落語のひととせ 46 秋の部7

   薩摩芋 その2                  (大工調べ、真田小僧
 歌川広重の「名所江戸百景」の「びくにはし雪中」という雪景色の絵に焼き芋屋が描かれ、「○やき、十三里」という行灯看板があります。これは、「薩摩芋の丸焼き、栗(九里)より(四里)うまい、足して十三里」の洒落の看板です。こんな焼き芋屋のほかに、どんなところで売っていたかというと、町内の警備や火の番に当たる番太郎のいる番屋で内職に売っていることもありました。それを示す咄があります。
 与太郎は、仕事がなくて家賃を滞納してしまいます。それで、大家に大工道具を差し押さえられていましたが、ようやく仕事が来て、家賃を納めて道具を返してもらうことになりました。ところが、棟梁が貸してくれた金が少し足りません。そこに交渉に行った与太郎の言葉足らずが重なって、話がこじれました。そこで、棟梁が出て行きますが、言葉が少しぞんざいだったために、ますます話がこじれます。とうとう棟梁が怒って、大家の前身を暴きます。この中に、番屋で焼き芋を売っていたことが出てきます。「前の六兵衛番太は人柄が良く、本場川越の芋を厚く切って売るので子供は正直、隣町からもわざわざ買いに来た。それをお前は場違いな芋を薄っぺらに切って、しかも生焼けで売るから、腹を下して幾人死んだか知れやしねえ」と啖呵を切ります。この大家は、先代の番太郎が亡くなったのでその後に入り婿し、番太郎をして焼き芋の売り上げをこつこつ貯めて、大家になったのですから、大した人物なのでしょうが、咄の世界ではこの後お裁きになって、情のなさで奉行からお叱りと罰金刑を受けてしまいます。
 さて、ここに焼き芋が好きな子供がいます。子供は小遣い銭を握って買いに行きます。食べてしまうとまた食べたくなり、子供は父親に小遣いをねだりますが、そんなにやれないとはねつけられました。すると、子供は、父親の留守に、母親のところに白い上着を着て色眼鏡を掛け、杖を突いたおじさんがやって来たという話を始めます。母親はその人を見ると、いそいそとその男の手を取って家の中に迎え入れて障子を閉めたので、そっと覗いて見たら夜具が敷いてあった、とさらに怪しい話が続きます。父親はその男が何者か知りたいのですが、子供は話を少しずつ切って、その都度話し賃を要求します。最後まで聞いてみると、横丁の按摩さんが療治に来ていたもので、白い上着は白衣、色眼鏡は盲人用の眼鏡、杖は白杖でありましたが、ずいぶん払ってしまいました。
 まんまとしてやられた父親は、母親相手に愚痴を言い、自分の好きな「難波戦記」の講釈のうち真田幸村の伝を語ります。幸村は小さいときから知恵が働き、武田の軍に囲まれた時に敵を同士討ちさせて難局を切り抜け、その時の策に使った旗印から、六連銭の旗印を使うようになったという話をします。そんな知恵ある人でも大坂落城で討ち死にしたとも、薩摩に落ちたとも言われる、俺は薩摩に落ちたと思う、と語りました。うちの子供と比べると大違いだ、あいつもそれくらい知恵があればいいのにと嘆きました。
 そこへひょっこり子供が帰って来たので、銭を何に使ったかと訊くと、講釈を聞いてきたと言います。それなら何を聞いたか話してみろ、違ったら許さないと言うと、子供は先程父親の語った真田幸村の話をそっくりしました。たった一回聞いただけで覚えちまったと父親は感心します。子供は、六連銭の旗印とはどんなものかと尋ねます。子供が、実地に並べてくれないと判らないと言うので、父親は一文銭を六枚出して並べて教えます。何度か並べ直しているうちに、子供は「ありがと」と言って六文をさらって逃げました。「また講釈を聞くのか」「ううん、これで焼き芋買うんだい」「ああ、うちの真田も薩摩に落ちた」。
 この咄は、「雛祭り」の項で書いた「雛鍔」と構成がほぼ同じです。父親が他の子供と我が子を比べて嘆き、子供はその嘆きを払拭するように実に見事にふるまいます。落ちはどちらも焼き芋を買うことで同じです。二席を続けて聞いたら混乱することでしょう。そんなことがないように、寄席では前座が楽屋帳(根多帳)を付けて、どういう咄が演じられたかを管理して、似た咄が重ならないように気を付けています。
 なお、冒頭の「びくにはし雪中」の絵は、「広重」の署名がありますが、初代広重の作ではなく、弟子の二代広重の作ではないかと言われています。びくに橋は、有楽町駅に近い場所で、そこに焼き芋屋があったのです。同じ絵の「山くじら」については、冬の部6の猪鍋で触れます。