天稚彦草子(一名 七夕の草紙) 福福亭とん平の意訳

 7月7日・七夕の日、牽牛・織女はなぜ年に1回だけしか逢えなくなったのか、一つの物語を訳してみました。この作品はいろいろ別名があります。
 
  天稚彦草子(あめわかひこそうし) 一名 七夕の草紙

 昔、長者の家の前の川で、屋敷の女が洗濯をしていました。そこへ大きな蛇が出て来て「私の言うことを聞くか、聞かないと絞め殺してしまうぞ」と言いますので、女は、「どんなことですか、私に出来ることならいたしますよ」と答えます。すると、蛇は、口から手紙を出して、「この家の主にこの手紙を渡せ」と言います。女は手紙を持って帰りました。長者が手紙をすぐに開いて読むと、「三人いる娘を嫁に寄越せ。寄越さなければ、父親も母親も取り殺してやろう。新居としてこれこれの池の前に、十七間四方の建物を造れ、その家に住む」と書いてありました。この手紙を見て、両親はこの上なく嘆きました。
 上の娘を呼んでこの話をすると、「ああ、そんなことは考えられません、死んでも嫌です」と言います。中の娘に話すと、同じ答えです。下の娘は、夫婦が一番可愛がっている娘ですので、涙ながらに娘を呼んで言うと、「お父さんお母さんの命に替わって、私はどうなっても良いです」と答えます。両親はとても可哀想に思いながらも、泣く泣く送り出します。
 蛇の言った池の前に家を造り、娘は長者の家を出ました。娘を一人そこに残して、人々は帰りました。真夜中近くなってきたと思うころに、風がさっと吹き、雨がばらばらと降り、稲光がぴかぴか光り、池の真ん中から高く波が立つように見え、娘は、もう人心地がなくなるほど恐ろしく、息も絶え絶えのようになっていると、およそ十七間(約30メートル)もあろうかという蛇が出て来て、「私を恐ろしいと思ってはいけません。あなたは刀を持っていますか。それで私の頭を斬りなさい」と言いますので、娘は恐ろしく泣きたくなりましたが、言う通りにすると蛇の頭は爪切り鋏で簡単に斬れました。すると、公卿の服を着た、とても美しい若者が現れました。二人は、蛇の皮を掛けて小さな唐櫃に入って寝ました。娘は恐ろしさも忘れて夫婦の語らいをしました。
 二人は愛し合い、家の中には物が満ちあふれて何の不足もなく、とても楽しく暮らしていました。二人の身の回りを世話する人々も多くいました。そのうちにこの若者が、「実は、私は海の竜王です。時々は天にも昇ることがあるのです。このところ、天に行かなければいけないことがあるので、明日明後日のうちに天に昇ります。七日過ぎて帰るつもりです。もしも帰らないことがあったら、二七日(十四日)待ちなさい。それでも戻らなければ三七日(二十一日)待ちなさい。それでも帰ってこなければ、もう帰れないものと思ってください」と言います。娘が、「その時は、どうしたら良いのですか」と聞きます。
 若者は、「西の京に一夜(ひとよ)ひさご(一夜で実る瓢簞)という植物を持っている女性がいます。その人から一夜ひさごを買い取り、それを生やして昇りなさい。それは大変なことで、なかなか昇れません。うまく昇れたら、そこで遇う者に、天稚彦のおいでになる所はどこかと尋ねて来なさい」と話しました。さらに、「この、中に物を入れた唐櫃を、決して決してどんなことがあっても開けてはいけません。こを開けてしまったならば、私は帰って来られなくなります」と言って天に昇りました。
 こうして若者が天に昇った後、二人の姉娘が、妹はどんな良い暮らしをしているのだろうとこの家にやって来ました。とても安楽に暮らしているのを見て、「私たちは前世の行いが悪くて、嫁取り話が恐ろしいことだと思ったのよ」などと言いながらあちこちの物入れを開けて見ていくうちに、若者が「開けてはならぬ」と言った唐櫃を「開けなさい、中を見よう、見よう」と言うので、妹は「唐櫃の鍵が見つからないの」と答えます。「さっさと鍵を出しなさい、どうして隠すのよ」と、姉二人が妹をくすぐると、袴の腰紐に結び付けておいた鍵が几帳の端に当たって音がしました。「なんだ、ここにあったわ」と言って、姉たちはあっさりと唐櫃の蓋を開けてしまいました。中に物はなくて、煙が空へ昇りました。こうして、姉たちは家へ帰りました。
 娘は若者が言った期限の一番長い二十一日間待ちましたが、若者が帰ってきませんので、若者の言った通りに西の京へと出掛け、女に会って礼の品物を与えて一夜ひさごに乗って天へと昇ろうと思いますが、私が行き方知れずになったことを両親がお聞きになって嘆かれることを思うととても悲しくて、「もう二度と故郷は見られないのだな」と、何度も何度も振り返られて、
  逢ふこともいさしら雲の中空(なかぞら)にただよひぬべき身をいかにせむ
  (会えるかどうか判らない白雲のような身が、これから天空に漂っていくのをどう     したらよかろうか)
 娘が天上に昇って行くと、白い狩衣(常用の服)を着た顔かたちの美しい男性に遇いましたので、「天稚彦のおいでになる所はどこですか」と尋ねますと、「私は存じません。後から遇う人にお聞きなさい」と答えます。「あなたはどなた」と言うと、「私は宵の明星です」と言います。
 また、箒を持った人に出会いましたので、前のように尋ねますと、「私は存じません。この後出会った人に聞いてください。私は帚星と申します」と言って通り過ぎました。次に大人数の人にまた前のように聞くと、この人たちも同じように答えて、「我々はすばる星」と言って通り過ぎて行きました。このようなことばかりでは、天稚彦に会えることがあろうかと思うと、頼りない気持ちでとても心細くなってきます。それでもこのままではいけないので、さらに進んで行くと、美しい玉の輿に乗った人に遇いました。この人にも同じように尋ねると、「これから先に行くと、瑠璃の地面の上に玉でできた建物が建っています。そこへ行って天稚彦に会いなさい」と教えてくれましたので、その言葉に従って行って尋ねました。
 ようやく天稚彦を尋ね当てることができました。あてもなく不安を抱きながら天稚彦を尋ねて出立した心の内など語る娘の言葉は天稚彦の心に沁みて、「ずっとあなたを待ちわびる心はとてもつらかったのですが、きっとお約束した通りに尋ねておいでになるだろと心を慰めてはいました。あなたが同じ気持ちでいらっしゃったことは嬉しいことです」と、いろいろと言葉を重ねるのも、誠に二人の深い愛情なのでしょう。天稚彦が、「さてさて心苦しいことのあるのをどうしましょうか。実は、私の父は鬼なのです。そのことをあなたがどのようにお聞きになるかと、とてもつらいのです」と言うので、娘はとてもつらく思いましたが、「いや、様々の心砕きのある私の運命なのですから、そういう定めなのでしょう。この地を嫌な地だ思っても、地上に帰ることもできないのですから、成り行きに任せましょう」と思いました。
 このようにして日数が過ぎてゆくうちに、父親の鬼がやって来ました。天稚彦は娘を脇息のようにして衣類の下に隠しました。その鬼の姿は二目と見られない恐ろしい様子です。「地上の人間の匂いがする。臭い」と言って帰りました。鬼はその後、何度も来ましたが、天稚彦はその度ごとに娘を扇や枕に姿を変えて紛らわせていましたが、鬼もそれを察したのでしょうか、突然、足音を立てずにこっそりとやって来ました。天稚彦は昼寝をしていましたので、隠すことができずに娘を見られてしまいました。鬼が「これは誰だ」と訊くので、今は隠すことができず、これまでのことを話します。鬼は、「それならば、私の嫁なのか。身の回りの用をする召使いがいないから、連れて行って使おう」と言うので、天稚彦は、「やはりこうなるか」と悲しく思います。しかし、言うことに逆らえないので、娘を父の鬼の許に遣わしました。
 鬼は娘を連れて行って、「野に放してある牛が千頭ある。それを朝夕世話をせよ。昼は野へと出し、夜は牛舎へ入れろ」と命じます。娘が天稚彦に「どうしたら良いでしょう」と相談すると、天稚彦は自分の袖を糸を解いて渡して、「これを『天稚彦の袖々』と言って振りなさい」と教えました。娘がその通りに袖を振りましたら、牛は朝には野に出、夕方には牛舎に入りました。千頭の牛が言うことを聞いたのです。鬼は、「これは不思議なことよ」と言いました。
 次に、「我が倉にある千石の米をすぐさま別の倉へ運び込め、一粒も落とすな」と命じましたので、娘がまた袖を振って「袖々」と言いますと、蟻が数知れず出て来て、あっという間に運ぶことができました。鬼は米の量を計り、一粒足りないと不機嫌な顔をして、「しっかり探し出せ」と言います。鬼を見ると、今度は許さんとこの上なく恐ろしい顔をしています。「尋ね出しましょう」と探しているうちに、腰を痛めた蟻が米粒を運べないでいたのを見つけて、嬉しくなった持って行きました。
 今度は、「百足(むかで)のいる倉に入れ」と、壁が鉄で出来た頑丈な倉に入れました。この百足は普通とはちがって、一尺あまりの大きさの百足が四五千匹ほど集まって口を開いて今にも食おうとする様子で、目が眩むほど恐ろしく感じましたが、また同じようにこの袖を振って、「天稚彦の袖々」と言うと、百足は倉の隅に寄って、近寄ろうとしません。こうして七日過ぎて鬼が倉を開けて見ると、娘は何事もなくいました。
 また、蛇の城に入れられました。これも前の通りにしましたら、蛇は一匹も寄ってきませんでした。七日経って鬼が見れば、娘はまた同じように生きていました。 鬼は、もはや二人の仲を裂くことはできないと思ったようです。
 鬼は父として、「二人は深い縁があるのだろう。以前のように二人で逢うのは月に一度だぞ」と許したのを、娘は間違って聞いて、「年に一度とおっしゃるのですか」と言いましたので、鬼は「それなら、年に一度だ」と言い、瓜を手にして投げつけると、瓜は天の川となりました。二人は、七夕、彦星として、年に一度、七月七日に逢うのです。
 
 蛇が人間へと変身を遂げる筋は、『地蔵堂草紙』にもあります。『地蔵堂草紙』では、蛇身となった僧が仏に懸命に祈ると、皮が割れて出られるという設定になっています。  また、娘が、海竜王との婚姻に当たり、海竜王の父によって様々な試練を受けるのは、民話にもよくある話ですが、特に、『古事記』において、オオクニヌシを試すスセリヒメの父のスサノヲの振る舞いと重なります。