かなわ(鉄輪) 福福亭とん平の意訳

  かなわ

 人皇第六十六代の天皇様は一条天皇と申し上げます。この天皇様は、どのような縁でありましたのか、人々に慈しみ深くして国を守ってご政道を正しくなさいました結果でしょうか、国土は落ち着いていて、お心に叶わないということがございませんでした。その上、国を守る武士として、上野守多田満仲の長男の源頼光といって、天下に武家としての誉れを示した武士がいました。その頼光の家来として、碓井貞光卜部季武渡辺綱、坂田公時という四天王と呼ばれる勇者たちが天皇様を御守護し申し上げるので、皆が上に従っていました。また、陰陽寮には、阿倍仲麻呂九代の子孫である播磨守安倍晴明と言って、天文の博士で、時の吉凶を正しく判断して、その時々の祀りや祭事を正しく行っている人がいますので、お心に叶わないということが全くありません。
 ところが、ここに一つの不思議なことがございました。下京樋口小路のあたりに、山田左衛門国時という者がいました。妻は、ある公卿の娘で、二人は幼い時から夫婦約束をして、来世まで添い遂げようと深く約束をしていました。左衛門は何を思ったのか、また別の女性と親しくなって密かに契りを結んでいましたので、妻はこれを妬ましく思って度々言うことには、「これ、左衛門様、お聞きください。あなたと私が夫婦になったその時には、長寿の玉椿や双葉の松のようにいつまでも心変わりはしないと思いましたのに、どうしてこのように私をお捨てになるのですか。恨めしいことです」と涙を流してかき口説くと、左衛門は妻の言葉を聞いて、何事もないような態度で、「これは思いがけないことを仰いますね。私はあなたと若い時から夫婦として、来世まで深く契っています。ずいぶん年月が経ちましたが、末の松山を波が越すというあり得ないことがあっても、あなたを捨てることはありません」と、はっきりと涙ながらに答えましたので、妻は悲しいことに、この理を尽くした言葉に騙されて、日々を過ごしていました。
 左衛門がある夕方に後の妻の所へ通って行ったのを、先の妻が怪しく思い、夫の跡を付けさせてみると、左衛門は後の妻の方へ行きました。先の妻は妬ましく思い、もう女がいるのは疑いがない、憎い夫だ、どうして恨みを晴らそうかと思いました。聞くところによると、貴船の明神に丑の刻参りということをすれば願いが叶うということだから、あれこれ言うよりは心を決めて早速今夜から貴船明神の社にお参りしようと思いましたので、時刻を計り、お歯黒を付けて眉を細く調えた姿で家を密かに出て、とても暗い丑三つ刻にただ一人で貴船明神の社に出かけました。通い慣れない道中は、誓いを今正すという糺の宮、恋はしないと禊ぎをしたがと詠んだ御手洗川を過ぎ、恋の思いも知らぬ白つつじの花にふさわしい花壇の「だんの山」を左に見ながら、憎くなってしまった我が夫について、どろどろとした深い思いに沈む深泥が池、生きているこの身も、いつか消えてゆく草葉の露が深く置く市原野のあたりを過ぎて行けば、月は思いを暗くする鞍馬川に至り、橋を渡ればすぐに、ついに来た貴船明神の社に着きました。(このあたり、道中の地名との掛詞の道行文になっています)
 先の妻は貴船明神の社の前に参って、「南無や帰命頂礼(深く帰依いたします)貴船の明神様、お願いすることは、現世のまま生きながら、この身を悪鬼にして下さいませ。私が恨めしく思う者に恨みを晴らします」と祈って、そのまま家に戻りました。さて、先の妻は家に帰り、昼間はなにげない顔で過ごし、夜になると家を出て貴船明神へとお参りをしていましたが、これを明神がとても哀れだとお思いになったのか、通い出して七日目の満願の夜に、明神の前に一晩通してのお籠もりをしていた巫女の夢に、八十歳ほどの鳩の飾りの付いた杖(鳩は長寿をねぎらう飾り)にすがったこの世ならぬ神が、はっきりとした声で、「京の町から、丑の刻参りをする女がいる。その者の願いは、生きながら鬼になりたいということを私に祈るのである。その思いのあまりに切なく不憫さに、望みを叶えてやろうと思う。その女が今ここへ来たら、お前は女に向かって、この夢に見たことを告げなさい。願いを叶えるための姿は、赤い衣を着て顔には赤い色を塗って、手には鉄でできた梃を持ち、髪を七つに分けて頭には鉄輪(五徳)を載せて三つの脚に火を点し、宇治川の川端へ行って勢いよく流れる水中に三七、二十一日の間浸れば、鬼になる望みは叶うであろうと、よくよく教えなさい」と託宣をしました。

 巫女は、夢から覚めて後に不思議に思って、もしやその人が来るかと待っていたところ、思っていた通りに、丑三つごろの刻に、お歯黒を黒く付け、眉を細く整えた二十歳過ぎと思われる女性が、たった一人で物思いに沈みながら社前に来て祈りを捧げました。神官はこの女性を見て、疑いなくこの人であろう、近くで尋ねようと思って傍に行き、その人に向かって、「あなたはこのごろ京の町中からこの社に丑の刻参りをなさっている方ですか」と尋ねますと、女性はこれを聞いて、恥ずかしそうな顔をして首を傾げていました。巫女は、「あなたの頼みのことを神様からのお告げの夢として受けました。今から後はもうお参りしてはなりません。あなたのお願いは、生きたままで鬼になりたいとのことではありませんか。急いで自分の屋敷にお帰りになり、赤い衣を着て、顔には赤い色を塗って、手には鉄でできた梃を持ち、髪を七つに分けて流し、頭には鉄輪を載せて三つの脚に火を点し、怒りの心を持って宇治川へ行き、勢いよく流れる水中に三七、二十一日浸れば、ただちに悪鬼になることができるであろうというお告げでございますぞ。急いでお帰りになって、お告げの通りになさい。このような不思議なことは、これまで見たことも聞いたこともありません。さあ、さっさとお帰りなさい」と申しました。
 女性はこれを聞いて、「これは思いも寄らないことを仰るものですね。私のことではないでしょう。きっと、人間違いでございましょう」と言いますと、巫女はこの言葉を聞いて、「いやいや、間違いの無いことです。神様からの夢告げでありますから、あなたのことでございます。このようにお話ししている間にも、あなたの顔色が何となく変わってきて、恐ろしく見えますぞ。さっさとお帰りなさい。ああ恐ろしいことだ」と言って、板戸格子戸を閉めて、巫女は社殿の中に入ってしまいました。女性は巫女の言葉を聞いて、「さてさて、不思議な神のお告げだな。急いで屋敷に帰り、お告げの通りに支度をして、悔しいと思う奴らに思いのままに恨みを晴らしてやろう」と言う間もなく、顔色が変じて様子が恐ろしくなり、とても美しい姿でありましたのに、長い黒髪は天へと逆立ち、緊張するような心地になって、もう一度神前にお参りして、急ぎ帰ってつらい目を味わわせた相手に思い知らせようと喜び勇み、我が屋敷へと帰りました。
 さて、この女性は一間に引き籠もって、そっと屋敷を抜け出しました。お告げのままに身ごしらえをして、大和大路に出て、南を指して歩きました。途中ですれ違う人々は、この女性の様子を見て、気持ちが宙に飛んで恐ろしさに震え上がります。女性は宇治川に着いて、貴船の神の教えの通りに、流れる水の中に入って三七、二十一日の間、川に浸っていたところ、恐ろしい鬼の姿になりました。女性は心中に、今はもう願いが叶って、今日の内に憎い男を取り殺して私を捨てた恨みを晴らそうと思い、急いで北側の京の町中へと行きました。
 こんなことが起こっている間に、山田の左衛門国時は、つらい目に遭う運命であるのか、悪い夢見が続くので、安倍晴明の屋形へと行き、夢の意味を占ってもらおうと思い、供を連れずにただ一人で出かけます。
 左衛門は訪れの声を掛けて、晴明に対面して夢の内容を語って「夢を占って下さい」と言うと、晴明が聞いて手を打ち、「不思議ですな、あなたの話し方、声の調子を聞いて判断すると、女の恨みを深く受けた人です。特に、今夜の内にあなたの命が危ないと判ります。ひょっとして、そのような事がおありですか」と言うと、左衛門はこの言葉を聞いて顔色を変え、「まことに思い当たることあがります。何をお隠しいたしましょう。私は本妻を離縁して、新しい妻を迎えましたのですが、聞けば、前の妻が貴船明神に毎晩参詣して、私を呪詛していると言うことですが、もしかするとそれが原因かもしれません」と申します。すると晴明は、「まことに、そのように見えております。その女が神仏に祈る数が重なったので、あなたの寿命も今夜までに極まっています。私の呪法では力及ばない様でございます」と申します。その言葉に左衛門は驚き、「ここまで参上してあなたにお目に掛かかることが何よりの幸いです。なにとぞ寿命が延びるようにお祈りをなさって下さいませ」と涙を浮かべて言うので、晴明は気の毒に思って、「この上は何とか祈りを尽くして、運命を転じ変えるようにいたしましょう。まず、あなたはお宅へお帰りになり、身を浄めた上で一間に籠もって、心を正しくして不動の心を持ち、口には観音様の呪を唱えておいでなさい。私はこちらで、重ねて一心に祈ってみましょう。一刻も早くお帰りなさい」と言いましたので、左衛門はこれを聞いて嬉しく思い、急いで自分の屋敷に帰りました。
 左衛門は屋敷の人々に、「私は心願があって、一間の内に籠もることににする。どんなことがあっても、決して決して入ってくるではない」と堅く言い聞かせて、一間の内に引き籠もり、周囲に注連縄を張り、身を浄めて、じっとして、観音様の呪を唱えていました。
 左衛門を帰して、晴明は心の底から、何とかして運命を変えて左衛門の命を助けようと思って、祈りの壇を作って三重に棚を構えて五色の幣帛を立ててそれぞれに供え物をして、二人の人形(ひとがた)を等身大に作り、夫婦の人の名前を内に書き納め、一心を籠めて祈りました。「そもそも、天地開闢以来、伊弉諾尊伊弉冉尊の二柱の神が天の磐座でみとの媾合をなさって以来、男と女は夫婦の契りををなして男女の仲の道が長く伝わっている。それを何事か、山川の魂や鬼神が理不尽にも妨げをして、天命によらずに命を取ろうとするのか。仰いでお願いいたしますのは、大小の神々、諸仏菩薩、明王、天道、九曜、七星、二十八宿を請じ、お願い申し上げます。この度、あの左衛門の命をお助け下さい」と真心を尽くして祈ると、不思議にも雨が降り、風が強く吹き下ろし、雷鳴が鳴り、稲妻が光って雷が騒ぎ、天地の荒れる様に身の毛もよだつばかりの時に、乾(北西)の方に不動明王が立たれ、利剣を手放して、にっこりと笑ってお立ちになりました。晴明は、それでは、願が成就したのであると悦んで、そこで祈りの壇を壊しました。(乾の方角は、陰陽道で神門という聖なる場所です)
 左衛門が慎み、晴明が祈る一方、かの先妻は、今はもう思った通りの生きながら鬼の姿になりましたので、急いで京の町に行って私につらい仕打ちをした人々に恨みを晴らそう、特に、憎い男の命を取ろうと、京へ向かって北上しました。道中で鬼女に出遭った者は、鬼女の様子を見て気を失いそうになりました。
 このようにして先妻は、夫の左衛門の家へ行き、寝所の開き戸を踏み破って中に入り、佐衛門の枕元に立ち寄って、「これ、あなた様、恨めしい、あれほど未来までと誓った仲を、どうしてお捨てになったのですか。ああ恨めしい。私はあなたに捨てられて恨みの涙の中にいて、相手を恨み、あなたのことを嘆き、あるときは恋しく、またあるときは恨めしく、起きても寝てもあなたのことが忘れられないのです。この私の恨みの報いは、今こそ白雪が消えるように消える命は今宵限り。気の毒だが、悪いことのないようにと思い合う人の間でも嘆くことはあるのに、まして、長い年月つらい思いの中に沈んだ恨みが積もり積もって、思いにとらわれた鬼になるのも当然のことだ。さあさあ、命を取ってやろう」と、笞を振り上げて、左衛門の髪を手にきりきりと巻いて持ち上げ、「私につらい思いをさせた世の中の因果はここに廻ってきた、今となると口惜しいであろう。格別に恨めしいと思う、不真面目な男を連れて行こう」と引きずって行こうとしましたが、「ああ恐ろしい、この男の枕元に三十番神の神々(国土を三十日間、交代して守る神々)がおいでになって、悪魔鬼神は穢らわしい、出て行け出て行けとお責めになる。腹が立つと狙いを付けた夫を取り殺せないで、その上に、神々のお叱りを受けるのだ、恨めしい。しかし、今は殺さずにおくとも、必ず思いを果たすぞ」と、怒りの炎を吐き出して去って行きました。
 さて、先妻は、憎い夫を思いのままにすることができなくて、恨みを抱いたまま夜な夜な京の町中へ出て、私につらく当たった者どもを取り殺そうと、女に化けて男を捕まえて殺し、男に化けて女を捕まえて殺しました。こういう事件が京の町中に知れ渡り、日の暮れ方になると、人々は堅く門を閉めて、出歩く人もなくなりました。
 その頃、京で我こそは強者よと自認する武士たちが七八人集まって談義して、「さて皆さんお聞きなさい。事ある時に先頭に立って、公の御用に立とうということは、今である。さあ、あの化け物を退治して、都の騒ぎを鎮めようではないか」と言えば、皆々は、「この鬼を退治しよう」と、七八人は鎧直垂を着て、それぞれに太刀刀を身につけて大和大路を通って法勝寺のあたりに出かけて、身を隠して鬼女の出現を今か今かと待っていました。夜更けに人が静まった子の刻ごろのことです。十六七歳くらいの美しい女性が、薄衣を引き被って、南から北を指して歩いていました。
 武士の人々はこれを見て、来た、あれが鬼女だと思って一斉に寄って中に取り囲み、「これだぞ」と大声で叫ぶと、女性はこの様子を見て、「私はある好きなお方の元へ通って行く者です。いったいどうして皆様は、私を取り囲むのですか」と言います。その時、中で年長の人が、「この頃京で人を獲り、害をする者はお前だ。乱行を鎮めるため、このようにするのだ。人々、早く斬りかかれ、捕まえろ」と近づいて行きます。
 女性はこれを見て、「仰々しい皆様の様子じゃ。私一人を捕まえようと、その姿は大げさだ。では、家へ帰ろうか」と言うやいなや、その姿は一丈(約三メートル)ばかりの大きな姿になって、人々の中で声を出した侍一人を摑んで、空中に飛び上がりました。残った人々はこの姿を見て、逃がすものかと止めようとしましたが、鬼女の勢いは獅子や象といった猛獣のようで、侍を手にぶら下げて雲の中に入り、稲妻がさかんに光る中、姿を消してしまいました。残された人々は、この鬼女の勢いに恐れたのでしょうか、茫然としていましたが、だんだんに正気を取り戻して、「こんなに恐ろしいことはない。今まではたいしたことはないと思っていたが、この様子では我々のような武力では敵対できない。さあ皆さん、命あっての物種、さあさあ家へ帰りましょう」と言って、皆、震え上がって、それぞれの家へ帰りました。
 それからこの鬼女は、我こそは退治に向かおうという者がないもので、増長して、京の町中を廻って人を獲るようになりました。親を獲られて嘆く子があり、また、妻を獲られて一人残されて嘆く夫もあり、京の町中に嘆き悲しむ声が満ち満ちて、悲しい状況でありました。
 天皇様もこの鬼女の跳梁をお聞きになられて、急いで源頼光を呼んで、「これ頼光よ、よく聞け。この京の町には夜な夜な鬼女が出て人々を悩ませ、大きな不安を与えている。これまで皇祖神武天皇以来、このような悪事が起きないということはない。悪事が起こるのは、政道が正しくないことを天が私にお告げになるので、このことで他に責任を寄せてはいけないのである。それはさておき、昔も藤原千方という悪い朝臣に従った四鬼がいたが、坂上田村麻呂藤原利仁という将軍がこれを滅ぼしたのである。この度は、その方の家来のうち、武名の高い者に命じて、早々に退治させるようにせよ。私もまた、政道を正すように努めよう。さあさあ早くせよ」と仰せになりました。そこで、頼光はこのお言葉を承って、「仰せに従いまして、そのような悪事をする化け物を退治いたしましょう。私どものような者はこのためにいるのでございます。仮に、ご下命がなくても退治すべきことなのですのに、さらに陛下のお言葉ですから、時をおいてはいられません」と申し上げて、宮中から退出しました。
 頼光は屋敷に帰って、四天王の中の、渡辺綱と坂田公時という二人の武者を召して、「これ、お前たち、よく聞け。このごろ都で悪事を行って人々を悩ます悪魔を退治せよとの天皇様のご命令をいただいた。仮に仰せが無くても、我々が武者としてお仕えしている以上、このような災厄を放置しておくのは口惜しいことである。その上に、天皇様からのお言葉が添えられているのであるから、いささかの油断もあってはならぬ。お前たち二人で、今夜中にさっさと退治してしまえ」とお命じになって、髭切・膝丸という父源満仲から伝わった二振の太刀をお渡しになると、二人はこれを受けて、「この太刀を持たなくても、我々二人が行けば、退治できないことがありましょうか。その上に、この太刀を持つのですから、易々と退治できましょう」と、喜び勇んで、早くも夕暮れになったので、身拵えをして大和大路に出かけました。
 二人は、稲荷、法勝寺の近くに立ち止まり、鬼女がもう来るか来るかと待っていました。予想していたように、晴れていた空が曇り、稲光がして、雷の音が大きく鳴り渡っている様子は、震え上がるばかりです。しばらく経って、南の方から、十六歳くらいの女がお歯黒を付け、眉を細く化粧し、頭の上に火を点して、身の丈と同じ長い髪を後ろに垂らして、たった一人で静かに歩いて近づいてきます。
 綱と公時はこの女の姿を見て、ぞっとし、さあ、この女こそが話に聞いた化け物だと思い、素早く近づき、「これ、お前は最近京で人々の心を苦しめ、人を獲る鬼女であるか。どうして、このように京の町の人々を苦しめるのか。たった今討ち取ってやろう」と、二人は腰の太刀に手を掛けて、鬼女を前後から挟み込むと、女はこの言葉を聞いて、「そうじゃ、我はある公卿の妻であったが、夫を恨めしく思うことができて、神に祈ったお蔭でこのような姿になれたのじゃが、恨めしいと思う相手を殺すことができないため、あちらこちらとさまよっているのじゃ」と言います。すると二人はこの言葉を聞いて、「許せないことだ。土も木も、物皆すべて天皇様のお治めに従っている国であるのに、お前のする害は全く許せないものである。たった今殺してやろう」と太刀を手にして、まさに斬ろうとするところに、女は急に二丈くらいの大きな鬼の姿となって、綱と公時を両脇に挟んで、さあ、私の住みかへ行こうと、南を指して走って行きます。
 元来この二人は、評判の大力の武者で、鬼女の脇に挟まれながら左右から太刀を刺し通そうといたしました。鬼女はこの二人の勢いに恐れて二人を放し、宇治川を指して逃げて行きます。二人がそれを逃がすまいと追いかけると、鬼女はもう敵わないと思ったのか、振り返って、「これ、お前たち、よく聞け。今お前たちだけなら命を取るのは簡単なのだが、持っている刀の霊力には手出しができない。この上は逆らえぬ。今から後は災いはしないから、私の魂を回向してくだされと、天皇様に申し上げてくれよ。我もまた、今からは皇居を守り、京の地の守り神となって、天皇様をご守護申し上げよう」と言うやいなや、その姿のまま、宇治川の水量豊かな速い流れの中に入ってしまいました。
 それから二人は頼光の屋敷に立ち帰ってこのいきさつを報告すると、頼光はすぐさま宮中に参り、一部始終を天皇様に申し上げると、天皇様は感心なさって、「さて、そのように申すならば、鬼女を弔ってやろう」と、延暦寺から百人の僧を招いて、七日七晩法華経読誦の供養をなさったのはありがたいことでした。
 また、ある時、天皇様近くお仕えする女房の夢の中に、歳十五六歳くらいの女性が、立派な姿で、とても嬉しそうな顔つきで、「私は先ごろ京で悪事をした者ですが、ありがたいご回向をしていただいたお蔭で、恨み苦しみから抜け出て成仏できました。お願いすることは、宇治川の川端に一つの社を建てて私を祀ってくだされば、都の守り神となって、天皇様をお守りしましょう」と言うかと思うと、夢は覚めました。
 女房はこの夢を見て、不思議なことよと思って、天皇様に申し上げます。天皇様は不思議にお思いになり、すぐさま安倍晴明をお召しになりますと、晴明は急いで参内いたしました。天皇様が「この夢を占いなさい」と仰せになると、晴明は承って時や日の相性を合わせて熟慮して占い、「これはめでたい夢でございます。天下がひたすら安穏に治まるということでございます。あの鬼女の悪念がとても深かったわけは、水神の精が人間界に生まれ落ちてこのような災いをいたしたのですが、天皇様のお慈悲が深くいらして、多くのご法要をなさいましたので、悪霊が成仏したことは疑う余地がないということでございます。ですから、夢の中の言葉に合わせて、社を建てて神として祀れば、天下はますます平穏でございましょう」と申し上げました。晴明がこのように占いをいたしますと、天皇様は喜ばれて、「では、一社を建てる使いを出そう」ということで、すぐにお命じになって、宇治の里へのお使いを下されましたので、宇治の里人はとても驚いて、すぐに近隣の者が寄り集まって程なく一つの祠を作って、宇治の橋姫と名付け、人々が神として崇めました。この神にひとたび願いを掛ける者は、その願が叶わないということがありません。今の世までも人々に崇められているということです。
 このことがあってから、世の中はますます穏やかに治まり、人々の悩みごとが少しも無くなったということでございます。これというのも、天皇様が徳高くいらっしゃるためであるということです。物事に分別のある方は、この有様とこの物語を見て、慎みを学ぶべきことございます。