雪女物語
さても、第六十六代一条天皇の御代、天皇様が夢で不思議なお告げを受け、橘の朝臣道成卿を勅使として、三条小鍛冶宗近に、剣を打てとの命令を下されました。
道成卿はこの命を受けて、小鍛冶宗近を呼んで、「天皇様が、夢の中で不思議なお告げを受け、そなたに剣を打たせるのが良いとの仰せである。何はともあれ宮中に参れ」と申しつけられたので、宗近は「仰せは畏れ多く、後世への評判はこの上ないものでございますが、現在作刀の相槌を務められる者がおりません。これはいかがいたしたらよろしいでしょうか」と申し上げると、道成卿は、「名匠として名高い宗近のもとに相槌を打てる者がいないというのは、納得できない」と仰います。その仰せに宗近が「そうは仰いますが、相槌がいるからこそ、剣を打って差し上げられるのです」と、お受けするというはっきりとしたご返事を申し上げることができず、恥ずかしくて顔を赤くいたしました。道成卿が仰せは、「そなたが申すことはもっともだが、天皇様のもとに不思議な夢のお告げがあって、そなたを頼りに思っているのであるから、早々にお受けせよ」とあるので、宗近はお受けせざるを得なくなりました。
困ったことになったと言っても、今は平安に治められている御世であるから、万一の神仏のお力添えがあるのではないかと、それだけを心中に頼りにして、宗近はそのまますぐにお受けをして、とりあえず我が家へと立ち帰り、妻にことの顚末を語ります。すると、妻は、「これは重大なことをお命じになられたものです。このようなことは、神様のご助力をお願いしなければできません。氏神の稲荷の明神様に願いをかけてお祈りすれば、必ずお聞き届けくださいます。まずは、私が先にお参りしましょう。あなたは後からお参りなさいませ」と言って、下女一人を供に連れて。我が家を出て、東山の稲荷明神の宮へと急ぎました。
宗近の妻が急いで行く途中、東山法成寺の辺で、どこからともなく十六、七歳の童子が現れました。その姿をよくよく見ると、黒髪を後ろに流した散らし髪の美しい容貌で、目にも鮮やかな白綾織の小袖と、さまざまな秋の花を刺繍した白地の袴を着ています。この童子が宗近の妻に、「さて、あなたは、三条小鍛冶宗近のお連れ合いではありませんか」と問いかけました。妻は不思議に思って、私に恋文を贈ってくる人は多かったけれども、宗近の妻となった上は、たとえ冗談であっても、男といい加減な遣り取りをしてはいけないと思って、もう手紙の返事をしたことはないのに、それでは、この人は私に恋文を寄せた人で、私をここでさらって、どこかへ連れて行こうとしているのであろう、さて、この場をどうしようかと思いましたが、とりあえず相手が何を言うのか聞いてみようと、妻は、「私は上京今出川の辺の者ですが、稲荷の宮にお願いすることがあって、やって来たのです」と言うと、童子はこれを聞いて、「いやいや、何をお隠しになるのですか。恐れ多くも、天皇様から剣を打って差し出せよとの命を受けて、神様の力にすがろうと、今、稲荷の宮へとお参りに来ているのを、どうしてそのようにお隠しになるのですか」と言います。妻はこれを聞いて、ああ、不思議なことよ、天皇様からの命を受けたことはつい最前のことで、他に知る人があるはずはないのに、これは怪しいことだと心に深く思い、しばらくは物も言わずに恥ずかしくなっています。そのところに、稲荷参りと思われる内裏勤めのような女性が、男女のお供を大勢引き連れ、輿に乗って賑やかにお通りになります。その女性が、輿を進めるのをしばらく止めさせて、輿の御簾を持ち上げて、「これ、そこにいるのは、藤が枝ではないか」 と仰います。この宗近の妻というのは、和泉式部に宮仕えをしていた藤が枝という名の女です。この今は宗近の妻になっている藤が枝が御簾の間から声の主を見ると、以前仕えていた主の和泉式部様でしたので、男と立ち話をしている姿を見られたのを恥ずかしく思ったのでしょうか、藤が枝は赤い顔をして、「左様でございます、私は、稲荷参りをするところを、どこの誰とも知らないこの人に引き留められて、ほんの少しの間、ここにいるのです」と申し上げます。すると、和泉式部様は、「この人というのは誰のことじゃ。もう一人は、お前の連れている下女であろうに」と仰るので、藤が枝は、「私の後ろについているのは下女でございます。こちらの人がいろいろ仰るのです」と童子の袂をつかんで申し上げましたが、和泉式部様の目には、藤が枝と下女のたった二人だけで、童子の姿はお見えにならなかったので、不思議にお思いになって、このように歌をお詠みになりました。
たまほこの みちにやすらひ いなりやま やかんにちぎる ひとのあやしき
(道中で立ち止まる稲荷山、そこで狐と約束を交わす人の不思議さよ)
こうお詠みになって、和泉式部様は一行を出発させましたが、藤が枝はこの歌を聞いて、やはり知恵のある和泉式部様だから、私にいきさつをお教えになるのであろう、さては、この童子は、稲荷山の狐なのだと気付いて、動揺し、恐ろしくて何も言えなくなり、童子を振り切って行こうとすると、この童子は妻の袖を抑えて、「これ、あなたは私を畏れてはいけないのだよ。私は稲荷の末社の神の子狐であるが、大明神様からのお言いつけを受けて、あなたの為に来たのだ。そのお言いつけとは、『この度、天皇様のための御剣を打ち申し上げよとのことである。相槌の役としてこの子狐を遣わそう』ということである。神の助けがあると頼もしくお思いなさい」と言いますので、妻はこの言葉を聞いて、涙を流して神の助けのありがたさの大きさを感じて、手を合わせて童子を礼拝して、「ますますお力をお添えください」とお祈り申し上げると、童子はかき消すように姿を消してしまいました。
宗近の妻は夢から覚めたような気持ちがして、急いで稲荷にお参りして、一心に祈りを捧げ、真っ直ぐに家に帰り、宗近にいきさつを詳しく語ったところ、神の力添えはありがたいことだと思って、宗近も稲荷にお参りし、深くお願いをしました。
宗近が妻に言うことには、「天皇様の御剣という品に私ほどの者が制作に携わることは、まことにありがたいことである。あなたにその訳を語って聞かせよう。はるか昔、漢の高祖の三尺の剣というのは、剣がひとりでに敵を切り払ったので、敵はすぐに全滅した。また、その後、唐の玄宗皇帝の妃の楊貴妃は、三国一の美人であったので悪鬼が思いを掛けたために、楊貴妃は重い病に罹って寝たきりになってしまった。鍾馗大臣は亡くなった後も魂は皇帝にお仕えしていて、楊貴妃の重篤な病を鍾馗の魂が剣でずたずたに切ったので、楊貴妃の病は全快した。そうであるから、後の世でも、鍾馗の絵像を掛けると病が完治すると言って、鍾馗の絵を掛けるのもこのためである。我が国のはるか昔、倭建命が従わぬ者どもを平定する時に剣を振り上げて切り払われたところ、数万の敵がすぐに滅びてしまった。いま、私宗近が打ち申し上げる剣も、このような不思議の徴がなければ、御宝剣とはならないだろうと思っている時に、稲荷大明神がお力を添えてくださることは、ありがたいことだ」と、神の加護を頼もしく思いました。
さて、宗近は仰せに従って、吉日を選んで壇を築き、七重の注連縄を張って本尊の掛軸を掛け、自身は烏帽子直垂を着けて、御幣を捧げ、「神を仰いでお願い申し上げますことは、今私が刀作りの勅命を受けることは、私一人のことではございません。刀は、伊弉諾命、伊弉冉命が天の浮き橋の上に踏み渡られて、豊葦原の地を探られた時の御矛から始まりました。お願いすることは、自分の名誉のためではなく、遍く天下を治められる天皇様のご命令によるものです。でありますから、ありとあらゆる多くの神々様、今のこの私宗近に力をお与えください」と天を祈り上げ、頭を深く地に付け、幣を差し上げ、謹んでお願いいたしますと申し上げると、不思議なことに、天空から、「これ、宗近、御剣を打つべき時が満ちた、頼もしく思え」と声がありました。
宗近は、ありがたいと思い、剣を打とうと祈りの座を動けば、童子が壇の上に上がって、「さて、御剣の材の金は」と尋ねますので、宗近は畏れと喜びの心をもって、金を取り出し、ここを打てとの始めの鎚をはっしと打つと、童子もこれを受けてちょうと打ち、ちょうちょうと打ち続けた鎚の響きは、天地に響いて大きな音であります。こうして御剣を打ち上げ、表に小鍛冶宗近と銘を打ちます。童子は今打った剣の相槌なので、裏に小狐とはっきりと銘を打ったので、この剣を小狐丸とも申します。剣の刃紋は、雲を乱しているので、またの名を天の叢雲とも申します。天下第一で、二つ銘のある剣がこれであります。この後、天皇様は剣をご覧になって、たいそうお喜びになられ、小狐丸の御剣として、大切なお宝の一つになりました。
さて、この剣をお打たせになったのは、長徳元年四月の頃から都に伝染病がはやり、人が亡くなることが数えきれませんので、悪魔退治のために剣をお打たせになったということです。剣は六月下旬頃に完成し、その後、都の病気は終息して、人々は安心していたところに、同じ年の十一月の頃から、正体不明の化け物が出て、都の内外の人を捕まえて食うことが起きました。このことは、都中の人々が知るところになりましたので、天皇様のお耳に達し、公卿たちの評議の末、当時の武将、源の朝臣多田満仲公に、化け物を退治せよとの命が下りました。
満仲公はご下命をお受けし、真っ直ぐに家に帰って策を練り、家来に様子を見せに出しました。京童の話では、この化け物は、三十二相揃った世にまれな美人で、夜中時分に京の内外を巡って人を捕まえて食うと言います。雪の降る夜でなければ現れないということで、この化け物を雪女と京童が名付けました。昔、唐の国に、雪女という化け物がありましたので、それになぞらえて雪女と申します。我が国の雪女の始まりがこれです。
満仲公の家来で左衛門の丞と言う者が家来を一人連れて、雪の降る日の夜中に、都の町中をとぼとぼと見回って雪女を尋ねましたが、見つからなかったので、五条河原へ行ってみようとして河原を探して行くうちに、時は十一月の末の頃で、夜更けの月も冴え渡り、降りくる雪に袖を濡らしながら尋ねるところに、橋の向かいの河岸に、男か女かははっきりしない人影が見えました。それ、怪しの者よと思って左衛門の丞は足早に行って、近づいてその者を見ると、月の光の中に輝くばかりの女性が下女一人を供にして立ち止まっていましたので、左衛門の丞は、こんな夜更けに河原に女が立っているのはまさか人間ではなかろう、この者こそ疑いもなく化け物の雪女だと心中に思って刀を抜いて飛びかかると、女は東を指して逃げて行きます。左衛門の丞は二三町ほど追いかけて行きましたが姿を見失い、がっかりして力が抜けてしまいました。
左衛門の丞は、せめてもう一人の供の女だけでも捕まえようと思って元のところに戻りますと、左衛門の丞の家来が供の下女を捕まえて、高手小手に女を縛り上げて首かせを付けたところでした。左衛門の丞はこれを見て、「よく捕まえた。急いで連れて来い」と言って満仲公の館へと帰り、満仲公にお目にかけました。
満仲公は下女に、「これ女、お前を見ても一向に化け物とは見えないのであるが、いったい何者なのか。素直に申してみよ。少しでも嘘を言うならば、ずたずたに切り刻んでしまうぞ」と仰せになりました。すると下女は、「私は五条油小路に住む者でございますが、去る十八日、清水詣での帰りがけに賀茂川の五条河原で道に迷って、夜中頃まで河原のあたりを迷い歩いておりましたところに、上品な女性の一人歩きと出会いしました。その女性に、『私は今日、清水寺へお参りしての帰りに道に迷い、どちらに行って良いかわかりません、あなたはどうなさったのですか』と尋ねられました。そこで、『私も同様に道に迷いました』と隠さずに申し上げると、その女性が、『それは良い道連れです。では、一緒に帰りましょう』と仰るので、私も一人で恐ろしく感じられましたので、これは良い道連れができたと存じまして、『では、お供いたしましょう』と言って、あの女性と二人きり、どちらへ行くとも知らずに付いて行きますと、如意が嶽とかいう山の深い洞穴の中へ連れて行かれましたので、家へ帰ることもできず、それからずっと、毎晩あの女性のお供をして、都の内外を歩きました。この私は、全く怪しい化け物ではございません。命はお助けください」と、涙ながらに申しました。
満仲公は、女の話をお聞きになり、「それで、その上品な女性という者は、洞穴を住みかとしているのか」とお尋ねになられると、女が、「左様でございます」と答えます。満仲公が「それでは、どんな獣が化けて女性となるのだ」と仰ると、「年取った牝狸でございます」と申します。満仲公は下女の言葉をお聞きになり、この下女は人間に違いないとは思いましたが、「まずは、この女が申し立てている五条油小路の家に行って参れ」と仰せつけられ、すぐに使いの者が出かけて、この下女の母親を連れて戻ってきました。そこで満仲公が「あの女はお前の娘か」とお尋ねになると、母親は、「その通り、私の娘でございます」と申し上げました。満仲公がさらに詳しくお尋ねになると、娘の申し状に少しも違いません。それでは、この下女は人間に間違いないが、あの化け物を退治するまで、まだ聞くべきことがあるだろうと、そのまま満仲公の邸宅に留め置かれました。
さて、翌晩もまた雪が降りましたので、左衛門の丞は「今夜は必ず化け物を退治して参ります。もしもできなかった時は、二度とこちらへは戻って参りません」ときっぱりと言い切って、前夜の家来一人を連れて、都の南北を見回りました。
化け物が出て、探索も行われているという話が都中に広まりましたので、日が暮れてから出歩く者は一人もいません。左衛門の丞は住宅地から離れて、賀茂川の三条河原から南へ六条河原まで探索をしましたが、化け物に遇えませんでしたので、また河原を北向きに引き返して、さらに北の今出川の河原まであちこちと探し歩きました。それでも化け物はいませんので、これから如意が嶽へ上ってみようかとも思いました。左衛門の丞は、化け物は夜な夜な人里へと出てくるという話だから、きっと山にはいないだろうと思い返し、それからまた三条河原へと南に行き、さらに町中へ入ってあちこち尋ね歩きました。すると、三条東洞院の角に人影が見えました。左衛門の丞は、やっといたと思い、近くへ寄って人影を見れば、思った通り、十七八歳くらいの長い黒髪を後ろに垂らして、三十二相揃って非の打ち所のない美人がただ一人、白い小袖の褄を取って帯に挟んでしおらしくと立っている姿は、身の毛もよだつばかりの凄さでした。
左衛門の丞は、弓矢の守り神の八幡大菩薩を心の中に深く祈って、太刀を抜いて振り上げ、「これ、そこにいる女は何者じゃ。まさか人間ではあるまい。近頃都に出る化け物と思うぞ。土も木も、すべて天皇様のものである国であるのに、都の中に現れて人々を悩ますことには、必ず天罰が下るのだ」と言い終わる間もなく飛びかかって、はっしと斬り、家来も主の左衛門の丞に続いて斬ります。二人とも太刀に手応えがある斬りつけでしたが、化け物は宙を飛び上がり、東を指して逃げて行きました。二人は逃がすまいと追いかけましたが、姿は見えず、消えてしまいました。
左衛門の丞は、「私は満仲公の御前で、この化け物を退治できない時は二度とこの館へ戻りませんというこをはっきり言い切ったのに、今夜もまた逃がしてしまった。もうこれまでだ」と家来に言って腹を切ろうしたところを、家来が押し止め、「しばらくお待ちください。化け物に斬りつけたときに手応えがしましたから、太刀をよく確かめてください」と申し上げますと、左衛門の丞はそれももっともと思って太刀を見れば、切っ先七八寸のあたりに斬った血の跡が付いています。改めて周りを見まわすと、血の川ができていました。
それでは、これを証拠として満仲公に申し上げようと言って、急いで満仲公の邸宅に戻って今夜のことを詳しく申し上げると、満仲公は、「それならば、様子を見てきなさい」と、その夜の内に見に行かせたところ、そのあたりは血が流れ、東へと血の跡がありました。その跡を辿って行くと、三条河原の賀茂川まで血の跡がありました。家来はつぶさに見て帰り、満仲公へ様子を細々と申し上げると、満仲公は、「それなら、その狸はきっと死ぬだろう。もう二度と出るはずがない」と仰せになり、この上なくお喜びになりました。
こんなことがあってから十日も経たないうちに、また、化け物が人を獲るという報告がありました。満仲公はお聞きになり、前に身柄を押さえておいた下女を呼び出し、「如意が嶽の獣狩りを行う。お前はその場所を教えよ」と仰せになります。下女の答えには、「深い山の中のことで、どこだと、はっきりとは言えません」と申します。満仲公が「その場所へ行けば判るか」と仰ると、下女は「その場所へ行ってみれば、自然と洞穴を見つけることもあるでしょう」と申しますので、満仲公はすぐさま人を集めて、如意が嶽へとお出かけになりました。
さて、多田満仲公は、この下女を案内として、如意が嶽の谷や峰をくまなくお探しになりましたが、洞はありません。岩の陰に小さな穴がありました。この下女に、「これはどうだ」とお尋ねになると、「こんな穴でございます」と答えます。満仲公が「では、この穴を探ってみよ」と仰せになりますので、大勢の人夫たちが、弓、薙刀、熊手などで穴を狩り出しましたが、獣は一匹も出て来ません。そこで、「ではどうしたらよかろう」と仰るところに、お供の中から一人が進み出て「さて、獣は、生乾きの木の枝を焼いて燻すのが一番です」と申しますので、満仲公はお聞きになり、「それでは燻せ」と、松と楓の枝を燃やして、大勢が手に手に扇を持ってその穴へと煙を扇ぎ入れました。すぐさま狸が三匹出てきましたので、どうして逃がして良いものかと、即座に皆打ち殺してしまいました。満仲公は喜んで、お屋敷にお帰りになりました。
さて、三匹の狸を五条河原に晒し物にして、立てた札に、「このごろ都の中で人を苦しめた雪女」とお書きになりました。これを見て京童たちは、「ここに晒された狸は、三匹とも古狸ではない。化けるのは、長い年月を経た狸が化けるのだと昔から言い習わしている。この三匹の狸は、決して雪女には化けない」と、口々に言いました。「だからこそ、思った通り、また雪女が出て、人を獲って食う」と評判になります。
満仲公はこれをお聞きになり、雪女がまた出るのは安心できないことである。これは狸ではなく、天魔の仕業であろう。しかしながら、あの下女にもっと尋ねてみようとお思いになって、またあの下女をお呼びになって、「どういうことであろう」と仰せになります。下女は、「先だって晒し物にした狸は古狸ではございません。現れる雪女は年を取った古狸で、神通を得た物ですから、狩においでになった時には、きっと他の山に逃げたのであろうと存じております。また、以前負わせた太刀の疵もとうに治っているでしょう。たとえ数万騎の軍勢で古狸をお攻めになっても、神通を得た狸でありますから、どうして、簡単に殺されるものでしょうか。狸が女に化けて、道理に合わない歌を詠んだ時に、密かに一人おいでになって返歌をなさり、あの雪女を誘って建物の内に呼び入れて、そこで門、引き戸、開き戸も逃げ道をぴたりと隙間無くお塞ぎになった上であの雪女を殺すようになされば、決して逃げられないでしょう。しかしながら、天井を蹴破って逃げることもございましょう。その備えも十分になさって退治なさいませ。元の狸の姿に変わる時に、その死骸を処置なさいませんと、もう一度生き返りますので、そのご用心もなさいませ」と申し上げました。
満仲公は、まことにもっともとお思いになり、誰が適任であろうかと仰られたところ、人々は「右近の将監こそが、文武の両道に秀でた武士でございます」と申し上げたので、その言葉のままに、雪の夜になって、右近の将監に雪女退治をお命じになりました。右近の将監は、「人間ならば何とかなりますが、化け物でございますから、とらえどころの無い陽炎や素早く動きひらめく稲妻のように、現れたり、隠れたり、空中に飛び上がったり、水に潜ったり、自由自在に動き回ると聞いておりますので、確かに退治できるとは思えません。しかしながら、お言葉は大切でございますから、お受けいたします」とお答えして、右近の将監はすぐに自分の屋敷に帰り、門、木戸、天井などの逃げ道となりそうな家の箇所の固めをしっかりと調えて、家人を皆外出させ、身の回りの世話をする若者ひとりを隠れさせておきました。若者を隠したのは、開き戸をしっかりと閉めさせるためです。
十二月中旬の夜中頃、右近の将監はただ一人家を出て、都の中へ雪女を尋ね歩きます。右近の将監が四条坊門の角で少し立ち止まり、そこから東へと行くのが良いか、また、西へ行くのが良いかと考えを廻らしているところに、東の方から人の足音が間近く聞こえてきましたので、怪しいと思ってそちらをじっと見ると、かねて聞いていたのと同じ十七八の美女が、長い黒髪を後ろに垂らして白い小袖に紅の袴を着け、右近の将監に、「もしもし、あなたはどのようなお方ですか。私は御所を抜け出して道に迷い、どちらへ行けば良いか判りません。三条堀川という場所へはどう行けば良いでしょうか。教えてください」と言葉を掛けてきました。右近の将監はこれを聞いて、疑いなくあの化け物であるよ、それならば歌を一首詠んで試してみようと思い、このように、
やごとなき くものうへひと あやしくも ひとりたどりし みちのたまほこ
(やんごとない宮中の方が、不思議なことに一人歩かれた道であるよ)
女の返歌は、
さよふけて ゆききのそでも たえだえの をりしもわれを とふひとはたそ
(夜が更けて往来の人が絶えてしまう、そんな時に私に声を掛けるあなたはどうい
うお方ですか)
というものでありましたので、右近の将監がまた、
れいならぬ わがたらちねを とひかへる ひとにこころを へだてばしすな
この歌の「例ならぬ」とは「病気」、「たらちね」は「親」のことです。「親の病気を見舞って帰る者です。よそよそしくしないでください、疑わしい者ではありません」と言う歌です。女はこの歌を聞いて、それでは疑わしい人ではないなと思って、次に、
ものうさよ さむきよすがら わびしくも みちのちまたに ひとりねやせん
(つらいことです。寒い夜通し、道の端でわびしく独り寝をすることよ)
と詠みましたので、右近の将監は
あやなくも みちのちまたの ひとりねを われになさけの あるよしもがな
(空しくも道の端での独り寝のあなた、私に一夜の情けをかけてほしいですね)
と、返しました。これに女がまた、
うちつけに はぢがはしくも いざなはれ ひとのなさけを あだになさじと
(軽率で恥ずかしいですが、お誘いを受けて、あなたの情けにお応えしましょう)
と言うので、右近の将監はしめたと嬉しく思い、それではこちらへおいでくださいと女の手を引いて我が屋敷へと帰って戸を開けて中へ入り、前から計画しておいたことなので、若者は開き戸をしっかり締め、盃を取り出し、いろいろの料理を調えてもてなしました。盃の遣り取りが重なって、女が酔ったように見えた時に、右近の将監は、この女が寝たらば討ち取ろうと思って待っていましたが、寝る様子がないので、その場で捕って押さえて、「貴様は、都に出て人々を悩ませる化け物である。逃がさんぞ」と言って、太刀で三度刺し通すと、若者も太刀で二度刺しました。太刀を刺し通されて雪女は、右近の将監を二つに引き裂き、若者を摑んだまま戸を蹴破って外に出て、若者を遥かに投げ飛ばしました。若者は、半町ほど投げられてしばらく気を失っていましたが、息を吹き返して、「誰かいませんか」と叫びましたので、人々が出て見ると、若者は頭を打ち割られ、腰の骨も折れていましたが、まだ息があって言うことには、「私は、右近の将監の家の若者ですが、化け物に投げ飛ばされて、この有様です。ですが、主の右近の将監は化け物を三太刀刺し通し、私も二太刀刺しましたので、化け物は退治したと存じます。右近の将監は化け物に引き裂かれて亡くなってしまいました。このことを、満仲公にお伝えしてください」と言って、死んでしまいました。
人々が満仲公へこの出来事をお伝えすると、満仲公はお聞きになり、「右近の将監と若者は気の毒なことだったなあ、それでも、五太刀まで刺したのだから、どうして、その狸が死なないことがあろうか、きっと死んだであろう」と仰って、二人を可哀想だとも思いながらも、狸を退治したお喜びは大きなものでした。
こうして、その後は雪が降っても雪女も出なくなったので、都の人々は安心して、国の内は平安なまま、その年は暮れました。
翌長徳二年二月の末の頃、四方の山々に花が咲いて、霞がかかり、花見の人々の行き来に賑わう時のことです。平兼盛公の御子で兼信様は、十八歳になり、容貌も体格も人に優れ、和歌にも管弦にも通じた方ですが、その兼信様が、東山に鹿狩りに出て、音羽山の麓を馬に乗って華やかにお通りになっているところに、幔幕を張り回し、屏風を立てて酒宴のさなかの様子の所で、十五六歳ほどの浅間の鬢(富士額)に翡翠の簪を指した三日月眉の美人が、優しい仕草で兼信様の馬の手綱にすがって、「一樹の下での雨宿りも、みなこれ前世からの縁です。しばらくここでお休みください」と兼信様の進みを止めました。そこで、もともと兼信様は風流な好き心のある人でしたから、このように詠みます。
もえいづる みちのくさばの つゆのまも なさけはひとの こころなりけり
(芽生えする道の草場に宿る露、その露のように、ほんの少しの時に少しの情けを
交わすのも人の心ですよ)
と詠んで馬からお下りになり、酒宴の幕の内に入って、中の様子をご覧になると、下女が二三人いるほかは人がいません。こうして、女性は酒を勧め、二人は盃を差しつ差されつ遣り取りするうちに、長い春の日もだんだんに暮れてきましたので、兼信様は「お別れして帰ります」と仰います。すると女性が、兼信様の袂を押さえて申しますのは、「お恥ずかしいことではございますが、思いが内にあれば色が外に出るものです。ああ、あなたにお情けがおありでしたら、私をあなた様のところへ連れて行ってくださいませ」と、真っ赤な顔をして、深く思い詰めて萎れた様子です。兼信様はこの言葉をお聞きになってお思いになることには、この女性は不思議なことを言うものであるな、間違いなく私に心を寄せている様子で、連れて帰るのは良いのだが、何分にも、この女性は普通の人ではなく、なにか訳ありの人のようなので、連れて帰った時に、後で煩わしいことがあるかもしれないとお思いになりました。兼信様は思い直して、いやいや、そうであっても仕方がない、この女性のことで仮に罪になっても、都でこれまで見たこともない美人が、このように私に親しく誘いを掛けることをどうして無駄にして良いものかと思い至りました。兼信様は女性に「こちらの方からこそ、そのように申し上げたいと存じておりましたが、あまりに露骨なので、あなたのお心の中を量りにくくて、後日に心を込めたお手紙を差し上げようと存じて、本日は名残惜しい気持ちを振り切って、お別れしようとするところに、そのように仰っていただく嬉しさは、喩えようもございません。それでも、後日の煩わしいことがどうであろうかとも存じましたが、いやいや、あなたのためにどんな罪に落とされても、仕方がありません。それでは、お連れして帰りましょう」と仰せになって、この姫を輿に乗せて、列の先に立てて大切に家に連れ帰りました。
兼信様は女性を屋敷の中にお入れして、この女性を真実の内裏勤めの女房と思って、大事に心を込めて世話をして寵愛してしまったのは、思慮の足りない、たわいのないことでした。忍びに通う御殿を作り上げてこの女性の住まいとし、音羽山からお連れしたので、音羽姫と名付けました。
ある夕暮れのことでしたが、兼信様は、あの音羽姫と二人で庭に面した縁先に出て、夕涼みをなさり、このように、
ゆふまぐれ はしゐのそでの すずしくも かをりふきくる おとはやまかぜ
(夕方に縁先に二人並んで夕涼みをしている、そこへ音羽山、そなたから良い香り
の風が吹いて来る)
と詠みましたので、姫は早速、
おとはやま ふきおろすかぜの かをるより まさりしきみの そでのうつりが
(音羽山から吹き下ろす風に喩えられる私の香りよりも、あなたの袖の移り香がず
っと優れています)
と詠みますと、兼信様は、音羽姫の素養のほどを試そうとお思いになって、琴を取り出して調子を合わせて渡されると、音羽姫の琴の調べはこの上なく素晴らしいので、兼信様の音羽姫への思いはますます深くなりました。
さてまた、兼信様が、「今年は、私の父の兼盛公の七回忌になりますので、『法華経』を一揃い書いて、供養をいたします。あなたもお書きください」と仰ると、姫は、「それならば写経の用紙をください」と言って、すぐさま『法華経』を書いたのを兼信様はご覧になって、なんとも美しい筆の運びだなあ、この人は並の人ではない、もしかしたら神仏の化身であろうかと、ある時は姫を尊く思い、またある時は、天にあれば比翼の鳥、地にあれば連理の枝と、いつまでも固く添い遂げようと、深く契りを込められました。そのような折に、兼信様の屋敷に、百合姫という女性がいました。これまで兼信様と深く愛し合い、とてもご寵愛を受けていましたが、兼信様のお気持ちが音羽姫に移ってしまって、百合姫は日々悲しみに沈んでいました。その百合姫が兼信様に、「このごろ殿様がご寵愛される音羽御前を人間と思って、将来を誓っていらっしゃいますのは、空しいことです。あの者は、去年の冬頃に都で人を悩ました雪女でございますよ。お屋敷内の人で知らない人は一人もいないのですが、殿様のご寵愛があまりに深くいらっしゃいますことに遠慮して、誰も申し上げることがないとお思いください。私も早くから気づいておりましたが、私をお捨てになったので根も葉もないことを言うとお思いになると存じて、今まで申し上げませんでした。このままでは殿様のお為にならないと人々がしきりに申しますので、他のことは考えず、ひたすら殿様のお為と存じて、このように申し上げます。こうお話しした上は、私をこのままに置かれるか、屋敷から出されるか、お気持ちのままでございます」と申し上げました。
兼信様は百合姫の言葉をお聞きになって、自分から気持ちが移ったから、ないことを言いつのるだとお思いになって、「では、音羽御前が狸であるという証拠は何か」と仰るので、百合姫は、「証拠と申しますのは、屋敷の中の人が一人残らず口を揃えてそう言うのが、動かぬ証拠でございましょう」と申し上げますが、兼信様は少しもお聞き入れにならず、「訳の判らないことは言ってはいけない」と仰るので、百合姫はどうしようもありませんでした。
こんなことがありまして、音羽御前は、百合姫が兼信様に訴えたことを誰が伝えたのか聞きつけて、胸の内に怒りを燃やして、その日の夜更けを待っていました。気の毒なことに、百合姫は兼信様に忠言を申し上げましたがお取り上げにならないので、深い悲しみに沈みながら寝床に就いて、少し寝かかったところに、何か判らない物が百合姫を押さえつけて、首をねじ切って空へ投げ捨て、体ばかりが残りました。
百合姫が首を取られて亡くなったということを申し上げると、兼信様はとても驚かれました。兼信様が百合姫の体をご覧になると、太刀や刀で切ったものではないので、まさにこれは人間の仕業ではないであろうとお思いにはなりましたが、音羽御前のやったこととは少しもお判りにはなりません。
さて、兼信様の家来の内に忠義一途の男がいて、兼信様に、「恐れ多いことですが、私の存念を申し上げます。この度、百合姫様を亡き者にしたのは、人間の仕業ではありません。ことを博士に占わせるようになさいませ」と申し上げました。すぐさま博士に占わせてみると、博士は、「これは同じ屋敷内に得体の知れない女がいる。その女がしたことである」と申します。その時、同席していた人たちは皆、納得いたしました。兼信様は、「このことは皆に命じて、少しでも音羽御前に知らせないようにせよ。態度でも悟られないようにせよ」とお命じになり、すぐさま建物の外側に何重にも警護の者を配置しまして、何事もなかったような顔で音羽御前に向かって、「こまごまとした用事で、宮中へと出かけます。留守の間は、これで気分晴らしをして過ごしてください」と言って、いろいろな物語の本などを出して、音羽御前にお渡しになりました。
さて、兼信様は宮中へおいでになり、これまでの出来事を天皇様に申し上げると、公卿たちの評議があって、「武士に申しつけて退治するのがよい」、ということで、「再度満仲を呼んで、いきさつを話して退治させよ」と決まりましたが、兼信様は「私めは、たいして働く者ではございませんが、だまして化け物を退治するのは、難しくありません」と天皇様に申し上げると、公卿たちは「それで良い」と賛成して、「それならば、満仲は屋敷の外の護りとして、化け物が逃げるところを退治せよ」との天皇様のお言葉が下りました。
兼信様がさらに、「恐れ多い願い事ではございますが、そもそも、化け物は剣に恐れると聞いておりますので、なにとぞ、宝物の剣をお与えくださいませ。すぐに退治いたします」と申し上げます。天皇様はお聞きになって、数多い宝剣の中から、とりわけ大切な三条小鍛冶宗近が打った小狐丸をお与えになります。兼信様は宝剣をいただいて、急いで我が屋敷へとお帰りになりますと、満仲公は兼信様と心を一つにして屋敷の外周りを何重にも取り巻いて、どんな鼠、鼬などの小さな動物でさえも、何があっても逃げられないようになりました。
さて、兼信様はまず宝剣をお隠しになり、何気ない様子で音羽御前に「ただいま帰りました。さぞかしお待ち兼ねでしたでしょう。さあ、縁側に出て、夕涼みをしましょう」と仰います。時は長徳二年六月十三日の夕暮れ方のことですが、琴を弾いて今様を謡いながら、兼信様は音羽御前に酒を勧めます。盃の遣り取りが重なりましたので、少し休もうと、二人で几帳の中にお入りになり、兼信様は寝たふりをして音羽御前の様子を窺うと、酒に酔ってぐっすり寝入ったので、さあ、今がその時であると、隠して置いた宝剣を引き抜いて、音羽御前の胸元を二度刺し通し、さらに音羽御前の動きが悪くなったところを首を打ち落とし、その後手足をお切りになって、そこで灯りを点けてしてご覧になると、身の丈三尺余りの古狸でありました。打ち落とした首をご覧になると、あちこちの毛が抜け禿げている年を経た狸でした。兼信様は狸をずたずたに切り刻みましたから、天皇様を始めとして、公卿、殿上人、武士、それ以下の人々まで、その手柄を誉めない人はいませんでした。兼信様は、「この度のことは私の手柄ではございません。ただ、小狐丸の威力のお蔭だけで退治したものでございます」と仰いました。
さて、天皇様は、この狸の首、手足を縫い継がせなさって、都の内外を三日間引き回し、その後三条河原に晒し物になさいました。
ということで、天下太平と治まる御世となったのも小狐丸の宝剣の威力であると、人々は語り合いました。
雪女という化け物がいたと、今日まで言い伝えているのは、この時からのことでございます。