金剛女の草子 付、金剛醜女の語 福福亭とん平の意訳

金剛女の草子
 昔、中天竺の大王の名を臨汰大王と申し上げます。この王には一人の姫がおいでになります。その名を金剛女と申し上げます。この姫の美しくいらっしゃることは、まるで、晴れた空にひとひらの雲が浮かんでいる中から、十五夜の満月が顔を出したようとも、また、朝の雨に濡れた花のようとも言え、普通の人が思い及ばないほど、物に譬えようのない美しさでした。
 ある時、東天竺、南天竺、西天竺、北天竺、この四天竺の大王たちが姫の評判をお聞きになって、心の中に姫を妃に迎えたいとお思いになりました。一方、臨汰大王の方でも、これほどに美しい姫を誰も妻にと望んでこないのは妙なことだとお思いになっているところでした。そこに四天竺の王から、同時に勅使がやって来て、姫を王妃として迎え取りたいという申し出がありました。臨汰大王は勅使が来たことをお聞きになり、四方の大王からの勅使が月も日も時も全く同じ時到着したことは、誰を姫の相手にするかという判断が下せないということで、「御返事はこちらからいたしましょう」として、それぞれの勅使をお返しになりました。
 その後、四方の大王は、もう一度御返事はどうなのですかと尋ねようとしましたが、吉日についてはいずこも違いはなく、自分にとっての吉日は他の人にとっても吉日ですので、四方の大王からのお使いは、またも同じ日の同じ時に到着いたしました。臨汰大王は驚いて、「さあ、どうしたらよかろうか」と、大臣と公卿を呼び集めて協議をいたしました。一人の大臣が、「これは厄介な御返事になります。どなたか一人に承諾の返事をすれば、他の三人がお怒りになるでしょう。四方共に返事をするという約束は守らなければなりませんので、この期に及んでは、結論として、四方の大王にそれぞれのお得意の能力をお尋ねになって、最も優れたお力をお持ちの方に婚姻を承諾されるのが宜しいでしょう」と仰られましたので、一同は「それが一番の方策です」と納得しました。「そうきまったなら、そのように大王に申し上げましょう」と言って、それぞれの国の使いはすぐさま立ち帰りました。
 四方の大王は返事をお聞きになり、「それはたやすいことである。自分より優れた能力のある大王は五天竺にはまずいないであろう」と、それぞれに勇み立って、力強くそれぞれの能力をお話になりました。
 まず一番は東天竺の大王で、「私は、ありとあらゆる人々が苦しむ病を治す薬を持っている。たとえ亡くなって七日が経った人でも、この薬を注ぎかければ、たちまちに蘇り、因縁を好転させて寿命が延びること、三千年である。これに加えて、病になる前にこの薬を服用すれば、寿命の長い伝説の東方朔の寿命に増して、一万歳の寿命を保つのである。この故に、我が名を施薬王と言うのである」と述べましたので、聞いている人々は、「この王の能力に優った方はまさかいないであろう」と言いました。
*また、南天竺の大王は、「我は、手の中に小さい車を持っている。この車には、一人も二人も、百人も二百人も乗れ、さらに一万人も百万人も、千万人乗っても狭いことも広過ぎることもない。車が目的地まで行くのは瞬時である。上はこの世の高い天の極まり、下は地獄の底まで行け、火の中や水の底を通るにも、何の障りも無い。この車に乗れば、冥土の使いも追いつくことができず、もちろん、敵が近寄ることはない。年取った者は若返る。この車に過ぎた宝はないであろう。であるから、我の名を飛行自由王と言うのである」と述べると、人々は、「これも他に比べるものがないなあ」と言いました。
 また、西天竺の大王は、「手の中に鏡を持っている。この鏡を当てて見れば、上は天の一番上、下は地獄の一番の底まで、そのほか、時間では計り知れない過去の姿から未来のはての姿まで、また、人の心の内で、五臓六腑の色や言葉に表すことことのできない心に秘めたことや生まれながらの心の善し悪しまで、すべて明らかに見える鏡である。これだけでなく、この鏡の面に向かう人は、生きては清らかな世界が見られ、死後にはそのまま極楽に生まれることは、まことに鏡がその姿を正確に映す様に、疑ひは全く無い。それによって、我が名を明達王と言う」と仰ると、「これも同じ価値を持つ素晴らしい宝である」と、人々が言いました。
 さて次の北天竺の大王は、「一本の指先から、多くの宝が湧き出て、世界中に満ちあふれ、様々の美味・珍味を揃えることができるのはもとより、心の内に秘かに思うことは、この一本の指で叶わないと言うことはない。もう一本の指は、世界の中心にそびえる高い須弥山を芥子粒よりも軽々と扱い、世界を覆う海の水を一滴の露よりも簡単にまとめ、この広い五天竺も指の上に載せて、空を飛ぶことができるのである。この能力を持っているので、我の名を福転王とも、また、力士王とも言うのである。であるから、この二つの宝の指は、人々の願いを必ず叶え、我が揃えた様々の美味・珍味は、口にする者には不老不死の薬となり、その者は必ず清浄な天上界に生まれるのである」と仰ると、人々が「これもまた同じ力がある」と言いますので、臨汰大王はお聞きになり、四天竺の大王はどなたも同等の力をお持ちなので、どうすることもできなくなって決めることができず、とりあえず四天竺のお使いを国に返しました。
 こんな結論の出ない求婚話があった秋の半ばのことです。金剛女は乳母を誘って、御殿の西の苑にお出ましになって、「尾花波寄る秋風」という句を口ずさんで、「どうして尾花が一方に横に伏すのを波寄るというのかしら」とお尋ねになります。そこで乳母が、「波というものは、もやもやと一方に寄せて来て、またもやもやと元に戻って行くのを、波寄ると申します」とお答えすると、姫が「その波という物は、どこにあるのです」と仰ると、乳母は、「波は水にあるものです。御覧ください」と言いながら、この苑の千尋の沢というところに姫を誘って、沢の水をお見せします。その時に沢の水が急に高く波立ちました。乳母が「あれを御覧ください。白く立っている波は、尾花が風で一方に伏す様子に似ていますよ」と申し上げます。姫がその言葉で沢の水を御覧になると、波の間から大きな竜が一頭現れて、姫を難なく捕らえて、水の底へと入ってしまいました。
 乳母が「これはどうしたこと」と騒ぎましたが、どうしようもなくて、すぐにこのことを臨汰大王に申し上げると、大王はとても驚かれて、その苑にお出ましになり、すぐに千尋の沢を掘り返させましたが、いろいろな小さな竜が多くいるだけで、大きな竜はいません。姫の亡きがらもありませんので、何の手がかりもなくそのまま御殿にお帰りになって、がっかりして涙にくれてお嘆きになることはこの上ありません。
 これはさておき、四天竺の大王たちは、「我々に持っている力について尋ねておいて、誰も婿に取らないとは残念である」との話し合いをしました。「返事をしない特別の理由もないであろう。四方から中天竺へ押し寄せて、臨汰大王を攻めてしまおうではないか」と決め、それぞれの国で兵を集めて、もはや出陣しようといたしました。そこへ東天竺、南天竺から使いが来て、「四方の大王たちお集まりください。お伝え申し上げることがございます」との内容でしたので、「まずは何事か話を聞こう」ということで四天竺の大王がおいでになると、臨汰大王が涙ながらに仰るには「姫のことを千尋沢の大竜がさらって、姫が亡くなってしまった。この大竜をどのようにして退治したらよろしいか。何としても姫の死体だけでも見たいのだ」と仰います。四人の大王は、「この度こそ、皆々の手柄の立て所」と言います。まず明達王がお持ちの鏡を取り出して御覧になると、姫のありどころがはっきりと見えましたので、少しほっとしました。
 その時人々が、「それでは姫はどこに閉じ込められているのでしょうか。鏡の威力でお教えください」と言いますので、明達王は、「金剛女姫の居所は、この千尋沢から六水を万里潜って、石の河原を四万里、黄金の金の河原を十万里通り過ぎ、黒い水を一万里潜り、鉄の河原を一万里過ぎ、その北東の方向に、高さ百丈の金の塀をめぐらした鉄の盤の上に置いた鉄の櫃に姫を入れて鉄の蓋をして、その上に鉄の重しを載せている。この鉄の重しの高さは、一由旬すなわち四十里あり、周りは五百八十里ある。この景色を御覧なさい、皆さん」と言いましたので、身分の高い人も低い人も皆が、我も我もと鏡に見入ると、鏡の中にこの様子をはっきりと見ることができました。
 「では、姫を迎えに行こう」、この場は飛行自由王の車の出番であると、王はすぐさま手の中から小さな車を取り出します。皆々、「私も迎えに行きましょう」と言っているうちに、中天竺はもちろんのこと、五天竺の人々は皆一斉に、竜宮城とかいう場所を見てやろうと、姫を救う気持ちのある者も無い者も、身分の低い女性までもこぞってこの車に乗りました。五天竺の全ての人が乗りましたが、車の中は狭いことはありません。そうして、車はほんの一瞬で水や河原を通り抜けて、あの竜宮城の鉄の囲いの上に達し、ここまでは着きましたが、鉄の門を開くことはできません。
 「この場こそ力士王の力の出しどころだ」と皆が言いますので、力士王は「任せておきなさい」と言って、鉄の門は言うまでもなく、櫃の上に重しに置いた大きな鉄まで、小さな塵を払うように空中に払い棄て、櫃の蓋を取って中を御覧になると、姫の胴体は生きていた時と同じ姿でありましたが、頭は粉々に砕けて亡くなられていました。亡くなられてからの日数はまだ五日です。亡くなられて七日以内なので、人々が「この場は施薬王の出番だ」と言いますので、施薬王は「言うまでもない」と言いながら、瑠璃の壺から薬を取り出して姫の口のあたりへと注ぎますと、姫は大きな息を吐いて、生き返られました。これを見ていた人々は皆、一度にどっと喜びの声を上げました。
 一行はすぐさま姫を車に乗せて、やってきた元の道に帰りました。人々が疲れて、皆空腹になって飢え死にをしそうになったので、力士王がふたたび、「私が二つの名を持っている功徳を示すのはここである」と仰って、「福徳王、ここにあり」と言いながら人々を車に乗せたまま、人々の好みに合わせていろいろな食べ物を与えられましたので、の一日の空腹を満たすだけでなく、皆は向こう三年、五年分の食物を体に入れた形になり、元の都ヘと帰りました。
 こうして中天竺へお帰りになって、四大王が「姫を妃にいただきましょう」と言います。誰の働きももっともです。まず、明達王が仰るのは、「姫のあり所をお見せしたのだから、私が戴こう」です。飛行自由王は、「車にお乗せして往復したのだから、私が戴こう」と言い、力士王は、「鉄の門を開け、鉄の重しをどけたのだから、私が戴こう」と言います。施薬王は、「とうに亡くなられていた姫でしたが、私の薬で生き返られたのだから、私が戴こう」と言います。
 確かに、明達王の鏡がなければ、どうして姫のあり所を知ることができようか。飛行自由王の車に乗らなければ、どうして竜宮城までの数万里の道の往復を何の障りもなく行くことができたであろうか。力士王の力がなければ、どうして鉄の門を開け、鉄の重しをどけることができたであろうか。福天王の素晴らしい宝がなければ、飢え死にをしそうな人が生き延びることはできなかっただろう。施薬王の薬がなければ、姫はどうやって蘇ったであろうか。こう考えると、どの王の働きが優れ、劣っているかを定められようか。臨汰大王は、このように考えて、自分では誰と決める判断はできない状態です。
 ここに、釈応智仏と言う仏様が、人々のために法をお説きになっていらっしゃるので、臨汰王が、「さあ、仏様の所へ伺ってお尋ねをして、仏様の仰せに従って、姫を妃として差し上げよう」と四天竺の大王に伝えますと、四大王も「それが良い」と仰って、仏様の前に参上しました。この仏様はすべてを見通す力をお持ちなので、すぐに全てをお悟りになって、大王たちを招き入れなさいました。
 臨汰大王は、仏前に出て、「私、臨汰大王の娘金剛女を妃にと求める四天竺の使いが、同じ日同じ時に、同じ形で参りましたので、それではそれぞれの力を示すようにと申しましたところ、それぞれに力を出しました。その力はみな同様でありましたので、姫を誰に授けるという承諾の返事をしないままにしておいたところ、それならば我が国の都を攻めようと申します。このままでは軍勢が押し寄せて参りますので、この成り行きをあなた様に申し上げて、あなた様のご判断に依りたいと存じます」と申し上げます。
 仏様が仰るには、「だから、凡人の駄目なところはここであるぞ。皆、しばらく心を鎮めて、私の話をよく聞くように。今から五天竺の大王たちの過去の姿を説こう。昔、五天竺の片隅に、尭当法師と言う貧しい者がいた。子を五人持っていて、四人は男子、一人は女子であった。この法師が死んだ後に、五人の子供は親の後世を弔おうとしたが、貧しくて三度の食事にも事欠くありさまであったから、心だけは何とかせねばとは思ったが、後世を弔う資力が無い。五人は、仕方ない、それならば自身の体を使って、気持ちの届く後世の弔いをしようと、男子四人、女子一人それぞれに、思い思いの働きをしたのだ。
*子のうちの一人は山に入り、重い薪を背負った木樵に代わってその薪を背負い、自分よりも貧しい者には薪を採り集めて与えて、供養の気持ちを表した。一人は野山に出掛けて薬になる木や草を採り集めておいて、路傍に立って、病弱な人や体調の悪い人が苦しむ時に薬を与えた。一人は道にいて、自分よりも年を取って弱っている人が通る時に背負ってその家まで送り届け、幼い者は抱いて寝室へと届け、目の見えない人の杖代わりになって、供養の心を尽くした。一人は我が身を使用人として売って、その代金で仏前の灯明を買って仏に供養した。一人の女子は、尊い寺の近くに住み、寺の僧たちの僧衣を、山中の清んだ水の流れる河で濯ぎ洗濯の奉仕をして供養の目的を果たして、五人の者どれもどれも一心に心を籠めて、親の菩提を弔ったので、天の梵天帝釈天もこの子たちの親への供養の心に感動されて、五人はそのままに生まれ変わって、今、五天竺に生まれ男子四人は東西南北四方の天竺の大王となり、女子は中天竺の臨汰王の娘金剛女となったのである。
 薬を人に与た者は、その功徳で東方の王となって、施薬王として生まれた。生涯を終えた後は、薬師という仏になるのである。仏前に灯明を捧げた者は明達王となって、西天竺の王となった。生涯を終えた後は、阿弥陀という仏になるのである。重い薪を背負って木樵に代わった者は、その因縁によって、力士王・福転王となったのである。生涯を終えた後は、声聞仏という仏になって、北方を統率するのである。年取った者を背負い、幼い子を抱いて供養の志を果たした者は、そのことによって飛行自由王となって南天竺の王となり、生涯を終えた後は施無波羅耶という仏になるのである。さらに、姫は、僧たちの衣を洗濯した功徳によって、今、中天竺の臨汰大王の娘金剛女となった。このように、そなたたちきょうだい五人、皆血の繋がりのあるのに、姫を妃に迎えようと争うのは、呆れ果てたことである」とお諭しがありましたので、人々は恥ずかしく思い、仏様に拝礼申し上げました。
 その時に、姫が仰います。「すべては親の供養をするための気持ちが深かったから男子四人兄弟は、必ず仏に成ると仰います。私も一心に供養の心を尽くしましたので、今臨汰大王の娘とは生まれましたが、来世にはどうなるのかと仰ってくださらないのですね」と嘆かれます。すると仏様は、「そなたは、あの寺の麓の川で僧の衣を洗濯しているときに、足元の石の下に小さい蟹がいたのを知らないで踏み殺してしまった。その罪のために千尋の沢で竜に攫われたのである。攫った竜は、踏み殺された蟹である。僧の衣の汁を飲んだおかげで、生まれ変わって竜となったのである。金剛女は来世は天女になって五楽の楽しみを受け、その後には吉祥天女となるのである」とお示しになりました。
 四方の大王は仏様の言葉をお聞きになって、「それでは親の供養のために心をこめて務めたことで、現在のこの身を受けたのに、前世を知らずに、兄弟が肉親を妃に迎えようとしたのが恥ずかしい」と悔いる気持ちを表しましたので、仏様は四大王に、「皆々、過去の修行の位から進んで、名を改めて、親孝行の者を守護するようなさい」と仰って、すぐさま、四大王は、多聞天持国天増長天広目天と姿を変えられ、世界の北東西南の角にお立ちになり、親孝行の者をお守りになるということです。金剛女は、吉祥天女と姿を変えて、多聞天の妹となってこれまた親孝行の者をお守りになるということです。
 でありますから、この四天王について、どうして四天王と言うのかと言えば、東西南北の四天竺の王でいらっしゃるからです。そこで四天王は、四方の角にお立ちになられています。
 親に孝行ある子は、この四天王が必ずお守りになります。もし万一、このことが真実でないならば、四天王と言う名はすたれるであろうと、四方王経にも説かれています。

 

付録  波斯匿王の娘金剛醜女の語            (今昔物語集巻三の十四) 

 時は昔のこと、天竺の舎衛国(しゃえこく)に王様がいました。その名を波斯匿王(はしのくおう)と言います。お后を末利夫人と言います。このお后のお顔形が整っていて美しいことは、天竺の他の十六の国中を探しても並ぶ女性がいません。お后は一人の女の子を生みました。その女の子の姿は、肌は毒蛇の皮のようで、とても生臭くて、臭さに人が近づくことができません。髪の毛は太く、悪意があるように左に巻いちぢれていて、まるで鬼のようです。その子の姿は、どこをとっても人間とは思えません。そのような姿でありましたから、大王とお后と乳母の三人が相談して、周りの人にはこの子のことは全く見せないようにしました。大王はお后に、「あなたが生んだ子は、どうにも直しようのない固い金剛のような醜さで金剛醜女と呼ぶべ女の子だ。とても怖ろしい子だ。さっさとこの王宮と別の所に閉じ込めてしまおう」と仰って、王宮を北に離れること二里の場所に一丈四方の小さな建物を建てて、乳母と身の回りの世話をする女房一人を付けて、その建物の中に閉じ込めて、ほかの人を出入りさせないようにしました。
 この金剛醜女が十二、三歳になる頃に、その母親の末利夫人の容貌が整って美しいことから、まだ見ぬ娘の容姿も美しいであろうと推し量って、天竺の他の十六の大国の王が皆、后にしたいと願ってきました。けれども、父の大王はこの申し入れを受けずに、一人の家臣を急に大臣に任じて娘の聟とし、金剛醜女と一緒に暮らさせました。このにわか大臣は、自分から望んだことでもなく聟にされ、このような怖ろしい立場になって、毎日昼も夜もあれこれと嘆きに沈んでいることは止めどがありません。それでも、大王の命令には背くことができないので、金剛醜女と同じ部屋の中で一緒に暮らしました。
 そのような時に、父の大王はかねてからの一生の大きな願いとして、仏の教えを説く会を念入りに準備して開かれました。金剛醜女は王の長女ではありますが、その姿が醜いためにこの会に呼ばれません。多くの大臣たちは金剛醜女の実際の姿を知りませんので、金剛醜女がここに来ないことを不思議に思い、事情を知るために計略を巡らして、聟の大臣に酒を飲ませ、大臣がすっかり酔ってしまった時に大臣の腰に指してある部屋の鍵をそっと抜いて、下役に金剛醜女の様子を見てくるようにその部屋へと行かせした。そのような計略が進められていましたが、この様子見の使いが部屋にまだ到着しない時のこと、金剛醜女は部屋の中に一人でいて、会に出られないことを悲しんで、「お釈迦様、お願い申し上げます。私の姿をすぐさま美しくして、お父様の会に出させてください」と言いました。その時にお釈迦様は庭の中に姿を現されました。金剛醜女はこのお釈迦様のお姿を拝見して、心からの喜びが湧きました。仏様を迎えて喜びの心が湧いたので、すぐさま金剛醜女の体にはお釈迦様のすべてが揃った美しいお姿がそのままに移されたように非の打ち所のない美しさになりました。金剛女が夫の大臣にこのことをすぐに知らせようと思っている時に、他の大臣から遣わされた下役の役人がそっとやってきて建物の透き間から覗き込むと、部屋の中には一人の女性がいました。その顔も姿も美しいことは、まるで三十二相揃った仏様のようです。下役の役人は、戻って大臣たちに、「全く思いがけない人がいました。私はこれまであのような美しい女性の姿を見たことがありません」と報告しました。
 金剛女の聟の大臣が酒の酔いから醒めて部屋へ行って見ると、見たことのない美しい女性がいました。大臣はその女性に近寄ることをしないで、不思議に思って、「私の部屋においでになったのはどなたですか」と尋ねました。女性は、「私はあなたの妻の金剛女です」と答えました。大臣は、「そんなことは決してない」と言いました。女性は、「私は急いで、お父様の会に出ます。私は、お釈迦様がおいでくださって親しくお導きをいただいたお蔭で、このような姿に替わることになりました」と言いました。大臣はこの金剛女の言葉を聞いて、大王のいる宮殿に走り帰って、大王にこのことを報告しました。
 大王とお后は宮殿でこの話を聞いて驚き、すぐさま輿に乗って金剛女の部屋へとお出かけになって金剛女をご覧になると、その姿が実にこの世ならず整って美しく、何かに譬えようがありません。大王はすぐさま金剛女を迎え取り、宮中へと連れて来ました。金剛女は願いの通り、仏の教えを聞く会に参加できましたので、大王は金剛女と一緒にお釈迦様のもとへと参上して、今般のいきさつを細々とお尋ねしました。
 お釈迦様は、「よろしい、説いて聞かせよう。この金剛女という女性は、昔、そなたの家の炊事をする役であった。そなたの家に一人の聖人がやって来て、布施を求めた。そなたは、善き事を願って願を掛けておったから、一俵の米を用意して、家にいる上下の使用人一人一人に善根を施させようとこの米を握らせて、それぞれにこの聖を供養させた。人々が供養している中で、この女は、供養をしていながら、聖の姿が醜いと悪くなじった。聖は何も言わずに王の前に来て、不可思議な力を表して空中へと上がってこの世を去ってしまった。その炊事の女は、この聖の不可思議な姿を見て激しく泣いて、姿の醜さを責めた罪を悔い悲しんで、その聖を供養したので、今、大王の娘として生まれたのであるが、聖を悪く言った罪のために、鬼の形を受けて生まれた。だか、また一方、罪を悔いて深く懺悔をしたので、私の教え導きを受けて、鬼の形を改めて、美しく整った姿となり、永く仏道に縁を結ぶことになったのである。このような次第であるから仏道にある聖を決して悪く責めてはならない。また、仮に罪を作ることがあっても、心の底から懺悔をすることが大切である。懺悔は、良い結果を招くための最も良い第一歩であるのだ」とお説きになったと語り伝えている、ということであります。