落語のひととせ 33 夏の部16

   夕立 その1        (雷夕立、雷の子、雷の弁当、夕立屋、宮戸川
 暑い日の夕立は、雨具なしで外出した時は困りますが、家の中なら涼しくなって気持ちの良いものです。夕立に付きものの雷の咄から始めます。
 お日様とお月様と雷様が旅をしました。宿屋に泊まって翌朝、「もし、お目覚めでございましょうか」「うん、よく寝た。連れはどうした」「お日様とお月様はもうおたちになりました」「ああ、もうたったか。月日のたつのは早いものだ」。「雷様は」「わしは夕立にしよう」。
 雷様が雲の上で働いていると、子供がついてきます。ゴロゴロゴロ、ゴヨゴヨゴヨとやっているうちに、子雷が足を滑らせて雲の隙間から落ちてしまい、下で寝ている虎の所ヘドシーン。虎は怒って「ウォー」、「お父ちゃん、ふんどしがいじめるよー」。
 雷様が大暴れしました。その後に重箱のような物が落ちています。これは何だと開けてみると、上の段には臍の佃煮がぎっしり、さては雷様の弁当、下の段は何かと開けようとすると、天から声があって、「臍の下は見てはいかん」。
 今度は夕立の咄にします。
 暑い日、涼しくなることはないかと思っていると、外を「夕立屋でござい」と流して歩く者がいました。呼び入れて、「ちょっとここへ降らしておくれ」「へい、よろしゅうございます」と姿を消すと、ほど良く降り、夕立屋が戻ってきました。「ありがとう、どんな夕立でもできるのかい」「へえ、わっちは正体が竜で、どこへでも降らせることができます」「それは涼しくなっていいね。冬は暖めてもらえないのかい」「冬はわっちでなくて、子供の子竜(炬燵)がいたします」。
 さて、日本橋小網町に住む半七、将棋が好きで、もう一番もう一番と将棋を指して、とうとう帰りが夜更けになってしまいました。博打だ、酒だ、女だという問題のあることではないのですが、碁将棋に凝ると親の死に目に会えないと、碁も将棋も道楽の一つと見なされていた時代ですから、親は戸を閉めて入れようとしません。向かいの家のお花は、こちらは歌留多好きで、これまた遊びに夢中になり、閉め出されていました。二人でまるで掛け合いのように、それぞれの家に懇願しますが、戸は開きません。半七は、やむなく霊岸島の叔父さんの家を頼ると言って向かいます。お花は叔母さんが熊本にいますが、今夜の間に合いませんから、嫌がる半七を追って霊岸島へと付いて行きます。
 叔父さんの家に着いた半七、お花を振り切ろうとしましたが、早呑み込みの叔父さんに二人はもう「出来て」しまっていると思われ、二人とも叔父さんの家の二階の夜具が一組しかない部屋へと入れられます。身を固くする半七、夜具の真ん中に帯を置き、二人で夜具に入りました。そのうち、遠くで鳴っていた雷がだんだん近づいて、近くにピシッ、思わず「怖い」と半七にしがみつくお花、裾が乱れて白い脛がすーっ、というところで、「ここから先は本が破れて判らない」ということになりました。ここまでがこの咄の上(前編)で、上と言わずに咄をここで終わらせる形があります。ここから先は、咄が長くなるのと、力量が必要なのでなかなか聞けないのです。
 せっかくですから下を書いておきましょう。この二人の場を、「古い小本(黄表紙)の裏表紙をへがしますと見返しに、『くぐもる恋は顔に袖、濡れて嬉しき夕立や、いかなる神の結び合ふ、帯地の繻子のつゆ解けて、二人はそこに稲妻(いねづま)の、光にぱっと赤らむ顔、鼎にあらぬ兼好の、筆も及ばぬ恋の情』とあります」という言葉を入れ、二人が叔父さんの取りなしで夫婦になってからの咄になります。咄は、お花が小僧を連れて浅草に出掛け、雨が降ってきたので小僧に傘を取りに行かせたところ、行方不明になります。半七は犯人を捜しますが、真相が解らないままでした。時が経ち、浅草観音にお参りに行った帰りに雨に遭った半七は、船に乗り、船頭に一杯飲ませると、船頭は酔った紛れに、以前の夕立の時に女(お花)をさらって殺して宮戸川(隅田川)へ捨てたと話します。半七は、「それで様子がからりと知れた」と船頭相手に立ち回り、そこへ小僧の「旦那さん、お神さんが雨に降られたので、傘を持ってきてくださいって」という声がかかり、半七は目を覚まします。目が覚めてみればお花は無事で、全部半七の夢でした。「ああ、夢は小僧の使い(五臓の疲れ)だ」。
 後半は、すべて幸せな半七の夢で、船頭とのやり取りが芝居がかりになりますので、なかなかやり手がありません。
 先程の「古い小本の…」という繋ぎの部分ですが、「四万六千日」の項(夏の部4)の文末に触れた「お初徳兵衛浮名の桟橋」という人情咄で、「船徳」の中の笑いを誘う素人船頭とは違って、立派な船頭になった徳兵衛と、小さい時から徳兵衛に憧れていた芸者お初が結ばれる時も同じ夕立の場面になって使われています。「お初徳兵衛」と「宮戸川」のどちらが先かの詮索は、同じ隅田川のこと、水に流しましょう。