木幡狐(こはたきつね) 福福亭とん平の意訳

木幡狐 全
 少し昔のことでありましょうか、山城国木幡の里に、年を重ねて長生きをしている狐がいました。稲荷の明神のお使いを務めていることで、あらゆることが思いのままで、とりわけ子どもは、男子も女子も多くいました。どの子も知恵が働き、学問、芸能に通じて、世間に並ぶ者がないという評判があって栄えていました。多くの子の中でも、妹姫に当たる方は、きしゅ御前と申しました。子どもたちの中でも特別に優っていて、顔かたちが美しく、心ばえもすばらしく、春は花を愛でて一日を過ごし、秋は一点の曇りもない月の光の中で静かに風情を思い、詩歌管絃の道にも堪能で、この姫の様子を聞き伝えた人々で、心が惹かれない人はいませんでした。人々は我も我もと姫の乳母に伝手を頼んで、次々と数多くの恋文を寄せて、あれこれと心を悩ましますが、流れる水に文字を書くように全く空しいもので、きしゅ御前は誰にも心を寄せるということがありません。きしゅ御前は、このつらい世に生きて、どのような殿上人や関白殿下の北の方と言われようか、世の平凡な暮らしは思いも寄らないこと、北の方になるのでなければ、一瞬光って一瞬で消える稲光、朝日に当たればすぐ消える朝の草葉の上の露や夢幻のようなはかない刹那の世の中に心を置いて何になろうか、どのような深い山の奥にでも引きこもってこの世を去って、ひたすら来世を願いたいと思って日々を過ごしているうちに、十六歳になられました。両親はきしゅ御前を御覧になって、多くの子どもたちの中でこのきしゅ御前は一番優れて見えるから、しかるべき御方を聟に取り、何の心配もなく暮らせる様子を見たいと思って、いろいろとご指導をなさいます。
 さて、ここに三条大納言様という方がいらっしゃいます。そのお子さまに、三位の中将様という、顔形の美しさは、まさに昔の光源氏在原業平の中将といった方もこの中将には優ることがありません。身分の高い者も低い者もこの三位の中将に心惹かれるほどですので、父上の大納言殿に話があって、ある方のところからお使いがありましたが、中将様は心が動く様子もなく、どのように身分の低い女性であっても、その容貌がすぐれた人となら結ばれようとお思いになり、いつもは詩歌管絃の遊びにだけ心を寄せていらっしゃいました。
 時は三月下旬のことですが、中将殿は花園にお出かけになって、散ろうとしている花を御覧になって、在原業平が「花の美しさに満足しきれない思いをいつもしているけれど、今日の今宵のような満足しきれない思いはしたことがない」と詠んだのもこのような時であろうかと、しみじみと御覧になっていらっしゃいます。その時、あのきしゅ御前が稲荷の山から見下ろして、ああいとおしい中将様よ、私が人間と生まれているならこのような方にこそ結ばれて親しく暮らすであろうものを、どのような前世の行いのせいで、このような狐の身として生まれたのであろう、悲しいことよと思いましたが、それはそれ、ここはまず人間の姿に化けて、ひとたびの契りを結んでしまわなくてはとお思いになり、乳母の少納言を呼んで、「これ、お聞きなさい。私は心に思うことがあって、今から都へ上ろうと思います。ではあっても、この姿で都に上ったならば、人がおかしく思うでしょう。十二単(じゆうにひとえ)と袴を着せておくれ」と申します。乳母はこのきしゅ御前の言葉を聞いて、「このごろ都では、鷹狩りの犬などという危険な犬が家ごとに多くいますので、上っていく途中も面倒がございます。その上、お父上とお母上のお二人様がお聞きになられましたら、私めがやったことだと仰ることに決まっています。思い止まってくださいませ」と申し上げます。きしゅ御前はお聞きになって、「どのようにそなたが止めても、私は思う訳があって決めたことなのだから、私は止まりませんよ」と仰って、美しく人間の姿にとすっかり化けてお出かけになりました。
 そのようなことで、中将様は、このきしゅ御前の姿を御覧になって、この人の姿は夢か現実かわからないとお思いになって、きしゅ御前の顔かたちは言葉で言い尽くせず、この女性はまさに玄宗皇帝の時なら楊貴妃漢の武帝の世であったならば李夫人と思うであろう、また我が国なら、小野良貞の娘の小野小町という女性もこのようであったであろう美しさだ、たとえどこの誰であっても。ちょうど良い機会だとお思いになり、乳母であろうと思われるお付きの女性に、「この方は、どちらからどちらへとお出かけの方でありましょう」と家来に尋ねさせます。乳母が嬉しい思いでお答え申し上げることには、「これはある方のお姫様でいらっしゃいますが、継母に讒言をされて、父上のお怒りを受けましたので、これを後世往生を願うきっかけとして、どのような山寺へも籠もってしまおうとのことでございますが、何分これが初めての旅でありますので、道に迷ってここまで来てしまいました。まことに恐れ多いことではございますが、一夜の宿をお供の方にお申し付けになってくださいませ」といかにもありそうに申し上げると、中将様は嬉しくお思いになって、この年月あちこちの女性をえり好みしてきたのは、このような人に逢おうということのためであったのか、ともかくも、この女性がどこの誰でも良い、この人に逢ったのも前世の縁であろうとお思いになって、「こちらへお入りください」と、自分の御殿にお連れして、中将様の乳母の春日の局に命じて、いろいろともてなして大事になさることは、言葉では言い表せないくらいであります。
 その後、それぞれにおやすみになると、中将様はますますきしゅ御前への思いが募ってしまったので、きしゅ御前の枕元に寄り添って、「このような縁は、前世からだけではない、はるか昔からの縁だと存じます。深くお考えになって何を仰せになっても、この御殿からはお出しいたしません」と、いろいろな言葉を尽くしてお話になります。きしゅ御前はもともと、自分から考え出したことですから、心の中の嬉しさはこの上ありません。しかしながら、とても恥ずかしそうな様子をして、中将様のお言葉に従う様子をしないでじっとしていらっしゃいます。夜もだんだんに更けて、一つ寝の床で夫婦の契りを結びました。お互いに相手を思う愛情は深く、生きている間は偕老同穴のように深い契りとお思いになり、夜明けも近い時であって、間もなく鳥も鳴き、寺々の鐘ももはや夜明けと響きました。中将様はあまりに名残惜しい気持ちがあふれて、歌を一首、このように、
  むつごともまだ尽きせぬにいかばかり明けぬと告ぐる鳥の音ぞ憂き
  (二人の間の睦まじい言葉も言い尽くせない身に、世が明けてしまったと告げる鳥の声がどれほどつらいことか。まだお別れしたくありません)
きしゅ御前の返歌です
  思ひきや今宵初めの旅寝して鳥の鳴く音を歎くべしとは
  (今夜生まれて初めての旅寝をして、夜明けの鳥の鳴く音を嘆くことになろうとは、思ってもみないことです。初めての旅であなたと結ばれ、夜の短さを嘆くとは)
このようにいろいろと物思いをされて、夜は一晩中、昼は夜明けから日暮れまで睦び合って、毎日暮らしていらっしゃるうちに、月日は流れて、水無月の頃に、きしゅ御前が体の不調を訴えられました。中将様はこの様子を御覧になって、面倒な様子だがどうなることだろうかと様々な祈禱をなさるのは、言葉に尽くせません。一向に回復のきざしが無いのを悲しんでいましたら、実はきしゅ御前の御懐妊の様子でありました。中将様も乳母も喜んで、その年が過ぎて、正月、二月も過ぎ、三月という時に、とても可愛らしい若君がお生まれになりました。中将様は御覧になって、この上なく嬉しくお思いになられます。若君に乳母を大勢付け、そのほか多くの人がお付きとなり、大事に世話をしてお育て申し上げることはこの上ありません。
 このようにして、日が経つにつれて、若君は光が差し込むようにますますかわいらしくお育ちになります。中将様の両親である大納言様と北の方様も、それとなくお聞きになって、中将はどうしてこのことを隠しているのであろう、相手がどのような身分の人であっても、中将が選んだ人であり、その上、美しい若君まで生まれたのだから、どうして我々がおろそかに思うことがあろうか、きしゅ御前にも対面して、一緒に大事に面倒を見ようではないかとお思いになり、中将様へこまごまとお伝えをなさったところ、中将様はとてもお喜びになって、「こちらからこのようになったとお伝えしたかったのですが、恐れ多く存じまして」ということで、きしゅ御前にこのようなことになったとお伝えになりますと、きしゅ御前は、「恐縮ですが、そのように仰せになられる上は」ということで、さまざまの衣裳を作って、吉日を選んで、御対面をいたしました。大納言様と北の方様が御覧になって、世の中にはこのような美しい女性もいるのだなあ、どんな皇室のような高貴な血筋につながる女性であっても、こんな姿の人はいないであろう。中将が思いを掛けたのも当然だとお思いになりました。
 このようにして、何の心配もなく月日を送っていられるうちに、若君は三歳になられました。そこで家中の人々も、この若君の御機嫌が好いようにと振る舞い、いろいろと気遣いし、遊び道具などを差し上げます。ある時、中将様の乳母であった中務のところからということで、世に類のない優れたものとして、美しい犬を献上してきました。きしゅ御前の乳母の少納言はこの話を聞いて、身の毛もよだつばかりになって、急いできしゅ御前のもとにやってきて、「思いがけない大事が起こりましたよ。この犬が若君の遊び相手をているのです。これに超す大事はございません」と言って、むせび泣いています。きしゅ御前は少納言の言葉をお聞きになり、「まさに、これが縁の限りです。この御殿を出て行くよりほかのことはありません。中将様や若君への名残惜しさをどうしましょう」と、涙が止まりません。しばらくあって、「たとえ千年万年を一緒に暮らしても、名残が尽きることはないでしょう。機会をうかがってこの御殿を去って、この巡り合わせを往生への発端として、世を捨てて出家することはとても簡単なことですけれど、中将様はさぞかしお嘆きになるでしょう。若君との別れの名残もどう考えても悲しいけれども、何としても出来ないことですから」と仰って、声を詰まらせて泣いていらっしゃいます。
 そのような時に、中将様は、天皇様から七日に管絃を行うので参れとのお呼びがあって、きしゅ御前に、「私は七日の管絃の笛の役として、内裏へ参ります。留守の間、よくよく若君の面倒を見てください」と仰って、お出かけになりました。きしゅ御前はその姿を御覧になって、これがお別れだ、今後よそからお姿を拝見することはあるであろうが、直接に話をすることは今だけであると思いました。そして、中将様がお出かけになったその後に、少納言を呼び寄せて、「今こそ良い折よ、さあ御殿を出ましょう」と仰います。少納言は装束などを片付けましたので、きしゅ御前はこれを御覧になって、涙の中で、このように歌をお詠みになりました。
  別れてもまたも逢ふ瀬のあるならば涙の淵に身をば沈めじ
  (お別れしても、また逢う機会があるのならば、このように涙の中に沈むことはないのに)
このようにお詠みになって、少納言と一緒に都を出て、「稲荷の明神様、私が故郷に帰り着くまで、無事であるようにお守りください」と念じて、涙を流しながらお出かけになります。その心の中はとてもお気の毒なものでございます。
 深草の里を通る時に、都の方を振り返って立ち止まられますと、道端の荻の葉に、露がしっとりと置いて、しみじみと悲しくなって、
  思ひ出づる身は深草の荻の葉の露にしをるるわが袂かな
    (思いを残して出て行く私、深草の荻の葉が露に萎れているように、私の袂は涙に濡れています)
こう詠んで、だんだんと歩みを進めるうちに、もとの住処に着きました。「きしゅ御前がお帰りになりました」と、下仕えの狐が言いますと、きしゅ御前の父母は聞くやいなや、これはどうしたことかと思って駆け出て、「この三年の間、姿が見えなかったので、どのような狩人に出遭いなさって、雁股の矢の一筋も射られたのか、それとも鷹狩りの犬に食われたのかと、あれこれ嘆いて暮らしていたのに、これは夢か現実か」と仰います。嬉しい中でも先立つものは涙で、きしゅ御前の袂にすがりついて、「ああ珍しいこと、こんこん、どちらにいらっしゃった、こんこん」とばかり言いましたので、乳母の少納言は、一部始終のことを細々と語りました。父母は聞いて、「それでは、そのように近い所に無事に住んでいらっしゃったのに、今まで知らせてくれなかった、少納言が怨めしい」と言いながら、一家親類中が集まって、きしゅ御前帰館の喜びの酒盛りが催されたのももっともなことでございます。
 このように、めでたいことは限りありません。その中でも、きしゅ御前は、ひたすら若君と中将様のことが恋しくて、もはやこのつらい憂き世に全く未練がなく、自身を出家姿に変えて、後世を願う仏道に入ろうとお考えになり、再び木幡の里を出て、嵯峨野へと分け入って、庵室を作り、黒髪を剃り落として、この世は仮の宿、稲光や朝の草葉の上の露のように短くはかなく、夢幻のようなものであるから、今この時に生まれ変わり死に変わりの煩悩世界を離れて、未来は必ず中将殿と同じ蓮の上に生まれようと願われました。
 さてさて、都では、中将様は内裏からお暇をいただいて、自分の御殿へとお帰りになりましたが、きしゅ御前も乳母の少納言も姿が見えず、若君は自分の乳母の膝に寄り添って寝ていて、母親がいなくなったことを、深く嘆いていらっしゃいました。中将様は、これはどうしたことかと、お嘆きはとても深く、たとえようがありません。中将様は、きしゅ御前がいつもいらっしゃった所を見ると、さまざまの名残惜しいということをたくさん書き遺してあります。「私との縁が尽きたとしても、若君だけは順調に育っているのだから、何を恨んで家をお出になったのか」と、中将様の嘆きは尽きることがありません。春日のお局や若君の乳母に細かい事情をお尋ねになっても、「何も存じませんのです。若君様の所へ犬が献上されてから、乳母の少納言様の顔色がことのほか悪くなって、とても恨めしそうに仰っていたほかは、何も変わりは見えませんでした。ほかは何ごともございません」と申しました。中将様はこれをお聞きになり、「まあ、いい。その身が何者であろうとも、せめてこの子が七歳になるまで、どうして一緒にいてくれなかったのだろうか」と、その嘆きは何とも言い表せません。そんなことがあったのに、あちらこちらから、「奥様をお迎えください」という申し出がありましたが、中将様はそれに応ずる気配もお見せにならず、ただただこのきしゅ御前とのお別れだけを嘆かれていらっしゃいました。このようにして年月を過ごされているうちに、若君はさまざまに栄えられ、子孫も繁昌したということです。
 一方、きしゅ御前の住む庵室では、きしゅ御前が、都のことだけを恋しがってお過ごしになっていらっしゃいました。しかしながら、若君の御繁栄をそれとなく御覧になられて嬉しいことはこの上ございません。きしゅ御前は日々峰に上り、花を手折り、谷の水を汲んで、少納言とともに阿弥陀の名号を唱えて、一心に修行に励んでいらしゃいます。
 このような獣類でさえも、後生安楽に往生を遂げる道を願うものであります。ましてや、人間として生まれて、どうしてこの仏道に心を向けないことがありましょうか。このように感心なことであるので、書き伝え申すのであります。書き伝え申すのであります。