さざれ石 福福亭とん平の意訳

 さざれ石

 さて、我が国の人間天皇の始めの神武天皇から十三代に当たる天皇様を、成務天皇と申し上げます。この天皇様の御世は、この上ないすばらしいものでいらっしゃいます。天皇様は年が若くいらっしゃる時は、左右の大臣が代わりに政務をお執りになりましたが、成人された後には、政務を自らなされる賢い方になられました。おかげで国の作物も豊かに実り、人々の暮らしも豊かで、国中は静かに治まり、何の心配もなく穏やかでございました。
 そのような時、この天皇様には男女合わせて三十八人のお子様がいらっしゃいました。三十六番目の御子様は、姫宮でいらっしゃいました。数えられないほど多くの御子様の末の姫でありますので、そのお名前をさざれ石の宮と名付けられました。その御姿の美しいことは、この上ありません。その御姿はどこにも非の打ち所がありませんので、天皇様はとても可愛がられ、人々に大切に大切にお世話をさせました。
 その後、姫様は成長なさって十四歳になられましたので、時の摂政左大臣のもとにお嫁入りされることに決まりました。そこで、日を定めて、行列の車を美しく連ねて、摂政様の元へとお嫁入りになられました。こうしてさざれ石の宮様は、摂政様の奥様となられました。このようにして、国中の人々は宮様をとても敬い慕いました。また、天皇様がこのご一家を他に並ぶものがいないほどに重用されました。
 このようにして日々が過ぎてゆくうちに、さざれ石の宮様がお思いになることには、しみじみと世の中の移ろいを考えると、生きている者が生き長らえるということはない。命ある者は必ず滅びるということから流れられる人はない。かたつむりの角の上のような小さい世界で何を争い、石を打ち合わせ出る一瞬の光のように、短い人生の時に輝く月を楽しんでも、月は夜明けの雲に隠れるように、消えてしまう。一切衆生の生死輪廻するする世の尤も尊い存在である釈迦牟尼如来様でも,生死の掟らは逃れられなかった。一呼吸する短い時間にも人はどうなるかわからない世の中に、何もしないままで来世の王城を願わないで、命が終わる時にただしおしおと力なく一人で冥土に行くときに、いくら位にあっても、役人も一般の人も誰も付き従う役人もことはできない。冥土で地獄の獄卒たちに責められた時に、過去の罪を反省しても取り返すことはできない。私はひたする後世の往生を祈ろうとお思いになったのは、世になく尊いことでございました。
 この宮様のお気持ちを天皇様がお聞きになって、夫の摂政様をお呼びになって、お確かめになったところ、摂政様はさざれ石の宮様が深く後世の往生を願っておいでのことをお答え申し上げましたので、多くのお子様の中で、さざれ石の宮様がこのように後世を願われるのは、めったにない尊いこととお思いになりました。
 この後、さざれ石の宮様は、浄土は四方に多くあるけれども、取り分けて女性が後世を願うのにふさわしい浄土は、東方浄瑠璃世界であると思い定められて、いつも気を緩めることなく、「南無瑠璃光如来」と唱えられます。朝夕にご自分の手で仏前に香と花をお供えになって、薬師仏の御経を十二巻ずつお読みになります。
 ある夕暮れのこと、さざれ石の宮様が月の出る東の方をじっと御覧になって、私が来世に生まれる浄土はあちらであるとお思いになり、少し不安な様子で力なくお立ちになっていると、そこに空中からひとかたまりの白い雲が降りてきました。妙なことと思ってそちらを御覧になると、黄金でできた宝の冠を頭に載せた官人が宮の近くへやって来て、さざれ石の宮様に瑠璃でできた壺を捧げ、「私は、東方浄瑠璃世界の薬師仏のお使いの宮比蘿大将と言う者です。この壺の中には良い薬があります。これは、不老不死の薬です。お召し上がりになれば、お年も取らず、嫌なお気持ちになることもなく、いついつまでもお若い盛りの御姿で、日々をお過ごしになることができます。今日からはますます信心に力を入れて、朝夕のお勤めを怠ることなく、薬師様を信じなさい」と言って、たちまちそのお姿を消してしまいました。
 さて、さざれ石の宮様はこの瑠璃の薬壺を受け取られて、「ああ、ありがたいこと、この年月薬師様をお祈りしているお蔭ですね」と三度高く捧げて、いただいた薬を口にされてみると、その味のよろしいことは、この世に譬えるもののないほどの佳い味わいでした。
 その後に、宮様がこの薬壺をじっくりと御覧になると、青白い色の梵字が書かれていました。宮は妙だなと思ってその文字を読み解いてみると、和歌でありました。
  君が世はちよにやちよにさざれいしのいはほとなりてこけの生すまで
  (あなたの御寿命は千年も八千年もというように、いついつまでも続きます、小さな小石が寄り集まって苔の生える大きな大きな岩となるまでの長さです)
とありました。これは薬師如来のお詠みになった歌です。さざれ石の宮様は、ああ、ありがたい、それでは、薬師如来様の御恵みとしてこのような佳い薬をくだされた、ありがたいことよ。しかもお歌の中にこのように私の名を詠み入れてくださるとは、この上ないことですとお思いになって、その後、お名前を「さざれ石の宮」から「いはほ(巌)の宮」と改められました。そして、それから後、宮様の薬師様を念ずる心はますます深くなりまして、そのお心はこの上ない尊いものでございました。
 こうしていはほの宮様は日々を暮らしていらっしゃいましたが、その間、少しも悲しい思いをすることもなく、少しも変わらない若々しい姿で、豊かに楽しく過ごしていらっしゃいました。ということで、この宮様の御寿命が長くいらっしゃったことは、全部で百余歳になりました。その期間の代々の天皇様をここに書きますと、
  成務天皇仲哀天皇、神功天皇応神天皇仁徳天皇履中天皇反正天皇允恭天皇安康天皇雄略天皇清寧天皇
合わせて十一代の天皇様の御代の間を通して、少しも変わらない御姿で元気に過ごされたのはめでたいことでございました。薬師如来様は、宮様の所へ時々にお出でになりまして、浄土の素晴らしい様子をたくさんにお説きになりました。
 こうして年月が過ぎて行きまして、ある年の秋の始めのことでしたが、いはほの宮様は仏前に向かわれて、お灯(あか)りを上げて読経をされ、結びに薬師如来真言を唱えますと、もったいないことに薬師如来様が突然に輝く姿で御降臨され、宮様に向かわれて、「どうなのですか、あなたは今日まで何を考えてこのような穢れ多い世界に気持ちを遺しているのですか。仮に何事も叶う天皇の位にいるとしても、人間としての楽しみはほんの少しのことです。その上、いろいろな苦しみに囚われることは次々とあります。こんないやな世界の苦しみを身に受けて、何ができましょうか。本当に頼り無いことです。この地でつらいことに遭うよりも、早く私の浄土においでなさい。お連れしましょう」と仰いました。その御声はとても尊く、心地良かったので、宮様は、この御言葉をありがたくも、また、もったいなくも思われて、ただ喜びの涙をお流しになるだけでした。
 しばらく後に薬師如来が落ち着いた声で、「さて、私が住む浄土の浄瑠璃世界の様子をおおよそお話ししよう。まず、浄土の土地は皆瑠璃で出来ている。銀の垣根、金の瓦、垂木が瑪瑙と珊瑚で出来た建物が並び建っていて、八十の城、三十の城門、五十の宝塔が建ち、七宝宝珠をちりばめていて、朝日夕日の光に輝く建物が並び、きらきらと光っている。その世界の中にそなたを連れて行こう。浄土は七宝で出来た蓮華の上に、玉の宝殿をきらびやかに建て並べておいた。その建物に銀の瓦と金の扉を付けてある。建物には玉の簾、うちわ形の金属製の飾り、美しく垂らす飾り、垂らした五色の布が風に靡いてゆらゆらと揺れている。そして、きらきらしい光に満ちた錦の衣に身を飾って、衣冠をきちんと漬けた菩薩たちが私の左右に生前と座している。そしてまた、十二神将はその座の左右に分かれて立って、この世の仏道に妨げをする魔王を退治しようと、常にwが浄土を守っているのである。その浄土で味わう様々な食物は、昼夜いつでも食することができる。何事もあらゆる事が心のままに叶う世界であるのだから、そなたはどうして、いつまでもこの世界にいて無駄な時を過ごしているのだろうか。今はもはや、そなたの身を私の浄土に移して、この上無い楽しみを得させよう」と仰られて、宮様をその身のままで導き、薬師如来といはほの宮様は白雲にお乗りになって、東の浄瑠璃浄土を指して飛んで行かれたのはまことにありがたいことでございました。
 さて、その後に、世間の人々はこのいはほの宮様が浄瑠璃世界に移られたのを見て、このようなこともあるものなのだな、本当に素晴らしい宮様でありましたなと、宮様の去って行った東の空を拝んで、感動の涙を流さない者はいませんでした。この一連のことをよくよく考えてみると、宮様がいつまでもお年を取った姿にならなかったのは、以前に不老不死の薬を口にされた効能であったということです。はるか彼方のこの代が起こった昔から現代に至るまで、聞いたことも見たこともない出来事でございました。
 この話を見聞きする人は、朝夕、「南無薬師瑠璃光如来」とお唱えなさるのがよろしいのです。