熊野の本地 前編 福福亭とん平の意訳

熊野の本地  前編

 さて、人間界である南閻浮提の大日本の都から南の紀伊国に大神がいらっしゃいまして、熊野の権現と申し上げます。とても霊験あらたかでいらっしゃり、御恵みは我が国の外までもご利益を施して、生きとし生けるものの願いを叶えてくださることは限りがありません。
 その神様の由来をお調べして申し上げると、、もとは中天竺摩訶陀国の大王でいらっしゃいます。お名前を善財王と申し上げます。この王様は前世からの巡り合わせがめでたく、后を千人までお持ちになりましたが、一人も王子がお出来にならないので、位を譲られる方いらっしゃいません。王様が歎き悲しまれることはこの上ありません。
 ある時、大王様は、庭先の木に鳥が集まって巣を作り、子を温めて世話をしているのを御覧になって、自分はこの大国の王であるけれども王子がいないということを朝晩お嘆きなっていました。そのようなところ、千人の后のうちにせんこう女御という方が五衰殿という宮にいらっしゃいましたが、大王のご寵愛がなくて大王がこの宮においでになることがありませんでした。女五はこのことを悲しんで、宮の中に持仏堂を建てて十一面観音を本尊として安置して、毎日御経を三十三巻読み、三千三百三十三度の礼拝を捧げて、「大王様がもう一度この宮へおいでになりますように」と、全身全霊を籠めて御祈りをいたしましたところ、実に観音様のお慈悲のおかげなのでありましょうか、残る九百九十九人の后よりも姿容が美しく見えましたので、大王が女御の五衰殿にお出ましになりました。
 さて五衰殿の女御は長年の願いが叶って大王のお出ましが重なって、ご様子が普段通りではなくなり、乳母を呼んでこのようだと仰ると、乳母はとても喜んで、「千人の后の中で一番に優れた立場になられて、王子様をご懐妊されるめでたさです」と申し上げて、急いで大王に申し上げると、大王はこれをお聞きになって、ご機嫌がとても麗しくなられて、すぐさま五衰殿へとお出ましになりましたので、残りの九百九十九人の后たちは一堂に集まって、「五衰殿の懐胎は怪しいものだ」と言って、妬むことはこの上ありません。
 后たちの中でも、蓮華夫人という后が、「皆が気持ちを一つにして、この世にある暴悪な神仏に祈って、あの五衰殿の腹にある王子を呪い殺してやろうではないか」と言いましたので、それぞれの后たちは思い思いに祈りをして、その怨念の恐ろしさは譬えようがありません。そのような時に、ある人が、「近所に優れた占いの博士がいます。呼んで王子のことを占わせなさい」と言いましたので、后たちはすぐに博士を呼んで、「五衰殿の懐妊は、王子か姫宮か、賢明な王になるのか、悪逆な王として生まれるのか、占って申せ」と言うと、博士は算木を並べて、占いの書と照らし合わせて、「王子でいらっしゃいまして、お生まれになった朝から七宝の宝が降り注ぎ、三歳の春の頃から天下をお治めになるでしょう」と申し上げると、后たちは一度に声を上げて、天を仰いだり、地を転げ回って、妬み悲しむことは申しようがありません。
 后たちが、「これで五衰殿が皇后の位に就き、九百九十九人の見捨てられ女が誕生してしまうのですよ。博士様は何をお思いになってそのようなつれないことを仰るのですか」と言うと、「そうは仰っても、占いの結果にはっきりと出ているのです。」と答えます。后たちはこれを聞いて、「私たちが七日七晩王子のことを呪って祈ったのはどうなるの」と尋ねます。博士が、「愚かな仰りようです。五衰殿の女御は百日の間、法華経、とりわけ観音経をたゆまずにお読みになり、その信心の功徳によって懐妊された王子でいらっしゃるので、どのように呪いを掛けられても叶うことはありません。あの観音経の中にも『還着於本人(人を害そうとすると逆に我が身に降りかかる)』と説かれてありますから、お后様たちの身の上の方が危うく思えます」と答えると、后たちは、「そのようなことになると判っていたら、皆観世音菩薩を信じるものであるのに。ああ、無駄に過ごしてきた年月じゃなあ」と嘆きました。王の寵愛を受ける女御・更衣という高い位の方であっても、嫉妬ほど空しいことはありません。
 后たちは、「博士にお願いしているのですから、王子にとって悪い結果が出るように占ってください」と言いますと、博士は、「占い判断をする書にないことを言ったら、七代の末までこの道が絶え、眼が地に抜け落ちてしまいます。そんなことは決してできません。そのようなお頼みを伺うのも恐ろしいことです」と言いますと、后たちは、「おれでは我ら九百九十九人の女御が、鬼となってそなたをとり殺して、子孫を七代まで殺してやろう」と口々に言いますので、博士は、「本当に恐ろしいことじゃ」と思って、たとえ大王のご命令に背くとしても、今の命が消えることも、その上に七代までの子孫が殺されることも情けないことなので、とにかく后たちの言葉に従うということを言いました。
 后たちはとても喜び、衣を一重ずつ博士に与えて、「『五衰殿のお体に宿られた王子はお生まれになります。お歳が三歳にお成りになった時に、都に鬼神が来て人々を殺し、七歳になった時には、父である大王の首をお討ちになるでしょう』と占え」と教えて、后たちは五衰殿へと行きますと、大王は、「后たちが来たのはどうしたことであろうか」と仰いましたので、后たちは、「五衰殿のご懐妊をめでたいと存じ、お世話をするために参りました。お生まれになるお子様が男御子でいらっしゃるか、姫宮でいらっしゃるかを占わせるために、優れた占い者を連れて参りました」と申し上げると、大王は占い者をご覧になって、「それはめでたいことじゃ、ありのままに占いなさい」と仰せになりましたので、占い者は占いの書を開いて算木を置いて、お生まれになるのは男御子であるということを申し上げます。大王はもとより、左右の大臣を始めとして、公卿も殿上人もあらゆる役所の役人達も、雑務や警備の者に至るまで、宮中の皆が喜んで笑みを含みました。
 大王はこの結果を聞いてご機嫌麗しく、とても書き表せないほどでしたにので、后たちはこの様子を見て、「それでは、博士は教えた通りには言わなかったのだな」と思い、全員が厳しい表されたので、博士はとても驚いて、しばらく言葉に詰まりました。大王が「それでどうじゃ、どうじゃ」と仰るので、博士は后たちの方に目をやると、后たちがますます恐ろしい様子をしているので、后たちがいる場所に近寄って、「男御子ではいらっしゃいますが、お生まれになって三歳におなりになる時に、天から鬼神が下って来て宮中に暴れ込んで人々を皆殺しにし、七歳の時には父である大王様の御首を打ちなさると出ております」と申し上げます。すると王は、「よくぞ占った。この天竺の中でも、摩訶陀国という大国の王である身は、あまりおとなしくしていては、他の国からの侵略を受けることがあるであろう。乱暴な王ということになれば、他の国から軽く見られることはない。その上、常ならぬこの世であるから、生まれたその日その時に死ぬ者のいるのに、三歳まで生きるというのはめでたいことである。しかも、七歳まで育って親しく暮らすことができるのは嬉しいことじゃ」と仰って、大王のご機嫌はいつもに増して麗しかったので、后たちはあてがはずれて残念に思いました。
 その占いの日から、一日二日経って、后たちが一堂に集まって考え出した計略は恐ろしいものでした。「百歳の女を九百九十九人集めて、皆に赤い衣裳を着せて、笏を手に手に打ち叩かせて、二十日の月が沈んだ闇の夜に、大王のおいでになる五衰殿に無理矢理踊り込ませよう」というものであります。さて、もうその夜になりますと、九百九十九人の百歳の女たちが赤い着物を身に着け、いろいろの鬼の形になって五衰殿に押し入って、声を揃えて叫んだのは恐ろしい姿でした。「大王よ、さっさと内裏へお戻りなされ。お帰りにならなければ、宮中にいる人々を今夜の内に皆殺しにし、夜が明けたら大王の髪を摑んで天に上ろう」と叫びました。王はこの言葉をお聞きに鳴り、「ようやく思いがけず子を授かって嬉しかったのに、空から鬼が降ってきて宮中の人を殺そうとする悲しさよ。今は仕方がない、内裏へ帰ろう」と、五衰殿の女御に向かっては涙を押さえきれずに、内裏へとお帰りになりました。五衰殿の女御はとても心細い気持ちで、「これから先は、どれほど辛いことばかり重なってくるのであろう」とお嘆きになり、自らの力ではどうしようもない大王との別れの悲しさに世を恨み、涙を流しながら、このように、お詠みになりました。
  今よりはさぞ闇ならん我が宿に契りし月の光隔てて
  (今からはきっと闇のような日々なのでしょう。私のこの宮で王様と契りを交わした月の光も遠ざかってしまって)
 そのようなことの後、九百九十九人の后たちは、「大王を内裏へとお戻ししたことは、まさしく私たちの計略の結果だ」ととても喜びました。女ほど、考えが浅いように見えて、企みの底深いものはありません。后たちが皆集まって話し合うことには、「五衰殿の女御が出産された時に、鬼が天から降ってこなければ、私たちが占いの博士に頼み込んで、根も葉もない占い結果を示させたと、大王か公卿や殿上人までもが思うことは間違いない。この上は、すぐに五衰殿の女御を殺してしまおう」と決めて、一寸抜けば千人の首が落ち、二寸抜けば二千人の首が落ちるという討伐の剣を、大王に知られないようにして盗み出し、七人の武士を味方に引き入れて、「この剣で、五衰殿の女御の首を切って献上せよ』との王のご命令である。その場所は、都から南へ七日七夜行った稚児山の麓の鬼畜の谷、虎の岩屋の前にて行うように」と伝えました。七人の武士は、后たちが様々の言葉を尽くしていきさつを説いたので、すぐさま引き受けて、その後のことを考えもせずに、全員が勇んで出掛けたのは、情けないことでした。
 武士たちは五衰殿に来て、「『悪い王を懐妊されたので、あなたのお首をいただいて来るように』との大王のご命令です」と口々に叫びました。これに普段五衰殿に仕えていた人たちは皆逃げ出して一人も残る者がいなくなり、五衰殿の女御一人だけが残りましたので、その様子は、五衰殿の女御のお気持ちはどのうように哀しいものかと推察されて、お気の毒さはこの上ありません。身分の上下を問わず、「このような成り行きに」と女御に告げる人もいないので、どうしようもありません。女御は硯の墨を磨ろうとしましたが、涙があふれて硯がよく見えないので墨を磨ることが出来ず、指先を食い切って、ご自分の血でこのように、
  水茎の跡も見分かずなりにけり死出の山路の旅に急げば
  (筆の跡もはっきり見分けることができなくなりました。あの世への道を急ぐ身でありますから)
とお詠みになって、「ああ、昔から今に至るまで、女は訳の判らない嫉妬をして、恐ろしい計略を巡らして、人の命を奪う、なんとも情けないことですよ」とお嘆きになりますと、武士たちは、荒々しい声を上げて、「このことは大王のご命令に従ってここに来ているのだから、さっさとお出になってください」と、情け容赦なく美しい御殿に乱入します。五衰殿の女御は、自分の身が亡くなることは少しもお思いにならず、大王のことだけをお思いになって、「これは大王がおいでになる御殿です。どうして汚すのですか。さっさと出て行きなさい」と仰って、背丈と同じ長さの髪を揺らして流して、外にお出になるのもお気の毒です。玉の簾に長い髪が掛かって女御の動きを止めるのを、「心のない簾までも、私との名残を惜しんで引き止めようとするのに、どうして、長年身近で馴れ親しんだ女房たちが一人も見えないのだろう」と、涙はますます止まりません。
 さて、もはやどうしようもないので、女御は袂に落ちる涙を払って、歌一首をこのように、お詠みになります。
  玉簾掛けて馴れにし名残とて引かるる袖に涙落ちけり
  (玉簾が、掛けて馴れ親しんできた名残として引いた袖に涙が落ちたことよ)
掛かった髪を引いて玉簾と別れて、外にお出にると、七人の武士が女御を中に取り込んで進んで行くうちに、まことに、昔は立派な玉や金で飾った美しい御殿の中にいて、ほんの少し吹く風までも嫌い、玉を敷き詰めて金銀の砂まで敷いた庭を歩いて物思いにふけられたその方が、今日はそれに引き替えて、岩や木で険しい道を、裸足で歩き通して行かれます。五衰殿の女御は、あたかも天人の五衰のように夢から覚めた心地がします。「とてもお気の毒なことですが、王様のお決めになったことですので、何ともできません」と、荒々しい武士たちも心を柔らげて、同情の涙を流しました。女御は、「私は前世だ人が大事にしていた夫を奪った報いとして、この世でこのような報いを受けると思えば、誰かを恨む筋合いはありません。あるお経の中に、『現在の状況を見て、過去の原因を、また未来の結果を知る』とありますから、今はただ来世における私の罪はどうなのだろうと悲しいです」と仰って、泣きながら歩を進められました。
 これから先の道がまだ六日七夜の行程があるというのに、女御は全く慣れない旅のお疲れがあって、御足から血が流れ、お着物の裾も血で染めたようになって、道端に倒れ伏されましたので、武士が、「行く道はまだそれほど進んでいません。さっさとお歩きください」と言うと、女御はますます心細くお思いになり、「これからはもう歩いて行けるとは思えません。どこで命を取られるのも同じことです。ここで殺して、この路傍の露ともしてください」と仰いますと、武士は「歩けないのももっともだ」と思って、近所から馬を探し出して、これにお乗せ申し上げました。以前は、立派な玉の輿、花の車にだけ乗り慣れていらっしゃって、馬は今初めて乗るので、落ちることが何度もあります。気の毒さはこの上なく、屠所に引かれる羊のように行く馬の進みで、馬の足に任せてうちに、稚児産の麓の鬼畜の谷、虎の岩屋の前に着きました。
 五衰殿の女御は泣く泣く、「馬は、馬頭観音様の化身で、観音様は三十三にその姿を変えられ、人々の苦悩をお救いになります。私は八歳の時から、たゆむことなく観音様を念じてきたその信心の功が空しくならずに、この道中に馬と顕れて私を御助けになってくだされたありがたさよ、私が生まれ変わって仏となったなら、あなたの恩を深く報いましょう。神となったなら、あなたを神のお使い姫の一つとして大切にしましょう」としみじみとこの馬に話しかけられるのがお気の毒です。そこで、王の命を受けた使いである武士が鋭い討伐の剣を抜いて女御の首を切ろうとします。女御は、「しばらくお待ちなさい。私は毎日観音経を三十三度読んでいるのですが、今日はまだ読んでいません」と仰って、懐から経文を取り出してお読みになるそのお声は、極楽にいるという迦陵頻伽の声もこのようであろうかと素晴らしく聞こえます。暴虐な鬼は獣や、心ない木や石であってもこの女御のお読みになる観音経を聞くと、仏様と縁を結ぶことで、悟りへの思いを遂げることができ、それを祝福するように天人が天から下るのではないかと思われます。
 読経の後、女御は、「私の体の中に王子がいらっしゃる間は、どのように斬っても私の首は切れないでしょう」と仰います。そして自分の腹の中においでの王子に、「私が首を切られた後は、どうやって生まれることができましょうか。さあ、今すぐお生まれなさい」としみじみと語りかけられますと、王子はたちましお生まれになりました。母となった女御は、王子を上着でくるんんで、身の丈の長さの髪一結びを、王子を護る仏や神、三宝、山の神、さらに山の獣である虎や狼にも捧げて「王子をお守りください」と祈って、王子に向かって、「そなたに木の葉が落ち掛かる時は、母が着せる衣と思いなさい。萩や薄が掛かる時は、母がそなたに寄り添うと思いなさい」と、切々とお話しかけになられ、御遺言のように思われる歌を、
  孤児を伏せ置く山の麓をば嵐木枯し心して吹け
  (この身寄り頼りのない子を寝かせて置く山の麓、木枯らしよ、思いを汲んで強く吹かないでおくれ)
とお詠みになって、「私の身は首を切られたとしても、三石六斗の乳を含んだ乳房をここに遺してゆくのである。王子が三歳におなりになるまではこの乳で養い申し上げよう」と、今生まれたばかりの王子に向かって仰ることがお気の毒です。
 女御が、「さあ、武士たちよ、首をお取り」と仰ると、武士が剣を抜いて首を切ります。すると、女御の体はそばに置かれていた王子に飛び付いて乳房を含ませたのは、悲しいことでした。
武士たちはこの光景を見て、勇猛な心がとても弱くなり、「生きているということは、このような悲しくつらいことを見るものであるな」と嘆きました。
 つらい目を見ても、このままにいることはできないので、武士たちは女御の首を手にして、涙を流しながら都へと帰りました。その後、女御の遺骸は三石六斗の乳のある乳房を出して、王子をお育てします。昔から今まで、母の恩ほど深いことはありりますまい。身分の上下を問わず、その恩を忘れることなく孝行をするべきであります。
 さてさて、五衰殿の女御はただ今亡くなられたことは間違いありません。身分の上下を問わず、親子の恩愛の契りほど深いものはありますまい。女御が、胎内にいる王子をお育てするために八尺の黒髪を切り落として、上は梵天帝釈天、下は大地を司る地の神に至るまでのそれぞれに分けて手向けなさったことは素晴らしいことでした。「王子が三歳になるまでの間、王子をお守りください」とお祈りになり、「心ない獣も同じように子を愛して大切にするのが世の常なのだから、皆々も我が子を憐れと思って、王子をお守りくだされ」と願われましたら、まことに心ない獣たちも頭をうなだれて涙を流して聞き、朝晩交代しながら王子の傍にお仕えします。ある獣は木に登って木の実を採り、ある者は谷に下りて水を汲んで来、女御のご遺骸をお守りしてと、それぞれに王子を守り育て申し上げることが不思議であります。女御に何の咎もありませんのに、九百九十九人の后たちの偽りによって亡き者にされなさったことを、もろもろの仏菩薩も気の毒とお思いになり、獣たちも王子の世話に心を遣い、お傍に付いて王子をお守り申し上げました。