証空、師の命に替る事(泣不動縁起) 福福亭とん平の意訳

  証空、師の命に替る事


 昔、三井寺に智興内供という尊い方がいました。年を取って、どういう因縁か病気になって、重篤な様子になりましたので、弟子たちが集まって泣き悲しんでいました。その時に、安倍晴明という神のような陰陽師がこの様子を見て、「この度の様子はご寿命です。どのようにしても無理です。それでも、お気持ちのあるお弟子さんの中で、『身代わりになりましょう』とお思いになる方がいらっしゃれば、替わるように祈って差し上げましょう。それ以外の方法は、私の力の及ぶところではありません」と言いました。
 大勢の弟子たちが集まっているところで、智興内供はこの話を聞いて、病苦に苦しいところでありましたが、「ひょっとして、替わってくれる弟子があるか」と、並んでいる弟子たちを見回しましたが、口では言っても実際には惜しい命ですので、みなみな素知らぬ顔をして伏し目になり、「私が替わりましょう」と思っている様子は誰一人ありませんでした。
 その時、弟子の中に証空阿闍梨という年若い人がいました。弟子として末席の人でしたので、誰も思いもしませんでしたが、人々の中から進み出て、内供に、「私が替わらせていただきます。その訳は、人としてのあり方を重んじて命を軽くするのは、師にお仕えする法だからです。この理を聞いていながら身命を惜しむことがございましょうか。無駄に過ごしてしまう身を、今、過去、現在、未来三世の諸仏に捧げて、人として生まれた思い出といたしましょう。同情は全くいりません。八十八になる母が健在で、私より他に子がいません。母に道理をきちんと言い聞かせてくるお許しをいただきます。私が命を捨てるだけでなく、二人とも死んでしまいますので、お時間をいただいて、家に帰ってきます」と言って、その座を立ちました。証空の言葉を聞いた人々は、内供を始めとして、皆、心打たれて涙を流しました。
 証空は母の所に帰って、このいきさつを話しました。「どうかお嘆きなさいますな。私が命永らえて、お母様の願い通りにあなたの後世を弔っても、このたびほどの大きな功徳を作ることは難しいことです。今、師の恩を重く思って師の命に替われば、三世の諸々の仏たちも憐れみを垂れ、天地の総てが共感してくれるでしょう。その功徳を集めて、お母様の後世菩提を祈るもとといたしましょう。これが子としての真実の孝養でございますから、この賤しい身をここで捨てて、師とお母さまの恩に応えましょう。まして、老少不定と言うことがございます。もしも、なにもしないで命が尽きてお母さまより先に死ぬことになりまして、その時に悔やんでも何になりましょう。何を人として生まれたこの世の思い出にいたしましょうか」と、証空が泣きながら言うのを聞いて、母は涙を流して驚き悲しむのももっともなことです。
 母は「私の愚かな心では、功徳が多くあるようにも思えません。あなたが幼い頃は私に育てられました。私が年を取り、老人になってからは、総てあなたを頼りに思っていました。私の残りの命が、今日か明日かともわからない時に、あなたがこの私を捨てて自ら先立とうとしていることが、とても悲しいけれど、あなたの決心が堅いことを思うと、師匠の命の身代わりになれば、あなたの後世安楽は疑いがないです。もしも、このことを許さなければ、仏も愚かだとお思いになり、あなたのお気持ちにも背くでしょう。本当に、老少不定の命で、思えば、老少いずれが先立つか、夢幻のことです。大切なのはあなたの心です。早く浄土に生まれて、私を救ってください」と言います。母が涙を押さえてこう言いましたので、証空は涙ながらも、喜んで寺に帰りました。すぐさま、歳と名を書いて、晴明の元へ届けさせますと、晴明は、今夜二人の寿命を祈り替えましょうと答えました。
 さて、夜がだんだん更けて行くにつれて、この証空は頭痛がして、気持ちが悪くなり、熱が出てきて、とても苦しくなってきたので、自分の部屋に行って、見られては困る手紙などを整理して、長年大切に祈りを捧げてきた不動尊の絵像に向かって、「私は年が若い盛りの時なので命が惜しくないということはございませんが、師恩の深さをありがたく思うゆえに、今はもう、師の寿命に替わろうといたします。修行を積むことが少ないので、後世がどうなるか、とても恐ろしいのです。不動明王様、お願いでございます、どうか私に憐れみを施して、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落とさないでください。病の苦しみが身に迫ってもはや一時も耐えることができません。不動様を拝み申し上げることは今ばかりでございます」と涙ながらに言います。
 その時、絵に描かれた不動様は両の眼から血の涙を流して、「そなたは師に替わる。私はそなたに替わろう」と仰るお声が証空の骨身に沁み、心に応えます。証空は、「お聞き届けくださった」と両手を合わせて、不動様を念じている間に、汗が流れていた熱い身が冷めて、すぐさま爽やかな心地になりました。
 智興内供もその日から病が快方に向かいましたので、たいしたことだと思いました。後には、証空を他の人より頼りにする弟子として扱いました。
 その不動尊の絵像は伝来の後、今は白河院にございます。常住院の泣不動と言うのはこれです。御目から涙を流された痕跡が、今もはっきりと見えるということです。
 証空阿闍梨という方は、空也上人の臂が折れ、それを余慶僧正が祈って治した時に、「仏法の素質のある者である」と空也上人が僧正の許へ送った小童でございます。
 

 この話は、『発心集』『宇治拾遺物語』にあります。「不動利益縁起」「泣不動縁起」という別名もあります。絵巻も作られていて、絵巻では証空の身代わりとなった不動が、縄で縛られて縁魔王の前に引き出され、驚いた縁魔王が不動にお引き取りを願うという場面が加えられています。