藤袋の草子 福福亭とん平の意訳

藤袋の草子

《始めに》この物語は登場人物の名前がありません。どこにでもいるような夫婦一家と娘の物語です。判りやすいように、翁(おきな・おおじ)を喜六(四十代)、姥をお松(同年代)、娘をおもよと名付けて民話風に意訳します。

 昔のことです。近江の国のある山里に住んでいる喜六が、花の霊力で飛び散る悪霊や疫病神を鎮める鎮花祭の手伝いとして都へ上って、祭りが終わりましたので故郷へと帰りました。その途中のある道端に、赤ん坊がお盆のような板に載せて捨ててありました。喜六が見ると、この赤ん坊は、輝くような美しいの女の子でした。喜六は、この歳まで子どもがないから、何としてもこの子を拾って帰って自分の娘として育て上げようと思って、懐へ入れました。赤ん坊を大切に抱いて帰る道はいつもよりも遠く感じられました。
 そうして喜六は山里にある自分の家に帰って、妻のお松に、この赤ん坊は捨て子にされていたので、我らの子として育てるつもりで拾ってきたということを話して、赤ん坊を見せます。お松も心の優しい人でしたから、とても喜びました。お松は赤ん坊の境遇を哀れに思って、実の子のように大切に心を籠めて育て、早く大きくなることを楽しみにしていました。
 その後、だんだんに時が過ぎ、おもよと名付けられたこの子は、もう大人の年齢の十三、四歳になりました。おもよは、同年代の子たちよりもずっと大人びて可愛くなり、夫婦の貧しい暮らしの中でしたが、少しもやつれたところがなく、まことに輝く姿でありました。
 そんなある日、喜六は畠を耕していましたが、あまりにもくたびれたので、少し休みをとって、「たとえどこかの山の猿であってもも良いから、誰かこの畠を耕してくれないものかなあ。耕してくれたらおもよを与えて、婿にしてやろう」と何の考えもなく独り言をつぶやきますと、どこにいてこの言葉を聞いたのでしょうか、大きな猿がやって来て、畠を耕してしまい、「明日は申の日で吉日じゃ。仰った約束を破らないでくだされよ」と意って姿を消してしまいました。
 喜六は、つまらない独り言をつぶやいてしまったと、とても後悔しました。
 喜六が家に帰ると、お松は急いで喜六の夕飯の仕度をして、「どうしました。さぞかしくたびれたことでしょう。さあ。召し上がれ」と言いました。ですが、喜六は橋を取ろうともしないで、物思いにふけっている顔付きでした。そこで、お松は妙だなと思って喜六に、「お前様、何を考え込んでおられる」と尋ねました。隠し通すことができないことなので、喜六は畠であったことをあらいざらいお松に話しました。お松は、「まあ、何とも馬鹿なことを口にしたものじゃ」ととても怒って喜六を叱りつけました。
 喜六は、明日になったらきっと猿がおもよを迎えに来ることだろう、おもよを連れて都へと逃げたとしても、その道中でおもよを猿に奪い取られるだろう、さあ、どうしたらよかろうかと考えました。そして、涙ながらに家の裏の藪を掘って、可哀想ではあるけれども仕方ないとおもよを大きな櫃に食べ物と一緒に入れて、地中へと埋めて隠しました。喜六とお松は、向かいの山の中へ隠れて、猿がやって来る様子をうかがっていました。
 昨日の大きな猿は、昼過ぎの申の時に、乗るための馬を牽かせて、自身は輿に乗っておもよを迎えにきました。喜六夫婦の家に来てみると、誰もいなくて、ひっそりとしています。猿たちは妙だなと思ったのでしょうか、屋根の上、板敷きの下までも、きいきいと言いながら家中を探しましたが、誰もいません。大猿は、供に付いてきた猿をどこかへ行かせました。すると供猿は、みすぼらしい猿を連れて戻って来ました。このみすぼらしい猿は占い者だったようで、算木を置いてあれこれと占っていましたが、その後に家の裏の藪を掘らせました。お松と喜六は離れた山の木の陰からこの様子を見て、とても悲しく、駆け寄って櫃に取りすがろうかとは思いましたが、それはできないと思って、泣きながらおもよのことを案じて見守っているだけでした。二人がここでわずかに出来たことは、昔からずっと信仰してきた清水寺の方向を伏し拝み、なにとぞおもよが無事でありますようにお守りくださいと深く祈ることだけでした。
 大猿はおもよを掘り出したので喜んだ様子で、自分が乗ってきた輿におもよを乗せて、まるで鳥が飛び立つようにねぐらへと帰りましたので、喜六とお松は、まるで夢を見ているような気持ちになって、泣く泣く猿が消えた山の奥へと跡をたどって入って行きました。二人は、おもよはどんなに悲しい気持ちでいるのだろうと思われ、二人はおもよのことがは可哀想でなりませんでした。
 猿たちが道も無く入って行った険しい山の中には、屋根を柴で葺いた家がありました。その家の中におもよを輿から下ろして、婿の大猿はおもよに近付いていろいろと軽口をたたいて、おもよをなごませようとしましたが、おもよは顔を上げようともしないで、大声で泣いています。そこで猿たちは、おもよの気を紛らそうと、酒盛りをして舞ったり歌ったりの宴を始めました。
 それでもますます恐ろしく思ったのでしょう、おもよは少しも気が晴れないままで、薄衣を被って泣き伏していました。婿の大猿はおもよをもてあまして、「それでは、山へ行って珍しい果物や木の実を採って来て差し上げよう」と言って出掛けかけましたが、すぐに戻って来て、「出掛けた後に、もしかして他の者に心を移して逃げることがあるかもしれない」と言って、藤袋と呼ばれる藤の蔓で編んだ籠の中におもよを入れて、それを高い木の枝の先に結び下げました。そこに見張りの猿を一匹残して、猿たちは山へと行きました。
 喜六とお松は、何とかして藤袋の中の娘を取り下ろしたいと、じだんだを踏んで見上げていました。そこへ、観音様の御恵みでしょうか、大勢の狩の一行がやって来ました。喜六はこの人たちを見て喜んで、一行の中の主と思われる馬に乗った人の前に出てお辞儀をして、この藤袋が下げられた事の起こりからの一部始終を包み隠さずに話しました。この人は情け深い人でしたので、「どのようにしたらよかろう」とお供の人たちと相談しました。
 藤袋が結び付けられているのは木の高いところでしたので、人間ではとても登って下ろすことができないということを人々が言いました。そこで、平次という者が供の中で弓の上手でしたので、「お前の弓で射て、あの藤袋を吊ってある縄を切れ」と言うことになりました。平次は、「射損なったならば、中の女性に当たってしまいます」と意って尻込みをしましたが、喜六が、「このままであっても、おもよが猿に従わなければ、しまいには猿に食い殺されてしまうでしょうから、一緒のことです。どうせのことに射てください」と一心に言います。そこに加えて主もしきりに平次に弓を射るようにと命じますので、平次は断ることもできずに、仕方なく引き受けました。平次は、ここが自分にとって一番の大事の勝負の場だと思い定めて、一心に神仏の力添えを祈りました。源平の戦の折に、那須与一屋島で平家方から出された扇の的を射た時もこのようであったと思われます。周りの人々もうまく当たるようにと祈りを籠めて見守っているうちに、平次は藤袋を吊り下げていた紐をものの見事に、先が分かれた雁股の矢で射切りました。喜六もお松もとても喜びました。この時、藤袋の下には小袖を敷いて、袋が落ちるところを受けましたので、おもよは無事に地上に着きました。
 さて、藤袋の蓋を取って中を見ると、おもよは流した涙で繭墨を始めとして化粧が崩れてしまい、髪は涙が絞れるほどにで濡れてしまっていましたが、おもよのひどい姿でも、世間の普通の人がきちんと化粧をした姿よりも遥かに綺麗でした。
 狩の一行の主はこのおもよの姿を見て、早くもおもよに恋心を抱き、すぐにも自分のものとして館へと連れ帰ろうと思いましたが、何もしないままに猿が帰って来たら、面倒が起こるだろうと思って、狩のために連れてきた秘蔵の狸捕りの名犬をこの藤袋に入れて、そこにいた留守役の猿に、「もとのように木の枝に結び付けて来い。しないと矢で射殺してしまうぞ」ときつく命じました。留守役の猿は顔を赤くしながら木に登って、もとのように結び付けてきました。「いいか、猿たちが帰って来た時に、このことを決してこうだと話してはならない。言い付けに従えば命だけは助けてやる」と強く命じて、一行と喜六一家は、向かいの山へと入って,猿たちの帰るのを待ち構えていました。
 この狩の一行の主は、おもよを迎え取るために載せる輿を取りに行かせました。ちょうどその間に、猿たちが、いろいろな果物や木の実をたくさん籠に入れて、大勢で帰って来ました。その様子は、普段粗暴な猿にしては、とてもかわいらしく見えました。「万一、猿どもがこのおもよを見付けて取り返しに来たら、皆殺してしまえ」との命令で、人々は岩の陰、木の根元に隠れていました。
 さて、帰って来た猿たちは藤袋をすぐに下ろそうとはしないで、「ここで姫君を題にして歌を詠んで、姫をお慰めしよう」ということになり、木の葉の短冊と筆硯を出してそれぞれに歌を考えている様子は滑稽なものでした。
 一同が順に歌を披露する中で、留守役の猿は、姫がいないことをそれとなく知らせようと思ったのでしょうか、それとない喩えの歌として「おろかなり枝に下がれる袋にはいがみ面なる物ぞ入りたる(ご存じないのですか、枝に下がっている袋には、姫ではなく怖いしかめ顔の物が代わりに入っていますよ)」と詠みましたが、この祝いの席に「おろかなり」や「いがみ面」などという馬鹿にしたり姫をけなすという、場にそぐわない不吉な歌を詠んだということで座敷から追い出されてしまいました。
 めでたい歌が一通り揃ったということで、木から袋を下ろして、袋の蓋を開けたところ、中から狸捕りの名剣が飛び出して、婿の大猿の喉元へと食い付きました。この光景を見て。他の猿たちが逃げ惑ったところへ、狩の一行が木蔭から放して猿に掛からせましたので、猿たちはあちらこちらで犬に咬み殺されたり、狩の人々に殴り殺されました。留守役の猿は、言いつけを守った忠義な猿だとして、命を助けられました。
 狩の主が、「昔、周の武王は、渭水という川のほとりで太公望という名将を得た。今の私は、思いがけずに美しい女性を連れ合いとして得たことだ」と言って、この上なく喜びました。狩人たちは猿たちの皮を剝いで、おもよを輿に載せて、喜六とお松を連れて山を出て、主の館へと急いで帰りました。
 それから後、主は、おもよを妻として、とてもとても大切に扱いました。喜六とお松にも、別に館を建てて世話をしました。矢を見事に射た平次は手柄者として、一つの領地を与えられました。留守役の猿は厩で馬の飼育をさせました。このようにおもよが楽しく暮らせたことは、何よりも、観音様の御利益であるということです。