うたたねの草子 福福亭とん平の意訳

うたたねの草子

   うたた寝に恋しき人をみてしより夢てふ者はたのみそめてき
   (うたた寝に恋しい人に夢で会ってから、夢というものを頼りにするようになりました)
 このように平安時代歌人小野小町が詠んだのはたいしたことのない心の動きの様子で、その歌では夢に命を懸けることではありませんが、様々な時代の物語の中には、とても不思議なことがあるものなのですよ。
 これは近年のことであります。天皇様を始めとする朝廷の評判良く栄えている大臣がいらっしゃいました。この方のご長男は今の皇太子のお世話をする春宮職長官の職にあります。その弟の君は、なにがしの僧都と言って石山寺の寺務を統括する座主を勤めているそうです。大臣のお子さんには、この他に腹違いのお子さんがたくさんおいでですが、この僧都と同じお母様の御きょうだいは、あとは姫が一人だけいらっしゃいました。お父上の大臣はこの姫を特別にかわいがって大切にしていて、宮中への出仕を考えて準備を考えることもありました。ですが、宮中で天皇様のそばに女御や更衣という方が大勢いる中に入った時、姫の評判が高くなるにつれて周囲の人から妬みを受けるのが恐ろしく、また逆に不人気になって人々の中に目立たない存在となって人々に圧倒され、姫が嘆く日々が続いてしまうようになるのも可哀想で、どうしようかとためらっています。そのような間に、しかるべき家の人から妻として迎えて大切にお世話したいという、かなり強引な申し出もありますが、姫は平凡な相手と添わせるにはもったいなく思われるご容貌養ですので、あれこれとお考えになっています。そのうちに、姫はますます美しく華やかになってきて、才能も非の打ち所がなくまことにすばらしい人になりました。
 おそば近くで姫のお世話をする人々にも、由緒のある家柄でしっかりしている若い方を置いて、皆が優雅な心遣いをするようにして、春の花、秋の紅葉というような季節折々の楽しみの時も、人々が心隔てなく日々を過ごしておいででした。ですが、姫の母上が亡くなられていましたので、お父様の大臣が忙しくなさっている時はとりまぎれて、姫にはすることもなく寂しく、横になって過ごす時ができてしまうことができてしまいます。
 この姫のお屋敷の八重桜は、ほかの桜の木よりも遅く咲いて長く咲いている木です。逝くことをとどめられない春の日数が過ぎていって、花がだんだんに散ってゆく寂しさもひとしおであるのに加えて、雨までが朝から静かに降り続けて、軒端からの雨垂れが落ち続ける様子ももの寂しい昼のころ、姫が琴を気ままに弾いて横になっていると、うとうとと眠られたのでしょう、「これを」と差し出された物をご覧になると、とても長くしなって花がびっしり付いている藤の枝で、露がそのままに置いていて色美しくしかも香りあるところに、藤の花の色と合わせた同じ色の薄葉の紙が添添えられているのも素晴らしく、姫はいつもの賀茂の斎院の内親王様からのお便りだと思って、何気なく開いてご覧になると、男性の筆で、
  思ひ寝に見る夢よりもはかなきは知らぬうつつのよそのおも影
  (相手のことを思って見る夢ははかないですが、それよりももっとはかないのは、お会いしたこともない現実の   あなたの面影です。実際にお会いしたい)
とあります。墨の色がつやつやとして、筆遣いに心を込めて流麗に書いてある様子は、並々ならぬ人が書いた物であると判ります。「ああ、見たことのない素敵な筆だこと」と見ているうちに、心が穏やかではなくなって、どこから来た便りなのだろうと思って心が騒いだのですが、なんとこれは夢だったのです。
 姫は、はっきりと御覧になった昼寝の夢の先が知りたくて、また、あまりに美しくほれぼれとする筆遣いが忘れられなくて、しみじみと考え込んでいらっしゃいます。それからすぐに日暮れになりましたので、灯りを点けて、いつもおそばに仕えている中納言の君や弁の乳母といった人たちに碁を打たせて御覧になっていましたが、先程見たつかの間の夢の中に出て来た筆の跡の書き手が誰と判らないことだけ、何となく心に掛かっているのが、姫には不思議に思われてなりません。姫の御前の人々はあれこれと遊んで楽しんでいますが、姫はどうにも心が晴れないままでいますので、近くにある几帳を引き寄せて隔てのようにして、そこに少し横になって寝かかりますと、姫の横には、糊をきかせない柔らかな平常服の直衣に紅の上着を重ね、色も艶もとても素晴らしい薄い青紫色の袴を着けて、こちらまでも香りが移りそうに香をたきしめた方がとても親しそうな様子で添い寝をなさるのです。姫は驚いて、その方を御覧になると、あの源氏の昔物語に語られる主人公の光源氏の君の姿はこうであったろうと思われるほどにとても美しい方が親しげにも、またもの静かで風情ある様子も見せながら、男性としての魅力をすべてこの方が備えていらっしゃるとしか表しようのない姿で現れました。姫はこの方を見て心が騒ぎましたが、ただ、あれあれと思われるばかりで、声を出すことができません。
 男性は、姫が体を動かそうとした手を摑んで、「とても思い溢れる恋心の様子は、どんな事情であっても可哀想だと思ってくださるのが当たり前なのに、私のたいしたことのない手紙までも御覧になってないのですか。せめて一(ひと)言(こと)のご返事もくださらないことが恨めしくてここまで参りましたのは、古来、『思いが勝ると抑えきれなくなる』と言われる通りであることをご存じないのですか。こういうことになってきたのは、今のこの世だけではなく、先の世からの縁でありますので、逃れられない運命であるとお思いになって受け止めてください。ひたすら思いが届かない恋心の行く末は、かえって恐ろしい報いが来ることが多くございますので、私とあなたがこの世に叶わなかった迷いの姿を残して、来世は二人とも救いのない闇のような暗い道に迷うというような男女の縁になり果ててしまうのは嫌だとはお思いになりませんか」というようなことを、心の底から出てくる言葉で細々と言うのに対して、姫はなにかお答えをしなくてはいけないところなのですが、言葉が出ません。姫は、何とかつれない様子には思われたくはない、相手の気持ちに応えたいとお思いになっていらっしゃってはいるようです。
 朝が来て、次第に朝を告げる鳥の声がかすかに聞こえてくるのは、これぞ朝の恋人たちが別れなければならない時との恨みが積もっているのを鳥は受け馴れているのでしょう。そんな鳥の声を何気なく聞き流して、もう一度の二人の親しい遣り取りをし終えることもなく、何かにうなされたような気持ちになって姫があたりを御覧になると、もやは陽が上りかかって、何が起こったのかわかまらないまま、姫はぼんやりと起き上がられました。
 恋しい人のことを思いながら寝ると、その人と必ず夢で逢えるというのが、今も昔もある思い寝の常ですが、あの春雨の花の下でのうたたねから始まった夢の恋はどう考えてもはっきりしないことでございます。萱の斎院こと式子内親王が「夢にだけでも見たいものと悲しみながら寝た夜の袖は、涙に濡れています」とお詠みになったお気持ちは、思い寝ではなく、しきりに恋に迷う魂が、その方の所へと訪ねて行っている様子であると理解しています。さて、どうなったのでしょうか、どなたの幻が私のところへお出でになって夢に見えたのであろうと、贈り主がはっきりしないで差し出されたあの藤の花の枝が私の嘆きのもとになる木であると、姫はその枝の陰に、ついつい泣くことが多くなって袖が濡れて、周りの人にもはっきりそれとわかるほどになっているということは、何とも罪作りなことでございます。
 昔のこと、小式部の内侍の所に大二条の大臣こと藤原教通公(ふじわらののりみち)のお通いがほど遠くなられたころ、小式部の内侍がひどく嘆いて、おいでにならずに空しく過ごす日々が重なったことをしみじみと振り返っているところに、教通公の突然のおいでがありました。小式部は嬉しくて心が落ち着かなくなっていましたが、それほどの時が経たないうちに教通公がお帰りになるので、その直衣の袖に糸を通した針を縫い付けたところ、翌朝見ると、その糸が庭にある木に刺されてありましたので、実は教通公はおいでになっていなかったのを、心に添っていた面影が、思いに先だって現実にあったようになったのだと、思い当たったということです。
 姫は、夢の世界でも現実世界でも、いったいどちらの世界で誰に思いを掛けられているのだろうかと、心が紛れることがないままに、絶えず相手のことを恋しく思い続けているのですが、そのこともまた不思議なことであります。「どのような寝方をしたから夢に見えたのであろうか」と思い、今はあれこれと相手のない寝床に寝起きして、自分の服に焚きしめた香も、面影が忘れられないあの夜の方からの移り香かと懐かしく思い、寝床から離れる気持ちにならないでいるうちに、実際の面影とも夢の中の姿とも最後には一つの面影になって、姫はいつの間にかその方がそばにいるような心地がして、いま私は何を思っているのだろうと、自分の思いに疲れて嫌になってしまいました。
 月日が過ぎるにつれて姫は病がちになり、気持ちがふさいでゆき、柑子蜜柑のような果物までも全く召し上がらなくなりましたので、父上の大臣様をひじめ、乳きょうだいの人々も心配して、仏様へのお祈りをあれこれと始め、護摩を焚いて印を結ぶ祈りや、経文を唱えるという病気を治す様々な祈りを次々と行い、人々が一日中途切れることなく病気全快を祈りました。姫は、自分の物思いに加えて、父上が心を尽くして手を尽くしてくださっているご様子を見ると、自分が父上や人々に罪を犯しているような気持ちになって、ますます涙が増さり、泣かれてしまうのでした。ごきょうだいの石山寺のなにがしの僧都も姫の様子を聞いて驚いて、寺から屋敷へおいでになって、快癒への御祈りの手順のあれこれをお決めになります。その時に、あの石山寺の観音様は、人々を救うという霊験あらたかで、他に例のないほどのご利益をいただけると言われていますので、今般病が良くなりましたら、かならずお参りいたしますという願を立てさせなさいました。姫のご様子は、様々の多くの御祈りのご利益でしょうか、少し快方に向かいましたので、父上の大臣様を始めとして、人々の喜ばれることはこの上ありません。
 病気が快復したのならばすぐさま石山寺へお礼参りにと思い立たれた時に、『源氏物語』の中の玉鬘の君は、初瀬へのはるばるとした道を歩いておいでになっていますので、姫の病気平癒のお願いも大切なことでありましたから、あえて牛車を使わずに歩いてお出掛けになります。いつも姫のおそばに親しくおつきしている弁の乳母、中納言の君などの四、五人の人々は、わざと目立たない姿にしてお参りに向かいます。さて、一行が石山寺に着いて周りの景色を御覧になると、山の麓の瀬田川は広々として静かにさざ波が立っているだけで、その先には月が澄み渡って光っていて、普段屋形から見ている景色とは変わって、目に入る風景がみな物珍しく見えます。何ともいえない風情で苔が生えている大きな巌石がいくつも重なっているのは、いつの時代の小さな石がここまで大きくなったのであろうかと思われ、年を経た庭の様子も都とは違っているので、一行の人々はここまでの道中のつらさや疲れもみな忘れて、しみじみと眺めていらっしゃいます。
 姫は、これまでの様々の自身の心の中の苦しみをすべてここに出してしまおうと心に念じながら観音様の前に丁重に参拝しますと、「弘誓深如海」(通称「観音経」の『法華経』「観世音菩薩普門品」中の「観音の人々を救おうという誓いは海のように深い)と述べられている観音様の言葉が尊く実感させられました。その後、仏前のお祈りが終わりまして、夜がだんだんに更けてゆくにつれて、隣の部屋は、あの紫式部が『源氏物語』を書いた部屋だということで、姫はちょっと珍しく覗いてみたいと思っているところに、隣の部屋から、とても良い響きの声で、「宰相中将」と呼ぶ声がしたのは、一行の主である左大将様の声なのでしょう。その呼ばれた中将という方の声で、「この度の御参詣は、何事についての御祈りなのですか。司召という秋の役職替えの辞令がある時が間近ある今、公的であれ私的であれ忙しくて休みを取るのも難しいこの時期に、このようにお参りなさるのは、とても不思議に思われるのですが、拝見したところ、御袖にずいぶん涙の露が落ちていて、普通の秋の露のほどよりはあまりに多いように拝見しています。ですが、その訳がこうなのだとは少しも仰らないのは、我々に対してあまりによそよそしくいらっしゃって、恨めしく感じます。罪をすべて打ち明ければ罪から赦されると申しますので、こういう訳だとお話になるのがお気持ちを晴らすのに一番のことです。ですから、ことさらにこの御参詣の折に、皆々に語ってくださいませ」と、事情を打ち明けてくれないことに口惜しい思いを込めてで話しかけますと、「まあまあ、夜には夢の話をしないということなのだよ。それでも皆の気持ちが晴れないようだから話そうか。この寺にお参りに来て今日まで籠もっているのも、私の鬱積した思いが少しは晴れることもあるだろうかと願って我慢してきたのだけれど、もはや隠しておいても仕方がないからね」というように、人々に心を許して打ち明け話をする声は、姫には、夢で親しく情を交わしたその人に少しも違いないと思われました。そこで姫は、この声の主の姿を見たいと思いました。姫の座敷では、お供に付いてきた人々は今日の旅に身も心もとても疲れてしまったのでしょうか、みなぐっすりと寝込んでいて部屋の灯りも消えてしまっています。一方隣の座敷は、とても明るくなっているので、姫が障子の隙間からそっと静かに覗きますと、上品な狩衣を着て、やつれている男性の姿がありました。
 姫が隣の部屋を覗いて見ると、そこにいた人の姿は、夢で逢っていた人の姿と少しも違うところがありませんでしたので、いま見ている姿もいつもの思い寝の中なのだろうかと、心が悲しみに沈みながらもじっと我慢して隣から目を離さずに話をお聞きになっていらっしゃいます。男性は語ります。「我が国でも唐の国でも、夢のお告げを導きとして、殷(いん)の王の高宗(こうそう)が傅巌という野で夢に見た傅説(ふえつ)という補佐の人を見付けた話、または『源氏物語』の明石の巻で、夢のお告げにより明石の入道が、都を離れて須磨に暮らす光源氏を舟の用意をして迎えに来たという話は、皆、夢がまさしく現実と一致するという例がある。それはさておき、私の場合は去年の弥生の末のころだ、女のところからと思われて、しなった藤の枝に結び付けて、
  頼めただ思ひ合はする思ひ寝の現にかへる夢もこそあれ
  (ひたすらに頼りになさいませ。二人が思い合わせる思い寝の夢が、現実のものになることがあるということを)
とあったのを見てから、毎夜の夢ごとに相手の許に通い、またこちらに相手を迎えて、二人の仲は二本の木の枝が一つになる連理の枝としていついつまでも栄え、また、翼を連ねる比翼の鳥が離れないようにとの思いを重ねて去年と今年の足かけ二年を過ごしていたのだが、朝廷に仕える時でも、私の立場で我が身を振り返る時でも、また月や雪の風情を感じる時でも、どんな時でも、ただこの毎晩の夢がほんの少しでも現実のものにならないかと、何か思い当たる手がかりがないかと、いつも心がそれに強くとらわれてしまっていて、何事にも身が入らず、考えることができなのだよ。心が少しもはっきりせず、体もひどく弱ってきたのを何とか我慢して朝廷にお仕えしているのだよ」と悲しそうに語られました。姫がこの男性の打ち明け話を聞いている気持ちは、平静でいられるはずがありません。これこそ見た夢が現実にあったのかと、晴れる方のない物思いのあまりには、姫は思わず声を立てそうになり、この障子をすぐさま引き開けて、男性と毎晩の逢瀬の次第を語り合いたいとは思いましたが、そうはいっても女の身から、その夢の相手は私ですとは言い出すことはできないので、強い気持ちでじっとこらえています。姫は、私の心はとても薄情な様子になっていると感じていらっしゃいます。
 さてさて、はかないちょっとした夢だけでも相手の面影を忘れることができないのに、それに加えて同じ思い、同じ内容の夢の物語です。その夢の中と同じ男性の姿を見て、このまま恋しい気持ちを抱いたままでお別れしては、私はこの先少しも生きてはいられません。でも一方、相手の方のお気持ちも判らずに乱れた心で言い出して相手をひたすら慕うということも赦されないことなので、今この時に姿を見たのを現世で逢ったということにして、ここで入水して果てて来世で海女にでも生まれ変わって、あの方と決して別れることのない逢瀬に巡り合うのだと心強くお決めになりました。姫は、お母様が亡くなられてから後は、お父様の大臣様だけを頼もしい存在として頼りにしていて、お父様もまた私をとてもとても可愛がって下さいましたが、今お父様に先立って死んでしまうのは、どんなに罪が深いのだろうとお思いになりました。父上には、ちょっとしたお寺参りとして出掛けましたのが、最後の別れであったとはご存じなく、いつ帰って来るかとお待ちになっているところに、私が亡き者になったとお聞きになったら、父上はどれほどお嘆きになるだろうとお思いになります。ですが、私はもうこれを限りに死んでしまおうと思っているので、長い年月馴れ親しんだ周りの人々を始めとして、斎院様、皇后様を始め、あちらこちらにいらっしゃる親王様や内親王様の皇族の方々も、どれほどお嘆きになるでしょう。また、私の死を、いい加減な噂で言いはやされる口惜しさもあると、様々に思い乱れて決心のつきにくいことも多いのですが、やはり、姫には、来世のあの方との契りが第一だという思いが最も強くなっていらっしゃるようです。
 姫は消えてしまった灯火をもう一度灯させて、お父上への遺書をお書きになります。涙が溢れて見えなくなり、はっきりと書くことが出来ない様子で、
  歎くなよつひには誰も消え果てん小萩が露のあだし命を
  (あなたの子である私の命が消えるのをお嘆きになりますな。誰もが最後には消え果てて行く小萩の上の露のよ   うなはかない命なのです)
 だんだんに夜が明けてゆきますと、姫はおそばの中納言の君を先頭にしてお経を読んで、あまり心の籠もらない願いを仏前で口の中だけで申し上げた後に、ほのぼのと明るくなって見え渡る湖や川や山の景色を見てあれこれと楽しく会話を交わしていますが、入水して果てようという心の内を少しでも知らせたならば、乳母の弁を始めとする人々はどれほど嘆くだろうとお思いになるお気持ちもとても哀れです。なによりもずっと見ていた夢の中のあの方の面影を、まざまざとこの目に見るだけでなく、互いの心の内も残りなくはっきりと聞いたことは、まさに観音様の衆生を導くためのお力とはっきりと分かり、来世を導いてくださるものと強い頼りとして、臨終の際の心を乱すことなく、親に先立つ不孝があっても、それを契機として来世にあの方と結ばれるという願いは空しくなく、来世の阿弥陀様のおいでの浄土においても同じ蓮の台に(うてな)あの男性と生まれ変われますようにと、観音様の前に細々とお願いをなさいます。このことはご自分の心から出たこととはいえ、お気の毒でございます。
 随分日が高く昇ってしまった、早く帰京しようと急ぐ心で石山寺を出発なさると、姫のごきょうだいの石山寺の座主僧都の乳母が、年を取って腰が曲がった姿で瀬田の橋近くに住んでいて、「久しぶりのお出掛けがありましたので、お立ち寄りください。老い先短い身でございますので、姫に今生でもう一度御目に掛かりとう存じます。ぜひともお立ち寄りください。こちらからはお迎えの車を用意いたしますので」ということをしきりに申しますので、姫は水辺に近い所は私の入水の決意にも便利であると立ち寄ろうというお気持ちが向きはしますが、そうはいっても改めて屠所へ引かれる羊のように死が近い気持ちがいたします。だんだんに瀬田の橋が近くなると、川の流れやあたりの様子が何となく恐ろしく感じられ、これから川で水死することになるのもどんな前世の報いなのだろうかと恐ろしく、決意はしていても、これから死ぬことに臨んでは、親に先立つ不孝をしてしまうつらさを繰り返し思うにつけても、小式部内侍が重病となって寝ていた時に、母の和泉式部に向かって、「いかにせむ行くべき方も思ほえず親に先立つ道を知らねば」(どうしたら良いでしょう、これから冥土とやらへ行く方向も考えられません。親に先立つ道は知らないので)と詠んだという昔の哀れな話も自分の身の上のように思われ、ほろほろと流れ落ちる涙を誰にも見とがめられないようにと上手に紛らわして、橋の中ほどまで進んで、しばらくためらってたたずむ姿を人々が妙だと見ているうちに、突然川の中へと飛び込まれましたので、おつきの弁の乳母を始めとする人々は、「これは何をなさったのですか」と驚き騒いで、涙を流すこともなく、また、跡を追って飛び込もうという考えも浮かばずに、ただ、なんとしてでも姫をお助け申し上げようと、声を限りに泣き叫ぶのでした。
 ちょうどその時、狩衣姿の人が大勢乗ったたいへん優雅な舟が、人々が泣き悲しむのを変だと思って、この姫が入水したあたりへと漕ぎ寄せて来ました。姫のお付きの人々はその舟の近寄るのが嬉しく、「たった今、身投げした人がいます。何とか助けてください」と慌ただしく身振り手振りやじだんだを踏んで、口々に伝える姿は哀れです。その声に応じて、泳ぎの上手な男の人々がきびきびと頼もしい様子で潜って、水中から姫を引き上げました。姫の様子は、「観音経」に説かれている「即得浅処」(大水の中に漂う時、我が名を称えて念ずればすぐさま安全な浅い所へと行かせよう)という観音様のお約束通りで、水も姫を中に入れることから遠慮したのでしょうか、この足かけ二年間に男性との夢の逢瀬に伴って涙を流されて濡れて傷んだ袖ほどにも濡れていなかったのは不思議なことでした。
 この舟は、姫の隣の部屋にいらっしゃった殿の大将様が七日間のお籠りの行が今朝満了して、舟であちこちの見物をしながらお帰りになるところのようです。大将様が姫をすぐに舟の中へと抱き入れてお顔を見ると、お歳は十八、九歳のようです。とても可愛らしく親しげで、若々しい輝きに満ちた眉と目元や顔立ちは、明け方の霞が残った中で白く美しく咲いている遠くの山桜の花を見る素晴らしい心地がします。姫は恥ずかしそうに顔を横に向けていますが、そこにはらはらとかかっている髪の筋は乱れることなくつやつやとして真っ直ぐで、『長恨歌』に楊貴妃の美しさを喩えるために引かれた玄宗皇帝の未央宮の柳が露を含んだ形を思わせます。大祥様は、この年月に見続けてきた夢では、なにかはっきりしない面もありましたが、ここにいる姫は現実の美しさがあります。そこで大将様と姫が親しくお話をなさいましたが、初めての対面だという気持ちは全くいたしません。姫はまた、死のうとした身をこのように助け上げられたことをとても恥ずかしく思うはずでありますのに、そのことを全く感じないというのは、大将様のお姿が、親しく見続けていた夢の中の相手と全く同じ姿であったからなのでしょう。
 夜のちょっとした夢に、しっかりとした男女の契りを結ぶということは、はるか昔、前世からの縁なのですが、その上にこうして実際にその相手を迎え取るということはよほど前世の縁が深いものなのでしょう。これは、もったいなくも観音様のお導きでありますから、特別に心配事もなく過ごしなさるままに、子孫の末までも一家が長く栄えて、賢明な天皇様の御治世の補佐をなさったことのあれこれをさらに細かく書き続けたいところですが、ここはただ夢に結ばれた男女の珍しい話、観音様のあらたかな霊験を書こうとしたもので、巻末に白紙を残す遊び心とし、また墨の無駄遣いであるという嘲りを避けることにいたします。

『うたたねの草子』の付録として、夢の話と恋患いの話の三題を添えます。
付録① 諺「巫山(ふざん)の夢」 中国の『文選』に収められる宋(そう)玉(ぎよく)作の「高(こう)唐(とう)の賦(ふ)」に楚の懐王が夢の中で巫山の神女と交わったという「巫山の夢」の話があります。この話には、「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の雲雨」という別名があります。「高唐の賦」を訳だけで紹介します。
  昔、懐王が巫山の南側にある楼閣に遊び、疲れて昼寝をしました。夢の中に一人の女性が 出て来て、「私は巫山の女です。ここであなたのお情けを受けたいと存じますが、いかがです か」と言います。王はこの申し出を受けました。女性は王のもとを去るに当たって、「私は巫 山の南の丘に住んでいます。朝には雲となり、夕方には夕立となってこちらに参りましょう」 と言って去りました。
 この話から、「巫山の夢」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の雲雨」という語は、男女が夢の中で結ばれること、また、男女がこまやかに情を交わすことの意味として使われています。また、神女の言葉から、「巫山の夢」などと同じ意味を表す「朝雲暮雨」という四字熟語もあります。

付録② 落語「胆(きも)つぶし」 夢の中の女性に恋をして病気になってしまった男が出てくるという落語「胆つぶし」があります。あらすじを紹介します。最近聞くことのない噺です。
  友達の民公が原因不明の病で長患いをしています。親友が原因を聞きただすと、夢に出  て来た女性に恋をしてしまったとのことが判り、医者に相談すると、そのような病は中国の 古い書物にあり、この病を治すには、亥の年、亥の月生まれの女性の生き胆を飲ませれば良 いということを言われます。親友が、それは無理かと失望しながら家に帰ると、屋敷勤めの 妹が宿下がりをして帰って来ていました。久しぶりに会った妹と話して年齢を尋ねると、「私 は亥の年月が揃った珍しい生まれで、芝居なら殺される役だと、よくお母さんが言っていた」 と答えます。これも何かの因縁か、民公の親父さんにはずいぶん世話になったし、民公はか けがえのない友達だからと思い切った親友はその夜、寝付いた妹の上から、出刃包丁で刺そ うとしますが、そこは肉身の情で、思わず涙がこぼれます。その涙が頰に当たって妹は目を 覚まし、兄の持っている出刃包丁を見てびっくり、「兄さん、いったい何をやってるの」「こ の間、芝居でこんな場面を見たから、真似をしているんだ」「そうなの、私ゃ殺されるかと思 ってびっくりして、胆をつぶしたよ」「なに、胆をつぶした、それじゃ、もう薬にならねえ」。
 驚いたことを「肝をつぶした」と言う言葉は現代では使われなくなりました。
 浄瑠璃の『摂州合邦辻(せっしゅうばっぽがつじ)』では、業病にする毒薬の解毒剤が、寅の年月日時まで揃った女の生き血であるという設定があります。、愛と義理と忠義が語られる「合邦住家の段」(合浦庵室)という場面があります。

付録③ 落語「崇徳院」 こちらは夢ではありませんが、恋をした相手がどこの誰なのか判らずに病気になるという落語です。現在演じられている形であらすじを紹介します。
  ある大店の若旦那が原因不明の病で臥せっています。医者を次々と取り換えていたところ、 最後に来た医者が、「この病人は何か心に秘めていることがある、それが判れば病気は全快す るが、この様子ではもってあと五日だ」と言って帰ります。そこで慌てた大旦那は、若旦那 と親しい出入りの熊さんを呼んで、若旦那が心に秘めていることを聞き出させます。熊さん が若旦那から聞き出したのは、若旦那が上野の清水堂(上方落語では、高津神社)へ参詣に出 掛けて境内の茶店で休んでいたところ、美しいお嬢さんがお伴の人を数人連れて来合わせ、 そこでお嬢さんが袱紗を落としたのを若旦那が拾って渡したところ、そのお嬢さんが料紙を 取り寄せて「瀬を早み岩にせかるる滝川の」という崇徳院の歌の上の句を書いて渡してくれ た、それ以来そのお嬢さんに恋患いをしてしまったということでした。大旦那は、熊さんに、 そのお嬢さんを見つけられなければ主(しゆう)殺しだとして訴えるという脅迫混じりでお嬢さん捜し を依頼します。期限の五日目、熊さんは、何軒もの湯(ゆう)屋(や)(銭湯)や床屋(理髪店)を渡り歩いた 結果、三十六軒目の床屋でようやく出入り先のお嬢さんが恋患いをしているので相手の若旦 那捜しに出るという先方の町内の鳶の頭(かしら)と遭遇し、若い二人はめでたく結ばれます
小倉百人一首』の崇徳院の歌が相手を見付ける唯一の手がかりなので噺の題になったのでしょう。