蛙の草紙 福福亭とん平の意訳

 作品名から考えると、蛙が主人公のようですが、鳥獣戯画に見られるような蛙が活躍する話ではありません。話を読んでみたら、民話から落語が生まれるという流れが感じられましたので、後ろに蛇足を加えました。
 
   蛙の草紙
 
 ある富貴な人がいました。どうしたことか、だんだんに貧しくなってしまい、再び豊かになれるとも思えません。そこで、清水の観音様にお参りして、長年お参りしているしるしとして、着物一枚を手に入れる果報をくださいと深く祈念を込めました。この山の麓に、とても豊かな家がありました。布を干しておいていたところ、そこに牛が二頭来て、布を食べています。不思議だなと思って見ているうちに、この牛は布を全部食べてしまいました。
 しばらく経って、この家で使われている女たちが出て来て、布を取り入れようとしますが、布は一枚もありません。「あれ不思議、この布を誰が取り入れたの、布が見つからない」と言うのに、「誰も取り入れていないよ」とそれぞれが言いいます。「それでは、泥棒が盗ったのに違いない、誰が盗ったか占ってみろ」などと言って騒いでいるところに、この男が寄って行って、「何を仰っているのですか」と言いいます。すると、「えい、口出しをするな」と言う者もあります。中には、「ああ、あいつが盗ったらしい、よく調べろ」などと言う者もいます。さらに、「何者だ、うろんな者だ、さっさと出て行け」などといろいろなことを言いいますが、男は、「少しお聞きください。こんなみすぼらしい姿をしていますが、いささかの力のある者です。私は人が妙だとお思いのことを、匂いを嗅いではっきりさせる能力を持っております。簡単なことでございますよ」と言うと、一人が、「それでは、今無くなった布を嗅ぎ出してください」と言います。男が「とてもたやすいことです。盗った人を今すぐ嗅ぎ出しましょう」と言うと、家の者は「早く、早く」と言って、男も女も、皆がそこに出たので、男は全員を嗅ぎ終わって、「怪しい人は全くいません。しかしながら、この周りが何か匂います」とあちこち嗅ぎ歩いて、この牛のそばに寄って行きますので、皆は、「何だ、牛は盗みはしないぞ」と笑い合います。男は笑われましたが、牛の周りを嗅ぎ回って、「それでも、この牛にあやしい匂いがします」と言って、牛の口を開けて、手を口の中に入れて布を引き出し、「無くなった布はこれでございますか」と言います。この牛の口から布を全部引き出しました。布を確かめると、一枚残らずあります。まことに不思議なことで、皆、この男の言うことに間違いはないと思いました。
 この家の主の郡司がこのことを聞いて、不思議なことよと思い、「病気も嗅いで解りますか」と男に尋ねさせたところ、「言うまでもありません。病気を嗅ぐのが一番の得意でございます」と答えます。家来は、「それでは、この家の大切なお姫様が長いこと重い病になっているのに、医者も何の病という診断ができず、巫女や陰陽師も何の祟りと判断することができません。訳がわからない病を、嗅ぐことで何なのかとはっきりさせていただけますか」と頼みます。
 男は、「承知いたしました。何の祟りか、どういう病かということを簡単に嗅ぎ分けて差し上げます」と答えます。そこで、男を翌日御前に出すことにして、出仕のための衣装を袋に入れて与えましたので、男は、その地にある辻堂に入り、夜が明けたらば衣装の入った袋を持って逃げようと思い、伏せっていました。
 すると、真夜中頃に、「匂いを嗅ぎ分ける方にお話があります」と恐ろしい声がします。男は誰だろうと思いながら、「ここにいます」と答えました。声はさらに、「あなたが、明日、姫君の病気の様子を嗅ぎ分ける方でいらっしゃいますか」と言いますので、「左様です」と答えました。
 不思議な声は、「あなたに申し上げることがございまして、参りました。この地の郡司の姫君様の御病気は、何かが仇や悪事をなそうと思ってしたことではありません。私は、姫君様の寝所の地面七尺下に埋められております蟇蛙でございます。この地中で、夏は暑さに、冬は寒さに責められておりますので、地上に出て、日にも当たり、涼しい風にも当たりたいと思っております。このお私のこの苦痛がいつしか、姫君様の病気となって苦しませ申し上げているのです。明日、私はきっと、あなたに嗅ぎ出されてしまうでしょう。なにとぞ、私を叩き殺さずに、命長らえさせてください。私の地上に出たいという長年の願いが叶って、涼しい風にも当たれましたら、私は、あなたの永劫の守護神とならせていただきます。なにとぞ、このような事情を御賢察ください。私は、このことを申し上げたく存じて、ここまで参りました。私の姿はあやしいですが、いささか通力を持っている者でございます。今から後も、あなたの身の上に大事がある時は、お知らせいたしましょう。そのように計らっていただけましたなら、郡司様からの御愛顧も受けられ、人々への思いやりの心を持つ立場の方となりましょう」と物語りました。
 男はその時、これは良いことを聞いたと思い、「明日、お前を嗅いで掘り出し、さんざんに切り捨てようと思っていたけれども、そのように訪ねてきて言うのは神妙であるから、よしよし、神殿を作ってお前を祀ってやろう。お前は、言う通りの存在になって、私に将来の万事を悟らせせなさい。また、私が嗅いで解ることがあれば、こちらからもお前に知らせてやろう。供養は念入りにしてやる」と言いましたので、蟇蛙は喜んで帰って行きました。
 さて、翌日、姫君の寝所の下を七尺掘って、蟇蛙を取り出したところ、それきり、姫君の病気は治ってしまった。
 郡司は姫君の病気全快を喜んで、男をすぐに姫君の聟としました。とても富み栄え、約束通り、蟇蛙のための拝殿を設けた立派な神殿を建てて、神楽、不断の法華経読誦、神拝などを他のしかるべき神社と同等に立派に行ったと申します。

解説というほどではないですが、類話のお話
 嗅ぐという能力など全く持たない男が、たまたま目にした布消失事件の真相をもとに、はったりをきかせて成功します。ここで出仕用の衣装が与えられますから、観音様は早速男の願いを叶えてくださったのです。しかし、鼻が利くという噓のために病気の原因究明という第二の難題解決をもちかけられて危機に陥ります。ところが、幸運にもその能力が本物と誤解されて、難問の方から解決法が示され、最終的に幸運をつかむという話で、この筋立ては、落語「御神酒徳利」に影響を与えているのでしょうか。
 まず、「御神酒徳利」のあらすじを記します。
 ある宿屋で、番頭が大掃除の時に、拝領の徳利が放置されていたので、なくなるといけないと思って水甕の中に沈めました。大掃除が終わったが徳利が見えず、店は大騒動になります。番頭が帰宅して、水甕に入れたのを失念していたことを思い出しますが、今さら言い出せません。そこで、女房の入れ知恵で、全く心得のない占いで見つけることにして、成功しました。この話を泊まり合わせた大坂の客が知り、番頭に娘の病を占って治してくれと頼みます。番頭は断ることができず、二人は大坂への旅に出ます。途中、神奈川の宿で、その宿の泊まり客の財布が紛失する事件があったのを占うことになり、何もできない番頭は逃げ支度をします。その夜中、財布を隠した女中が密かに逃げ支度の番頭に名乗り出て、無事に財布の所在が知れ、番頭は逃げなくても良くなりました。番頭は女中が孝心ゆえに財布を隠した事情を聞いて女中をかばい、罪をその家の稲荷のせいにして大坂へ出立します。番頭は大坂で一心に精進潔斎をしていると、神奈川宿の稲荷が現れ、番頭のお蔭で霊験あらたかな神社となり栄えているので礼をすると告げ、この家のある柱の下に観音像が埋まっているのが病の原因であると神託をして去ります。神託通りに像を掘り出すと、娘の病気は快癒して、番頭は謝礼を手にして、夫婦は安楽な暮らしを送ります。
 「蛙の草紙」と「御神酒徳利」の二つの話を比べると、「牛が布を食べるのを見ていた」と「御神酒徳利を水甕に入れた」 という形で、共に真相を知っていて、真相解明の方法が、「嗅ぎ出す」から「占いをする」になっています。二つ目の難題には、当然ながら解決するすべを持たず、その場から逃げようとします。ところが、そのところに舞い込む幸運は、主人公画力を持っていると誤解されての「蟇蛙の来訪」と「女中の懺悔」で、その結果もたらされる難題であった病気の原因の解決は、「蟇蛙の掘り出し」が「観音像の掘り出し」になっています。このように二つの作品は重なっていますが、この類似についての論究はどこかにあるのでしょうか。
 念のために付け加えます。「御神酒徳利」とほぼ同じで、若干別系統の咄として「占い八百屋」があります。これは、占いをするのが番頭と八百屋という違いと、旅に出るのが、病気の平癒と紛失物の詮議と違っています。この後、神奈川宿までは同一の展開をみせます。財布の行方が判明してから話が変わります。八百屋の占いの評判が高くなり、多くの人が占ってくれと神奈川宿に詰めかけ、八百屋はもとより占い知らないので進退きわまり、とうとう逃げ出してしまいます。八百屋を探しに行った宿の主が「今度は先生が紛失しました」という落ちになって咄は終わり、八百屋の旅の目的が紛失物の探索ですから、掘り出しの部分はありません。
 嗅ぐという能力を使う咄には、「御神酒徳利」「占い八百屋」とは別に、現在はあまり聞くことがない「鼻利き源兵衛」があります。これもあらすじを記しておきます。
 八百屋の源兵衛は、何を思ったか、大きな建物を借りて店を構えましたが、実際に仕事がないのでただ外を見ています。すると、 向かいの店に珍しい布の鑑定が持ち込まれました。その店では布の名がわからないので、その布を軒先に掲げておきました。風が吹いて布が飛び、落ちた場所を源兵衛一人が見ていました。向かいの店では布の紛失に大騒ぎをしているので、源兵衛は紛失物を嗅ぎ出せると言って、布を拾い出します。すると、鼻利きの評判が立ち、それが向かいの店の京都の本店まで伝わり、本店から、出入り先の公家の家で和歌色紙が紛失したので探してほしいという頼みが来ました。仕方なく京都に上った源兵衛は、あちこち嗅ぎ回ったが、わかるはずがありません。歩きくたびれて、庭の木の根につまずいたら、その木の洞穴に盗人が隠れていて、色紙も無事見つかりました。源兵衛はこの盗人を助けてやるから当分隠れているようにと命じておいて、色紙を嗅ぎ出したことにしました。源兵衛は嗅ぎ出した褒美に吉野に御殿を拝領し、世間の人は、源兵衛の鼻利きを賞賛し、どんな鼻か見たいと評判しました。「そんなに見たいか、鼻(花)が見たけりゃ吉野へござれ」。
 こちらは「嗅ぎ出す」という方法が同じで、「通りかかったところで牛が食べた布」が「向かいの店の風で飛んだ布」で布が共通ですが、第二の難問解決が、偶然のつまずきによっての幸運となっていて、嗅ぐ能力の誤解によって先方から幸運が来るという形ではありません。
 以上、類話を述べました。結果として、「御神酒徳利」が最も「蛙の草紙」に近いと言えます。