小男の草子 福福亭とん平の意訳

物語には、神仏が人間であった時代の出来事を語り、こうして神になるという作品がありまして、「本地もの」と呼ばれています。そのような作品を一つ、取り上げてみました。地方出の男が、どこで身に付けたか和歌に堪能であるというのは、『物くさ太郎』とも共通するところです。

  小男の草子(こおとこのそうし)

 少し昔のことでございます。大和の国のよりまの郡に不思議なことがありまして、背の高さ一尺(約30㎝)、横幅八寸(約24㎝)の男がいました。この男が心に思うことには、「若い時に奉公をしておけば老後の昔語りにもなり、見聞も広められ、人生の機微をも知ることができると聞いている。私はもはや二十歳を過ぎ、何の思い出も作らずに日々を過ごしているのは残念だ。それなら、都へと上って、奉公をしよう」と決心しました。両親は懸命に止めましたが、家を忍び出ました。友達の家へ行って大刀を借りて腰に差して出立し、三月二十五日という日に、早くも都に着きました。
 さて、男は都の内を静かに見物して、たとえ背丈は小さくても、宿だけは大きな宿を借りようと思ってあちこちを尋ね、大きな建物の玄関で、大きな声を掛けました。家の中から女が、「大きな声を出して、どなたですか」と出てみると、身の丈一尺、幅八寸の男でした。「何でしょうか」と言うと、男は、「遠国から出て来た者です。宿を願いたい」と申します。女は、「こちらへお入りください」と入れました。男が京に滞在してしばらく経ったある日、清水寺へ参詣しようと思い、この家で僧の使う傘を借りて肩にもたせかけ、数珠をつまぐって出掛けました。
 ある家の奥様が、これも清水寺へとお詣りにおいでになり、この男を見て、「ああ、かわいらしい方、どちらの、どのような方ですか」と尋ねます。男は、「はるばる遠国から来た者で、奉公を望んでおります。どちらへでも紹介してください」と答えます。女性が、「それなら、私の家で使いましょう。奉公なさいますか」と言うと、男は奉公することを答えて、伸び上がって帰りました。
 さて、この男の与えられた仕事は、清水山の松葉を搔き集めて、燃料とすることだけでした。男は、「私が奉公すれば、どこかの土地の役人になれたり、良家の婿にもなれるかと思ったのに、このような下仕えの仕事をさせられるとは情けない」とは思いましたが、「いやいや、これも前世の因縁なのだろうよ」と思い直して山へと出掛けて行きます。
 ここに、ある身分の高い女性が、これも清水寺へとお参りにお出掛けになりました。年の頃は十七八ほどと見える方で、下女一人がお供です。男はこの女性を一目見て、そのまま恋に落ち、せめて住みかを確かめようと後をつけて行くと、ほど近い築地塀のある立派な屋敷に入りました。
 男はこれを確かめて、松葉を掻き集めていた仕事場へ戻ると、集めた葉は人に持って行かれて無くなっていました。それでも、松葉を少しばかり集めて帰って、そのまま床に就き、話もしないで泣いているだけでした。
 この家の雇い主の女性がこの男の様子を見て、妙に思いました。「もしも、恋患いならば、私に話してごらん、叶えてあげよう」と女あるじが仰せられますので、男はこれに力を得て起き上がり、「あらいざらいお話しましょう。いつも通りに松葉を掻き集めていましたら、年の頃十七、八と思える女性で、姿を喩えれば秋の月のようにすっきりと、顔は春の花のように華やかな、三十二相備えた、この上なくきれいな女性がお通りになる姿をただ一目見たとたんに恋に落ちて、この上なく心苦しいのです。この恋が叶わないなら死んでしまうでしょう」とまた涙を流し、身もだえをして泣いています。
 女あるじが、「それは気の毒な、それでは望みを叶えてやろう。その女性の住んでいる所がわかれば使いの者を行かせよう、どこじゃ」と仰せになりますと、男は、「この近所の築地塀のある屋敷でどざいます」と答えました。「それならば、使いの者を行かせよう。思いのたけを申しなさい」との仰せです。
 男は、「いや、伝言ではなく、手紙を書いて渡しましょう」と申します。女あるじは、「あんな山出しが、どうして恋文の書き方を知っているだろうか」とは思いましたが、本人の言うことですから、筆硯と料紙を出して渡すと、「ああ、嬉しい」と受け取って、思いのたけを書きました。女あるじは、その手紙を家の下女に持たせて、先方に持って行かせました。
 下女は先方に行き、どこからとは言わずに手紙を渡しました。受け取った女性が部屋に入って手紙を見れば、まことに優美な手紙です。文面には、「埋(うず)み火、岸の姫松、九重(ここのえ)の雲、わたつうみ、横切(よこぎり)」と書いてあります。女性は、「埋み火とは、心密かに恋い慕うという意味、岸の姫松とは、この気持ちを長く持ち続けるの意味、九重の雲とは、私を大事に思う意味、わたつうみとは、私を一生の伴侶として頼りにしようという意味です。これほどまでに心のこもった素晴らしい手紙には返事をしなくてはいけません」と、すぐさま返信をお書きになりました。
 下女はこの返信を受け取って、男が返信を待ち兼ねていたところへ戻って、「返事を貰ってきましたよ」と言うと、男は嬉しく思って、がばと床から起き上がり、返信を受け取り、広げて三度押し戴きます。文面を見ると、「空ゆく雲の末のよこそ」と書いてあります。「空行く雲とは、九日を待てという意味だ。どうやって九日まで待っていられようか」とは思いました。やっとのことでその九日になりましたが、まるで十年も過ぎた気持ちがしました。
 男は出掛ける前に行水して身を清め、「この形でなんとかしてあの人に逢おう」と思って、「私に良い衣装を着せてくださいな」と頼むと、「用意してありますよ」と、すぐさま立派な衣装を着せて出してくれました。女性の家まで四、五町(500メートル前後)ある距離を、昼七つ(16時頃)から夜四つ(22時頃)までかかってたどり着きました。
 女性は、「さて、お客様はいつ頃おいでかしら」と思って待ち兼ねているところに、庭の植木の中で動く物があるので見ると、高さ一尺ほどの生き物です。縁側近く出て見ると、人です。「それでは、今夜のお約束の人はこの人なの」と思って、縁の上につまみ上げて置いて、自身は、気分が悪くなった風情で、衝立や障子を立て回して、その中へお入りになりました。そこで、男は、
  三日月のほのかに見えて入りぬるはそらやみとこそ言ふべかりけり
  (三日月が微かに見えて沈んでしまったのは、空闇(そらやみ)になった、空病み、
   つまり仮病だということですね)
と詠みましたので、女性は、これをお聞きになって、「なんと、姿形に似合わない面白い歌だこと」と、障子を開けて男を中へお入れになりました。
 男は、中に入って、立ててあった琵琶に躓き、倒して壊してしまいました。女性は、「何と言うことをする男なの」と思って、また男をつまんで縁側へと投げました。男は投げられて一首、
  数ならぬ憂き身のほどの辛さかなことわりなれば物も言はれず
  (とるにたりない私の身のほどのつらさです。琴を割ってしまったことはまことに
   もっともなこと<理・ことわり>ですので、お詫びのしようもありません)
このように詠みました。女性は「あら、心の優しいこと」と、部屋の中に男を呼び入れて、「このような男性と結ばれるのも前世からの深い縁があるのであろう」と夫婦の契りを結び、幸せに暮らしていました。この男に備わった運の良さによって玉のような子が生まれて、ますます幸せに、朝晩酒盛りをするような安楽な暮らしをいたしました。
 さて、この男は、実は五条の天神であったので、すぐさま天神として正体を顕しました。妻となった女性は、良縁と夫婦円満の御利益のある道祖神(さいのかみ)として顕れました。そこで、今日まで恋をする人は、天神と道祖神とにお祈りすれば、たちまちに夫婦の縁結びは男女共に叶うのです。必ず必ず、一心にお願いするのですよ。でありますから、現代まで、地位の上下を問わず、多くの人がお詣りするのです。めでたしめでたし。
  これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関
  (これがまあ、道を行く人も帰る人もここで別れ、知っている人も知らない人
   も逢うという逢坂の関だな)

ということです、その通りです。