まつら長者 後編(四段目~六段目) 福福亭とん平の意訳

まつら長者 後編 (四段目~六段目)
  四段目
 気の毒なさよ姫は涙ながらに足を速めますと、間も無く、先をどちらと問うという言葉に通じる遠江浜名湖、そこの今切から入ってくる潮の流れに棹をささなくても上る漁師の小舟のように、舟を漕ぐに縁ある言葉の焦がれて物を思うのでありましょう。南を遠く眺めると、広々とした大きな海には数多くの舟が浮かんでいます。ああ風情のある景色だなあと見て、北側にはまた湖があります。岸には陣屋が連なって建っていて松の枝を吹き渡る風の音や波の音の、どれが仏法に連なるものなのだろうと頼りなげに目をやって通って行きます。ああ明日の命の程は判らないけれども、生きるという音に通じる池田という興ある宿の名は頼りがいがあります。さらに袋井の一筋道を長く行き、日坂を過ぎると、評判に聞いた佐夜の中山というのはここだそうです。
 気持ちは先を急ぎ、間もなく名所旧跡を早くも通り過ぎて、ゆったり流れる大井川です。岡部の宿の手前には、少し荒れていて物寂しげな夕暮れであっても、神に祈りを掛ければ叶う金谷宿とか、四方に神ならぬ髪が生えているわけでもないけれど宿の名を島田髷と同じ島田宿と聞けば、髪を隠すのに袖が寒いです。峠の名を聞けば優美な鞠を打つ宇津の山辺に鞠ならぬ丸子川があり、賤機山を右側に見て行けば三保の入り海は波が激しくてその激しさに物思いに耽るのは私一人、こんな所を駿河の国の名所とは、どんな人が言ったのか、と由比の宿、さらに蒲原宿を見て通り過ぎ、心細く眺めて、富士の山を見上げると、去年の残り雪がまだらに消え残ってところに今年の雪が降り積もって、あれあれ一年中雪が消えない山の様子であります。南の海をみればここは田子の浦です。その手前には東西に細長く楕円の形に見える沼もあります。原では、夕刻に蘆の間を行く舟を進ませて、塩焼きの小屋の煙が立ちます。伊豆の三島を通り過ぎて箱根の足柄の宿に着きました。
 お気の毒なさよ姫は、慣れない旅のことなので、足の裏から流れ出る血は、道の石を一面に赤く染めます。さよ姫は今はもう一歩も前に出られないと、枯れ木の根元を枕として、もはや駄目だと横になられました。太夫はとても腹を立てて、「これから先は何日で行くと予定を決めた旅程なのだから、、このままぐずぐずとしてはいられないのだ」と言いながら、さよ姫の腕をとって引っ張って、陸奥の国ヘと道を急ぎました。
 足を早めて行くと、間もなく相模の国に入りまして、大磯・小磯の海辺をを早くも通り過ぎ、めでたいことを聞くという菊川を過ぎ、鎌倉山はあれだろう、さらに広くてどちらへ行くとも判らない武蔵野に入り、隅田川に着きました。これがまあ、話に聞いた都から攫われた梅若丸の墓、墓には柳と桜の木を植えてあって、念仏の声が心に沁みるように聞こえます。さよ姫は、梅若丸の身の上が自分の運命と同じことと思われて、これから私はどうなるのだろうと思って、まず涙が流れるのでした。
 夜が明けて白んでくる白河は、二所の関とも言うようです。さらに恋しい人に会う会津の宿にに来て、梢の枝の筋もはっきり見分けないほどに脇目を振らずに先を急ぎましたので、それほど時が経たずに、奥州二本松、陸奥の国の安達の郡にお着きになりました。
 太夫は屋敷に入って、妻女を呼び寄せて、さよ姫を連れてきた事情をこうだと伝えました。妻女は、とてもうれしく思い、早速さよ姫に対面して、「ああ、美しい姫君ですこと。長い旅でさぞお疲れのことでしょう」と、奥の座敷へと呼び入れて、あれこれと世話をいたしました。さよ姫は、「ああ、情けないことに私は、一度も見たこともない陸奥の国まで買われて来てしまって、この身はどうなってゆくのかしら」と、ひどくお泣きになります。
 さて太夫は、早速にさよ姫のいる座敷を飾り付けます。第一には、清浄な物として、葉を取り除いた藁、神事に使う新薦を敷きました。座敷に注連縄を七回り張り回して幣を十二に切って、合わせて七十二の幣として立て、こここそが姫がおいでになる特別の部屋と荘厳しました。姫自身の身も浄めようと二十一度の垢離を取りました。可哀想にさよ姫は、どのような事情でこうされるのか全く思いもかけず、「これこれ、皆さん、奥州の部屋に入るには、このようにしないと入れないのですか」と、泣きながらお尋ねになります。
 世話をする女房たちは、「ああお気の毒な姫の思いですねえ。どうしてこのようにされるのかご存じなければ、さあさあお知らせいたしましょう。明日になりましたら、ここから北へ八町行ったところに、さくらのが淵と言って、周囲三里の池があり、その池の中に一つの築かれた島があります。この島の上に三階の棚を作って、その棚の上には注連縄を張って、姫を大蛇の生け贄に供えようとするための準備ですから、このようにあなたの身を浄めているのです」と詳しく話をしましたので、さよ姫はまさかこのようなこととは夢にも思っていませんでしたので、身を投げ出してお泣きになりました。
 さよ姫は涙を流しながら、嘆きごとを仰るのが気の毒です。「以前私を買い取りなさったその時には、子供の一人に加えようと、固い約束をなさいましたが、私を人身御供にしようとの話はいたしませんでした。これはいったいどうしたことなのですか」と、激しくお泣きになりました。
 太夫の奥方はあまりに可哀想で、姫を近く呼んで、「これ申し、姫様、お嘆きはごもっともです。あなたの生国はどちらでしょうか。都の近辺だとは伺っています。私も来年の春の頃に、都参りをする予定です。もしもご両親にお便りの手紙をお送りになりたいのでしたら、私の気持ちで、心を込めてお伝えしましょう。姫様、いかがですか」と涙を流しながら仰います。さよ姫は、ただうつぶせになったまま、何の返事もいたしません。奥方はこの様子を見て、「私の一人の娘であっても、人身御供に出すのならば、どれほど悲しいことであろう。あの姫の両親の心の中が思いやられて可哀想じゃ」と泣きながら仰います。この妻女の心は、優しいという一言だけでは表せないほどでございます。

  五段目
 このようなことのうちに、太夫は人身御供を差し出す準備をして、八郷八村に知らせようと思って葦毛の馬に乗り、八郷八村を触れ回る様子は興味深いものでした。「この度、ごんがの太夫は、大蛇への生け贄の当番に当たっておったが、都へ上って、姫を一人買い取って下って参った。さっそく人身御供にお供えするのである。皆々お出でになり、見物なさってくだされい」と、辻々、家々で触れ回ったので、八郷八村の人々はこれを聞き、この池の周りに見物席を作り、小屋掛けをして、あらゆる人々が集まってきました。
 こんな人々の騒ぎの一方、可哀想にさよ姫は、故郷への形見の手紙を書こうとして、硯の筆に手を掛けて文章を書こうといたしましたが、涙で目がふさがって、どう書いてよいかもよく見えず、筆を前へからりと捨てて、身も世も泣くお泣きになります。奥方をはじめ、周りに付き添う女房たちも、まことにもっとも、可哀想だとみな涙を流しています。
 太夫はこの様子を見て、もはや人身御供の日は明日に決まっている、姫に事情を細かに語って聞かせようと思って、「これこれ姫よ、あなたをここまで連れてきたのは、他のことでもない。あの山の奥に大きな池がある。この池に年に一度人身御供を供えて参ったが、今年は我が家がその番に当たったので、あなたを人身御供に供えるのじゃ。覚悟なさい」と言いました。
 ああ、気の毒な姫君は、この事情をお聞きになり、「これ太夫様、以前からどのようなつらい目にでも遭おうという覚悟ではございましたが、このようなこととは全く知りませんでした。でも、もう、それも仕方がありません。父の菩提を祈るためと思えば、全く恨みとは思いません。国元にいらっしゃるお母様がどれほどお嘆きになることか、それだけが気がかりです」と、また激しくお泣きになります。
 早くもその時になりましたので、気の毒にも姫君を、十分に着飾って用意をさせ、身分の高い人が乗る立派な網代の輿にお乗せして、十八町(原文のまま、以前の話では八町でした)離れたところにある池の岸へと急ぎました。いろいろな身分の人々がぎっしりと見物に出て来ています。姫の輿を決められた場所に下ろしました。可哀想に姫君は輿からお出になり、それから長者が舟にお乗せして、築島指して漕ぎ出しました。
 舟は水の上を進んで早くも築島に着きましたので、三段の棚を作り上げ、周囲に注連縄を張らせてありまして、棚の上に姫を人身御供として供えて、中の棚には神主が、一番下の棚に太夫が上がりました。神主はすぐに礼拝をして申し上げることには、「あああ、有り難い次第でございます。これはごんがの太夫が、当地繁昌を祈るためにお供えします。どうぞお守りください」と、数珠をさらさらと押し揉んで、懸命に祈りました。
 太夫も同じように身を浄めて懸命に祈ることには、「今年は私めが、人身御供の番に当たりましたので、姫を一人買い取ってきて、ただ今人身御供に差し上げるものです。どうぞこの土地を無事安泰にお守りなさってくださいませ」と、重ねて願い事を連ねて、祈りの言葉を申し上げました。それから池のほとりへと帰りました。陸に上がると、皆々ぎっしりと並びました。
 可哀想なさよ姫君は、三階の棚の上にただ一人、呆然としておいでになっています。そのお気持ちがお気の毒です。ああ、ひどいこと、姫の最期の時は今だと池のほとりの人々は騒いでいますが、何の動きもありません。集まった人々はこの様子を見て、「ああ、情けないことだなあ。神主めがいらない頼み言葉を唱えたばかりに、大蛇様のご機嫌を損なったのだろうか。ああ恐ろしいことじゃ」と言って人々は家へと帰り、門や木戸を固く閉めて、妻や子供に至るまで一家中がおびえ悲しむことこの上ありません。それぞれがじっと祈って、音を立てる者とてありません。
 気の毒にさよ姫は、ただ一人寂しく、涙を流していらっしゃいます。頼る者なく心細く、目を閉じて念仏を唱えていらっしゃいます。
 恐ろしいことに、急に空がかき曇って、雨風が激しくなり、雷が次々と強く鳴って、池の面は波立って、その長さ十丈ほどの大蛇が水を巻き上げて、赤い舌を振って、三階の棚の中段に頭を載せて、さよ姫をただ一口に飲もうと、火炎を吹きかけて向かって来ます。さよ姫は少しも騒ぐようすもなく、「これ、大蛇よ、その方命のある者ならば、少し待っておくれ。そなたもそこで聞いていなさい」と、父の形見の『法華経』の経巻を取り出して、声高く読み上げなさいます。
 「この経の一の巻は、冥土にいらっしゃるお父様のために、二の巻は奈良の都にいらっしゃるお母様のため、三の巻は私の一族のご先祖の方々のために、四の巻は私を買って下さった太夫ご夫妻のため」と仰り、五の巻を取り出して、「これは私自身のために」と声高く読み上げなさいます。「一者不得作梵天、二者帝釈、三者魔王、四者転輪聖王、五者仏身、云何女身、速得成仏」とお読みになります。
 「そもそもこの提婆品という巻は、八歳の竜女が即身成仏をしたということを説く経典であるので、大蛇、その方も蛇身を受けた苦しみから逃れるように」と仰って、お経の巻物をくるくると巻いて、大蛇の頭めがけてお投げになると、有り難いことに大蛇にあった十二の角がはらはらと落ちました。さらに「この経典の功徳を受けよ」、蛇の身を上から下へとお撫でになると、一万四千あった鱗が、一度にはらはらと落ちました。この様子を物に喩えれば、三月の頃に屋敷の門に植えた桜の花が散るように、散り散りに落ちたと言えばふさわしいです。
 大蛇は、「ああ有り難いこと」とそのまま池の中へ入ると見えたのですが、十七八歳の気品ある身分の高い女性と姿を変えて、さよ姫に近づいて、「これ姫君、実は私はある事情があって、この池に住むことが九百九十九年になります。その年月の間に、人身御供を取ったのが九百九十九人になります。もう一人呑めば千人になったのです。あなたのような尊い方に巡り会うこは、めったにないことでございます。これは何かと言えばひたすらお経のお力で、すぐさま大蛇の身を受ける苦の世界から離れて仏となり、悟りの境地に至ることができるのは、この法華経の徳に他なりません。さて、この御恩をお返しするには、何をお布施として差し上げましょうか」と言って、竜宮世界にある、如意宝珠という何事も意のままになるという宝の珠を取り出して、「さて、姫よお聞きなさい、この珠という物は心に浮かぶ願いの叶う珠なのです。腹の具合が悪いときはこれで腹をお撫でになるとよろしい。両眼が見えないものなら、この珠を使えばすぐに見えるようになります。とてもとてもすばらしいこの珠なのです。これを姫君に差し上げます。このことを疑わずによく信じてください」と、首を傾けて涙ながらに言います。いろいろなことがありましたが、さよ姫の心の内は、嬉しいという言葉だけでは言い表すことができないくらい嬉しさで一杯です。

  六段目
 この時、さよ姫は夢から覚めた心地がして、呆然としていらっしゃいました。さよ姫が、「これ大蛇、私は、父親の菩提を弔うために我が身を売って、この土地までやって来て、そなたの餌として供えられるということならば、この命は全く惜しくありません。ささ、さっさと私を取って呑んでおくれ、大蛇よ、どうなのだ」と仰ると、大蛇は、「ああ、もったいない仰りようです。今まで人を生け贄として呑んできたことを、とてもとても後悔しています。それでは、私のこれまでの身の上話を語ってお聞かせいたしましょう。
 私は、国は伊勢の国二見が浦の者でしたが、継母に憎まれていじめられたので家を出て、人買いに欺され、あちらこちらと売られて来て、その後この土地の有名な十郎左衛門という者が私を買い取って、つらい思いをしていました。そのころのこの池は、小さな流れの川でありましたので、土地の人が集まって、橋を架けようと計画して、一年に一度ずつ橋を架けようとしましたが、橋が架かることはありませんでした。土地の人は集まって、どうしようと相談をしました。中に、神が乗り移った若い者が出て、その者の言葉に、陰陽の博士を呼んで橋が架からない訳を占わせるのが良いとあり、すぐに博士を呼び寄せました。
 博士がやってきて事細かに占いました。なんという恐ろしい占いでしょう。その結果は、美しい女性を人柱として川に沈めるならば橋は完成すると占ったのです。それは簡単なことだと話がまとまり、すぐに籤を作って引いてみれば、私を買い取った十郎左衛門が当たりました。それで私を川に沈めたのです。
 この川端へ連れられて来たその時に、私は余りの悲しさに、「ああ情けないことだなあ、この八郷八里の里に他にも多く人がいるのに、よりにもよって私をここに沈めるものならば、我が身は長さ十丈の大蛇に変じてこの川の主になって、この土地の者を捕まえては呑み、捕まえては苦しめるようになって、ここの七浦の土地を荒れ果てさせてやろう」と、このように呪いの言葉を吐き、とうとう川に沈められて、この姿となりました。それはついこの間のことと思いましたが、今日まで九百九十九年ここに住みつき、年に一人ずつの人を呑んで、人々の嘆きを一身に受けていました。その報いでしょうか、私の鱗の下に九万九千の虫が棲み付き、我が身を傷めるその苦しみは何と喩えようもないほどのものでした。とてもつらいことでありました。このような苦しみの時に、あなたのような尊い姫君に巡り会えたことは、ただただ仏様のお引き合わせでしょう」と、この上なく喜びました。
 さよ姫は大蛇のこの様子をご覧になって、「これ、大蛇よ、私は大和の国の者ですが、恋しい土地は大和です。奈良の都にお母様がただ一人おいでですが、まだご存命でいらっしゃるのか、こればかりが気がかりなのです。ああお母様が恋しいこと」と、身を揉んでお母様を恋しがってお泣きになる、そのお気持ちがお気の毒です。
 大蛇は姫君のこの言葉を承って、「それでは、あなたの故郷は大和でいらっしゃるなら、私が大和まで届けて差し上げましょう。ご安心ください、いかがですか、姫君」と申しました。さよ姫はとても喜んで、「しばらく待ってください、大蛇よ」と言って太夫の所へ来ましたので、太夫も奥方も、これはいったいどういうことかとあきれるばかりで、眼前のことが実際に起きていることと思えず、「どういうことで大蛇の口を逃れてこちらにおいでになったのか、どうしてどうして」と言います。
 姫君はこの言葉をお聞きになり、今回の出来事の一部始終を説明されますと、太夫夫妻はとても喜びました。太夫は、「ところで姫様、そんなに奈良の都へお帰りになりたいですか。ただただここにお留まりください。どちらかの大名に輿入れをおさせしましょう。姫君いかがでしょう」と申します。
 さよ姫はお聞きになり、「それは有り難いお話です。この度のお二方からいただいたお情けは、決して忘れるものではありません。ですが、私は大和の国の者でございますので、まずは故郷へ帰り、母に対面をして、またこちらへ参りましょう。今はお別れいたします。ごきげんよう」と仰って、つらい思いをした陸奥の国から出られることは何よりも嬉しいと、そのまま池のほとりへとお下りになり、「さあ、大蛇よ、私を故郷へ送っておくれ」と仰います。
 大蛇はこれを聞いて、「それではお送り申し上げましょう」と、姫君を自らの頭の上に乗せて池の底へと入ると見えましたが、またたく間に、大和の国で名高い、奈良の都の猿沢の池の水面へと浮かび上がり、池のほとりに姫君を下ろして、「おいとまいたします、さようなら」と言って、それから大蛇は竜の形となって、天へと上って行きました。もう後へ返らずに竜が去るということで、この池の名を猿沢の池ということは、この時から始まったのです。
 さよ姫はこの竜が天に上る様子をご覧になって、今はまた大蛇との別れが悲しくなって、心細くなっていらっしゃいました。大蛇はそれからすぐに、壺坂の観音様と祀られて、人々をお救いになられました。さて、それからさよ姫は、奈良の都の中をゆるゆると進まれ、松谷へとおいでになり、昔住んでいた建物の中に入って、あちらこちらとご覧になると、屋敷を囲む塀も建物の軒も壊れ果てていて、お母様はここにおいでにならず、屋敷の中にはただお母様を呼ぶさよ姫の声が響くばかりです。
 さよ姫はこの様子をご覧になって、ああ情けないことだなあと、建物の中から外にお出になり、近所の人々に近寄って、お母様の行方をお尋ねになります。近所の人々が言うことには、「実は姫様、お母様はあなた様がおいでにならなくなってから、夜明けから日暮れまで一日中、ああ姫が恋しいとお嘆きなさって、間もなく両眼を泣き潰して、どちらとも判らず屋敷をお出になり、行方知れずになられました」と言います。
 さよ姫はこの言葉を聞いて、今のことは夢か現実かと、母君の姿をあちらこちらとお探しになられましたが、お母様の行方の手がかりはありません。それでも、巡り会えたのは親と子の縁なのでしょうか、お気の毒にもお母様が袖乞いをなさっていらっしゃいました。土地の子供たちが口々に、「松浦の狂い者、こちらへ来い、あちらへ行け」と言い、子供にまでからかわれていらっしゃいます。
 さよ姫はこの母上の姿を夢に見たかのように思い、母上にするすると走り寄って、しっかりと抱きついて、「これ母上様、さよ姫がここに参っております」と涙を流しながら申し上げます。母上はこれをお聞きになり、「さよ姫とは誰のことじゃ、これこの娘、私は昔松浦谷という所にいた時に、さよ姫という娘を一人持っていたが、人買いが姫を欺して連れて行き、行方知れずになったが、姫はもうこの世に生きてはいない者じゃ。目の不自由な者の杖に打たれても、私を恨むではないぞ」と。杖を振り上げて、周りに振り回しましたので、さよ姫はますます悲しくなって、大蛇が授けてくれた竜宮の如意宝珠を取り出して母上の両眼に押し当てて、「善きことあれや、眼がはっきりとと見え、治りますように」と、二、三度お撫でになると、母上の両眼はぱっと開いて見えるようになりましたので、母上様はこれはこれはと仰るばかりで、二人の喜びはこの上ありません。
 さて、この後にさよ姫は、お母様と一緒に、故郷の松谷へとお帰りになりますと、以前に仕えていた人々があちこちから集まってきて、誰も彼もが,私めは再び奉公いたしましょうと言って、多くの人が家来になりました。屋敷は次々と建物を並べるような豊かな暮らしになりました。さよ姫は奥州へと使いを出して、太夫夫妻をお呼び寄せになり、多くの宝を授けました。そしてまたこの太夫夫妻を家の家来として頼りにし、日ごと、月ごとに富み栄え、ますます豊になってゆきました。この家は、再び松浦長者という名をお継ぎになりました。これはただ、親孝行の気持ちを神仏が汲んでくださったものに他なりません。
 それから年月が過ぎて行きまして、さよ姫は八十五歳になって大往生をなさいました。その時に花が降り虚空に音楽が聞こえて、過去・現在・未来の三世の諸仏がお迎えに来られ、西の方には紫の雲が棚引き、すばらしい薫りが漂って、西方弥陀の浄土へとおいでになりました。人々はこの様子をご覧になって、このようなことはめったにないことだとあれこれと評判をしたのです。
 さよ姫はこの後、近江の国、竹生島弁才天と祀られました。かつて、大蛇に縁を結ばれたことがありましたので、竹生島でのお姿は頭上に大蛇をお載せになっているのです。この竹生島という島は、東西南北ともに開けているので、十方山とも申します。夜の間に出来た島なので、明けずが島とも伝えています。竹が三本生えていますので、それで今日まで竹生島とも申します。
 昔も今も、親に孝行する人は、この素晴らしい結末を決して疑ってはいけません。親不孝の者は、いかなる神仏も守ってはくださいません。現在生きている親には無論こと、親が亡くなった後までも孝行を尽くさなくてはいけません。また、この弁才天は女の人をお守りくださるので、女の人は我も我もとお参りになり、竹生島へとお参りしない人はいないのです。親のために身を売った姫の物語、はるか昔から今の代までも、めったにないことだと、感心しない人はいません。