落語のひととせ 60 冬の部7

   卵酒                              (鰍沢
 江戸の人が風邪の妙薬として口にしたものに卵酒があります。卵酒とは、酒に少量の砂糖を加え、かき混ぜた卵を入れて温めるというもので、体が温まります。今日では甘酒が使われることもあるでしょうが、前に述べた通り甘酒は暑気払いに用いられるもの、冬は栄養に富む卵酒となっていました。
 身延山といえば、日蓮宗では池上の本門寺と並んでの本山として尊まれていて、宗旨の人は一度はお参りをしたいと願う土地です。身延参りの旅人が、雪深い山中で道に迷って困っていました。旅人の目に一軒の火が見え、これぞお祖師様の導きと立ち寄って道を尋ねれば、中から女性の声で道を知らないと言われました。
 旅人は一夜の宿を頼んで入れてもらい、ようやく囲炉裏端に座って暖まることができました。この家の女主と話しながら相手を見ると、喉元に傷はありますが、美しい人です。旅人は、しげしげと見て、「あなたは熊蔵丸屋の月の兎(と)花魁ではありませんか」と訊きます。主はびっくりして、「おまはん誰なの」と逆に尋ねられ、旅人は、以前、酉の市の晩、初めて吉原に行き、その時に出たのが月の兎で、その夜には連れが泥酔して、縁日で買ってきた唐の芋を踏んで滑って大騒ぎをしたと答えます。さらに、数年経って吉原に行ったら、月の兎は心中したと言われたと言います。元月の兎の女主は、心中のし損ないで逃げ出し、その時の男が熊の膏薬を作って売ってこの山中で暮らしていると語ります。
 旅人は、胴巻から金を出し、女主に土産代わりと金を渡します。女主はそれに素早く目を走らせますが、何くわぬ顔で、卵酒を作ってあげようと手早く支度をして、旅人に勧めます。旅人は出来上がった卵酒を口にし、しばらくすると旅の疲れもあって、隣の部屋の夜具に入ります。女主は旅人が寝込んだのを見届け、亭主に飲ませる酒がなくなったので買いに出掛けます。
 その留守に亭主が帰ってきて、飲み残された冷めた卵酒を「冷えた卵酒は生臭い」と言いながら、全部飲んでしまいます。そこへ女が帰ってきました。亭主は、女が旅人を殺そうと卵酒に入れた毒で体が動けなくなっています。亭主は苦しみますが、もうどうしようもありません。この騒ぎで目を覚ました旅人は、体がしびれながらも外へ出て、小室山で受けた毒消しの御封を飲み込んで、どうにか体が動くようになり、転がるように逃げて行きますが、崖に行き当たってしまいました。女が後ろから銃を持って追い掛けてきます。進退きわまったところ、突然崖の雪が崩れ、旅人は下の筏の上に落ちてしまいました。筏は水かさの増した鰍沢の急流の中を流れて行きますが、だんだんに藤蔓が切れ、丸太一本だけになってしまいました。女が上から狙って撃った銃弾は、旅人の髷をかすって後ろの岩にカチーンと当たります。「ありがたい、この大難を逃れたのもお祖師様の御利益、お材木で助かった」。
 この咄は、初代三遊亭圓朝が「小室山の御封、卵酒、熊の膏薬」の題で作った三題咄と言われます。ただし、題には諸説あります。落ちはお題目とお材木とを掛けていて、これは「おせつ徳三郎」という長い咄の落ちと共通です。落語事典によると、もとは芝居咄で、「思いがけなき雪の夜に、御封と祖師の利益にて、不思議と命助かりしは、妙法蓮華経の七字より、一時に落とす釜ヶ淵、矢を射る水より鉄砲の肩をこすってどっさりと、岩間にひびく強薬、名も月の輪のお熊とは、くいつめ者と白浪の深きたくみに当たりしは、後の話の種子島、あぶないことで、あったよな、まず今日(こんにち)はこれぎり」となっていたそうです。
 途中に旅人が初めて吉原に行ったのが酉の市の日とあります。これは十一月の酉の日に行われる鷲(おおとり・大鳥)神社のお祭りで、一の酉、二の酉、三の酉と呼ばれ、三の酉まである年は火事が多いと言われます。この日は、おたふくや小判などを付けた縁起物の熊手や唐の芋などが売られます。熊手は毎年大きな物に買い換えていくのが縁起担ぎで、買い手は売り手の言い値を値切りますが、値切った額との差を祝儀として置いていくのが粋とされていました。
 吉原に近い鷲神社の酉の市が有名で、お参りの帰りに登楼する客が多いので吉原は大変に賑わいました。酉の市は、古くは酉の町とも言われ、歌川広重の「名所江戸百景」は「浅草田甫酉の町詣」と名づけられ、吉原の二階座敷から酉神社へ参詣する人の波を浅草田甫越しに猫が見ている絵があります。
 鰍沢の急流は富士川に合流して、東海道の吉原宿と蒲原宿との間(あい)の宿の岩淵へと流れると説明されています。その急流は、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」中の「甲州石班沢(かじかざわ)」に描かれています。