鏡男絵巻 福福亭とん平の意訳

 鏡の無い国のお話を意訳します。最後にご参考までに落語だけを付けておきます。その他の関連作品はお探しください。
 
  鏡男絵巻
 

 昔、近江の国の山奥の里に、貧しい男が住んでいました。男は、これまで都の文物を見ていないのは残念だと、都へ上りました。都では、最初に四条町通へ行ったところ、多くの商人がいろいろな商品を並べて置いてある中に、鏡がありました。鏡というものは、その頃に熊野の地から広まって、都だけにありましたので、この男が知るわけもありません。男が鏡を不思議なものと思って手に取ってみると、ぴかぴか光って丸い品です。鏡を覗き込んで見ると、きれいな女性やいろいろの立派な物が映っているので、この丸い物の中に全部あるのだなと思って、「この丸い物を買おう」と言いました。商人はこの男の様子をおかしく思って、「値段は千両」と言ったところ、男はすぐに黄金千両を取り出して買い取って行きました。
 男は我が家に帰って、丸い物の中に美しい女性やいろいろの宝物を手に入れたと、母や女房にも見せたいと思いましたが、いやいや、見せるのに良い折があるだろうと思い直して、鏡を唐櫃の中に大事にしまっておきました。女房はその様子を見とがめ、男の様子が怪しいので、男の留守を待ち受けて物を取り出して見ると、とても光って丸い物でありました。覗き込んで見れば、女がいます。やはり考えたとおり、男は女を都から連れ帰って隠しおいたのだ、腹が立つ、口惜しいと思って女房は母を呼んで、「これをご覧なさい、都から女を連れて来たんです。恨めしいことです」と言って泣きました。
 そこへ男が山から帰ってきました。女房は青い顔で気色ばんで、わなわなと震えながら、片膝を立てて男に言うことには、「あなたが都から迎えてきなされた女性を、大切にしてもてなそうと思って、その用意をしましたが、あなたのやり方はまことによろしくありません。あなたの年齢から考えたら恥ずかしいこと、恨めしい、恨めしい」と、胸も露わにして叩きながら泣き叫びます。
 男は、何か言い訳すれば、女房がますますやかましく大声を出し、近所の人々に聞かれてしまうのも恥ずかしいので、腰を下ろしてしょんぼりうつむいて、じっくりと考えるのには、この丸い物がある間、家の中が平安ではない、とにかくこの丸い物が私の敵だ、やっつけてしまえと思い至り、先祖代々伝わってきた太刀を取り出して、さんざんに切り砕いてしまいました。女房と母は、男の太刀を振るう勢いに恐れをなして、どことも知れず逃げ出してしまいました。
 男は汗だらけになって丸い物を粉々に切り砕いて、うまく片付けたと思って丸い物の破片を見ると、一つ一つのかけらに人間の顔が見えるので、これはきっと化け物に間違いないと総毛立って恐ろしくなりました。男は、しばらく俵に腰を掛けて汗を押し拭って息を整えていましたが、刀では退治できないと、重籐の弓(下地を黒漆塗りにして白い籐を幾重にも巻いた弓)に山鳥の尾羽を付けた矢を番え、思い切り射て、これならば化け物も弱ったであろうと思って、そろそろと近寄って見れば、全く変わった様子がありません。男は呆然として、化け物退治の評判をとるのも命あってのものだと、すぐさま大急ぎでどこを目当てと言うこともなく逃げ出しましたが、ずうと光り輝く物に跡から追われるような気になって、野越え山越え行くうちに、深い山中に入りました。
 夜更けになったので、呼子鳥の声も聞こえず、ただ松風の音や谷の水音だけが聞こえて、ぼんやりとしてしまいました。冷気が感じられて、夢から覚めたような気持ちです。遥かに谷の方に目をやると灯りが見え、それを頼りにして、茨や薄を掻き分け掻き分けしてその所に行き着くますと、苔むした岩がそびえ、大木が立ち並んでいる奥に、人の住みかのようなものがありました。
 辿り着いて、この家に声を掛けると、四十歳ほどの左右に巻き髪が垂れた女性が静かに出てきて、「この所は、普通の人が来られる場所ではありません。何用があって来たのですか」と言います。男が、「実は、道に迷って、どちらに行けば良いのか一向に分からないもので、夜が明けるまでここに置いてくださいませんか」と言いますと「それでは、こちらへお入りなさい」と言って中へ入れてくれました。家の中の様子を見ると、明るく広々として何ともいえない良い部屋です。柱や梁は煙に煤けていて、黒漆を塗ったようです。家の奥の方を見ると、綺麗な女性たちが美しい衣装を着て、大勢働いています。そのそばには、白鼠が何匹も出てきて遊んでいるのです。不思議だと見ていると、果物が出され、その後に最前の女性が出てきて、「ここは、男性がいなくて、女性だけが住む里で、隠れ里とも、また亀が谷とも申します。時々は竹生島の弁財天(物語の舞台が近江国であるから、琵琶湖の北部にある島に祀られている弁財天)もお出でになる、めでたいところです。また、この所に男性が立ち入るのは吉事なのです。あなたに宝物を差し上げましょう」と言って、不老不死の薬に、砂金をたくさん添えて出しました。女性が、「このことは決して人に語ってはいけません。夜が明けないうちにお帰りなさい。谷の流れに沿って、どこまでも行きなさい」と教えてくれましたので、男はその教えの通りにして自分の住む里に帰り、逃げ出した母と女房を探し出し、不老不死の薬や砂金を与えたので、寿命は長く、子もたくさんできて、豊かな暮らしをし、子孫もたくさんに増えき、めでたく栄えたのでした。


  鏡の無い国という話では、落語『松山鏡』があります。
 この咄は、母に孝を尽くした息子が孝行の褒美に死んだ父親に会わせてほしいと代官に頼みます。困った代官は、息子が父親にそっくりなのを確かめて、国庁にある鏡を他人に見せてはならぬと言って与えます。息子は鏡を女房にも隠して朝晩父親の映る鏡に挨拶をしていますが、その行動を疑った女房が鏡を見て、女を隠していると言って夫婦喧嘩になります。この喧嘩を村の尼さんが仲裁に来て鏡を覗き込み、「中の女は恥ずかしいと思って尼になった」というものです。
 八代目桂文楽による『松山鏡』のマクラを添えます。
江戸見物に出てきた鏡の無い国の一行、鏡屋の前で「御かがみみせ(鏡店)所」という看板を見て、「見ろや、おんかかみせどころと書いてある、うちのかか(嬶)は在所(くに)にいるのに不思議なこんだ」とみんなで見て国に帰って行きました。翌年、また江戸見物に出た一行、前年のことを思い出し、「ここにかかを見せる店があったな」と訪ねて来ましたが、鏡の店は引っ越して、跡に三味線屋が出ていました。「ここだと思って来たが、ないな」と探していると、一人が、「こりゃあだみ(駄目)だ、看板を見ろや、ことしやみせん(琴、三味線・今年ゃ見せん)と書いてある」。