落語のひととせ 31 夏の部14

   蚊退治            (麻のれん、蚊帳はー、蚊いくさ、二十四孝)
 酢豆腐の若旦那が吉原に行ってもてた時、「夏の夜は短いね」などという言葉が出たとか出ないとか、とにかく暑い夜、昔は蚊が出て眠りを妨げました。そんな時、涼しげで風情があるのが蚊帳で、浮世絵にもたくさん描かれています。葛飾北斎には、「こはだ小平治」という、蚊帳の上から中をのぞき込む亡霊の姿もあります。蚊帳が見られなくなったのは、日本の夏の風物詩が一つ消えたと感じられ、寂しいです。そんな、蚊帳を常用していた時代のことです。
 さて、昔は、目の不自由な人の職業として、鍼と揉み療治がありました。揉み療治のことを按摩と言いますので、それを業とする目の不自由な人のことを按摩さんと呼びました。夜になると、「按摩上下十六文」と言って町を流して歩く人もいました。十六文は、掛け蕎麦一杯、浮世絵一枚の値段で、かなり安価です。
 ある商家で按摩さんを呼んで療治をさせたら、だいぶ夜が更けてしまいましたので、そのまま泊めました。夏の夜、按摩さんが蚊に刺されるといけないというので蚊帳を釣りました。その夜は部屋の入り口に麻の暖簾が架かっていたので、按摩さんは麻暖簾を蚊帳だと思って、暖簾をまくり上げて、暖簾と蚊帳の間に寝てしまいました。そのため、按摩さんは蚊に刺されて、でこぼこ頭になってしまいました。
 後日、また揉み療治で遅くなったので泊まって貰うことになり、前回は気の毒だったと思った女中さんが、気を利かせて暖簾を外しておきました。そんなこととは知らない按摩さん、「一枚目のこれが麻暖簾、次が蚊帳」と蚊帳の外へ出てしまいました。季節感のある咄ですが、このままですと目の不自由な人を笑う哀しい咄になってしまいます。そこで、この按摩さんの性格を少し強情に設定して、案内などなくても大丈夫ですと、一人で行かせるようにします。すると、身体的な不自由さが薄れて、強がりの自業自得の感じが出て、ありそうなことよと納得できます。
 蚊帳は、夏の必需品でしたから、必ず請け出すということで良い質草になりました。『東海道四谷怪談』では、民谷伊右衛門が何か金になるものはないかと捜して、蚊帳を持って行こうとするところを、女房のお岩が、子供が蚊に食われるとかわいそうだと持って行かせまいと蚊帳を握りしめ、生爪をはがされるという凄惨な場面があります。
 蚊が飛んで来ました。「蚊帳はー、蚊帳はー」「うるさい、質に入ってるんだ」と答えると、蚊が「ふーん」。蚊の羽音を使った小咄です。
 残念ながら蚊帳がない家では、蚊燻しによって蚊の撃退をはかりました。これは、松の小枝や葉、杉の葉、おがくずを燃やして、その煙によって蚊を撃退する方法です。煙だけですので、ただ蚊が逃げて行くだけというものです。蚊を追い遣るので、蚊遣りとも呼びました。蚊帳にしても、蚊燻しにしても蚊を遠ざけるだけで退治するというものではありませんから、根本的解決ではありませんが、「よく寝れば寝るとて覗く枕蚊帳」は子供の様子を見に来た母親、「燃え立ちて顔恥づかしき蚊遣りかな」は蕪村の句で、燃え上がって若い二人がの顔が見えたところ、こんな作品もあり、風情が感じられます。
 さて、ある長屋の蚊帳の無い家、閉めて寝れば暑いし、開ければ蚊にやられるしで、毎晩やりきれません。そんな時、同じ長屋に住む浪人の先生から、蚊と一戦をして退治するという方法を伝授されました。まず、自分は城主となり、家を城に見立てて、「やあやあ蚊の面々良く承れ、当家では今宵は蚊帳を釣らぬぞよ」と名乗りを上げます。長屋中に蚊帳が無いことが知れ渡りますが、戦のさなか、そのような些事を気にしてはいられません。そして窓を開けて蚊を呼び込み、十分に入ったところで窓を閉め、ここでかねて用意の狼煙に見立てた蚊燻しを食らわします。敵がうろたえているところで窓を開け、追い出して閉め、残党は皆殺しにすれば安眠できるという手順で始めました。「煙くとも後は寝やすき蚊遣りかな」です。さて、名乗りも順調に終え、窓を開ければ敵の群れ、ここで用意の狼煙にかかれば、煙いこと、我慢して窓を開けて追い出しましたが、残党が次から次へと現れ、狼煙は役に立ちませんでした。もうこの上は、「城を明け渡そう」とあえなく落城いたしました。
 こちらの八五郎は、女房は殴り、母親に対しては、親に手を上げられないと蹴るという乱暴を働きます。大家が中国の二十四孝を引いて意見をします。王褒(おうもう)という人は貧しくて夏になっても蚊帳が釣れないという話になったら、蚊帳が釣れないのはそいつのところだけじゃないと怒り出しました。事情を聞くと、八五郎はまともに働かず、金が入ると飲んでしまうために蚊帳がないという威張れたことではないのが判りました。「この王褒は酒を買ってきて自分の体に吹きつけ、親を食うならば我を食えと言った」「それなら蚊に食い殺されたろう「ところが、それが、天の感ずるところで、蚊に食われなかった、いいか、親を大切にしなければ長屋を追い出す」と言われ、八五郎の心に少し孝心が涌きました。早速家に帰って酒を買い、体に吹き付けても飲んでも一緒だろうと言って、たっぷり飲み、そのまま寝てしまいます。翌朝起きてみると、蚊に食われていません。「どうだ偉いもんだろう、孝行の威徳で蚊に食われてねえ」、母親が「馬鹿野郎、おれが夜っぴてあおいでいたんだ」。金箔付きの親不孝物語であります。