り出してお見せしましょう。この城の経蔵には、多くのお経を預ることになっていますので、あなたのお経も始めは仏法に向かわれていましたのでお経の中に入れておきましたが、無駄な物でございます。そうはいっても、始めの思い立った志によって、ほんの少し楽しい暮らしをすることができましたが、後の邪念によって、打ち消しになって、もともとの悪い道に堕ちる結果になってしまいました。この上は、早々に元の国にお帰りになって、真心をもって仏道修行の功を積んで、悟りの境地に至ってください。こう言う私も、成仏できない身でございます。必ず私の回向をなさってください。そうしてくださるならば、お書きになった無駄な文字も皆真実を籠めた素晴らしいお経となることでしょう。これまで、あなたと親しく暮らして、あなたに細々と申し上げるのも、仏法の護持の力が空しくないという道理をお判りになるためです。これがあなたのお書きになったお経です」と言って、玉で作られた経の箱を取り出しました。箱の蓋を開き、紐を解いて経を見れば、書いてあることといえば、「早くこの行を終えて、この女と寝たい、寝たい」「早く終わりたい」「早く寝たい、寝たい」と、幾つともなく、始めから終わりまで、繰り返しに同じ言葉だけ書いてあります。まぎれもなく自分の筆で書いたので、否定することはできません。あきれたとも、恥ずかしいとも、言うことができないことです。見終わって後、経を宝蔵へ返させました。
 女は、人を多く付けて僧を以前の海辺まで送りました。僧はその場から、一人で元の菅野へと帰りました。
 僧が以前の地蔵堂へ行って見ると、それほどの年が過ぎたとも思えないのに、以前見たのとは違い、荒れて壊れています。疲れたので、堂の内に入って、礼盤(本尊の前にある木製の壇)を枕にして寝ていると、この寺にいるらしい僧が大勢来て、一人の僧が堂内へ突然入って、この僧を見て「あっ」と言って倒れ、すぐさま気を失いました。「何事か」と言ってまた一人堂に入り、同じように気を失います。このようにして、三人まで気を失い、死んでしまいました。
 こんなことがあって、村人が急いで集まって堂の様子を見ると、長さ六七丈、太さ二三尺ほどある大蛇が、とぐろを巻いて、礼盤に頭をもたれかけていました。
 一方、僧は、これはどういうことか、以前、錦のような布地を着せられたと思ったが、実は蛇になったのだと残念に思えて、堂のお地蔵様に向かって、一心籠めてこれまでの邪心を隠さず告白して、泣きながら罪を悔い嘆き、仏の教えに従って真摯に写経し申し上げる願を起こして、仏の許しを請うていますと、その夜更けにこの大蛇の背中がはらりと割れ、僧は、その割れ目から這い出ました。僧がその抜け殻を見ると、その恐ろしさはなんとも喩えようがありません。抜け殻は、そのまま、そこに死んだように転がっています。
 この話を聞いて、近郷近在の者が集まって、蛇の姿を見てこの上なく騒ぎました。しかし、その時、この僧が蛇の中から出たということを知る者はいませんでした。
 さて、この僧が世間を見渡すと、以前会った人が一人もいません。自分のことを見知っているという覚えのある人もいませんので、全く別世界に初めて来た心地がして、「以前、このお堂で如法経供養をしたなにがしという聖はどうなりましたか」と尋ねると、その寺の僧たちが言うことには、「さあ、最近はそんなことを聞いたこともありません。いつごろのことかご存じですか」と答えましたので、「これこれの年号のころ」と言いますと、「それは、昔のこと。それは聞いております。そのころから今までは二百年にもなっていましょう。その聖は、竜宮の王の娘と親しくなって、海に入ったと申し伝えております。その後、この寺も二、三度修復しております。もともとは無住の寺でしたのを、その聖の時に田畑などが寄進され、勤行を行ったおかげで、今までも寺はこのように続いていると申し伝えています」と言いましたので、「それでは、私は何歳くらいに見えますか」と言いいますと、「十七、八歳にも見えます」と言いました。僧は、とても不思議に思えて、「私こそ、その昔の聖ですよ」と名乗りたかったのですが、特に言うこともなかったので、明かしはしませんでした。後になって、人々が知ったことです。
 その後、僧は、仏の説かれた法の如くの行を支障なく成し遂げ、一心に来世を頼む勤めのみを続けていました。年をとって、とうとう願いのごとく無事に極楽往生を遂げたということです。
 
  この話は、古い昔物語を書き集めた中に見えています。かの菅野という所は、
  故普門上人東福寺無観長老がお生まれになった地です。
  この蛇の頭は、今に存在しています。ある禅僧が、実見したと北山霊巌の良真
  房に語りました。
 
 最後の4行は、原文に付いている追記のような文です。