落語のひととせ 6 夏の部3

   酢豆腐                            (酢豆腐
 夏場は物が腐りやすくなります。冷蔵庫がない時代、長屋からは生鰯を買ったお神さんの「おまえさん、ぽかときているんだよ、早くさばいておくれ」という声が聞こえてきます。暑気払いと理由を付けて一杯やっていた若い者一同、もう日が高くなり、これから飲み直そうかというところです。酒はツケで何とかなりますが、肴を買う金がありません。何かオツで安くてみんなに行き渡る肴はないかと知恵を出させますが、「銭は無いけど刺身は食う」だの、爪楊枝を買って咥えさせて、外から見ればオツな物を食べているように見せる「衛生に良い歯の大掃除」という奴がいます。
 その時、一人の知恵者が、糠味噌の樽を探ってみれば、古漬けが出てくるからそれを細かに刻んで覚弥の香々(かくやのこうこ)というのはどうだと言います。それはオツだ、早速出して、と言い出しっぺに願いましたが、戦をする人と策を立てる人は別だと断られました。さて、誰が糠味噌に手を入れるかという段になると、手に臭いがついて消えないため、俺がやろうという者がいません。折から表を通った半公を呼び入れ、お前は立て引きが強いと岡惚れしている娘がいるとおだてて、「人に頼まれて断ったことのないお兄さんだ」と見得を切らせた後で、「その立て引きの強いところで糠味噌を出してくれ」と頼みました。これにはさすがの半ちゃんも尻込みして、糠味噌を買う代を出すから勘弁してくれと逃げました。
 これで軍資金ができましたが、まだ何か無いかと考えたら、昨夜残した豆腐に思い至りましたが、その豆腐は、与太郎が昨夜湯を沸かした釜に入れ、鼠が囓らないようにぴったり蓋をしたということで、出してみたところ、シャツの裏のように毛が生えていました。与太郎は、「シャツの裏というのは、こうしてこさえるのか」と感心しています。
 こんな物が食えるか、穴を掘って捨てちまえと言っているところに、町内の通気取りの若旦那が通ります。皆が嫌がって敬遠しているのですが、当人はそれに全く気づいていません。通ぶっている面目を失わせてやろうと、嫌みなのを我慢して若旦那を呼び入れました。すると、若旦那は、昨夜は吉原に行ってさんざんもてたという話を延々とします。話が切れたところで、こんな物を貰ったのだけれど、何だか判らないと、昨夜の「豆腐」を出しました。「おや、よくこれが手に入ったね」「これは食べ物ですか」「もちりん(勿論)」「私(わっち)どもはこんな物は食べたことがないので、どうやって食べるかわかりませんので、ひとつ食べてみてくださいな」「いや、皆様の前で戴くのは失礼にあたりやすから、持ち帰って、夕餉の膳に」「そんなこと言わず、食べてみてくだはいな」と皆が口々に勧めます。若旦那は、「敵は大勢、味方は一人」とつぶやきながら、食べざるを得ないことになりました。
 いよいよ食べる段になり、「久しぶりだね、良い香りだ。この香りが命だ」と箸に掛かりにくいところを口に入れました。若旦那の口に入った「豆腐」は、喉と口先を行ったり来たり、ようやく喉を通ったかと思えば、胃はもっと味わえと口中に戻そうとします。ようやく落ち着かせて、扇であおいで涼しい顔です。
 食べたとびっくりする一同、「若旦那、これはいったい何というもんです」「拙の考えでは酢豆腐でしょう」「よく付けたね、よろしかったら、もう一口」「いやー、酢豆腐は一口に限りやす」。
 この場にいた別の若者の話では、「若旦那、酢豆腐ってのは、どんな味です」「ちょうど豆腐の腐ったような味でげす」という、別の会話であったと言います。いずれにせよ、豆腐は傷みやすいのでご注意です。 なお、古い『広辞苑』や『日本国語大辞典』に、「豆腐に酢をかけた料理」と載っています。近年では、豆腐サラダとして、豆腐に酸味のあるドレッシングをかけることもありますから、食はいかに発展しているかがわかります。それはともかく、この咄から「酢豆腐」が半可通を表す言葉になりました。
 また、どんな良い物を食べさせても決して褒めない近所の嫌味な男に、この腐った豆腐に唐辛子を入れて瓶詰めにして食べさせると、「台湾のちりとてちんという物だ」という、設定の少し違う咄があります。

   蚊退治            (麻のれん、蚊帳はー、蚊いくさ、二十四孝)
 酢豆腐の若旦那が吉原に行ってもてた時、「夏の夜は短いね」などという言葉が出たとか出ないとか、とにかく暑い夜、昔は蚊が出て眠りを妨げました。そんな時、涼しげで風情があるのが蚊帳で、浮世絵にもたくさん描かれています。葛飾北斎には、「こはだ小平治」という、蚊帳の上から中をのぞき込む亡霊の姿もあります。蚊帳が見られなくなったのは、日本の夏の風物詩が一つ消えたと感じられ、寂しいです。そんな、蚊帳を常用していた時代のことです。
 さて、昔は、目の不自由な人の職業として、鍼と揉み療治がありました。揉み療治のことを按摩と言いますので、それを業とする目の不自由な人のことを按摩さんと呼びました。夜になると、「按摩上下十六文」と言って町を流して歩く人もいました。十六文は、掛け蕎麦一杯、浮世絵一枚の値段で、かなり安価です。
 ある商家で按摩さんを呼んで療治をさせたら、だいぶ夜が更けてしまいましたので、そのまま泊めました。夏の夜、按摩さんが蚊に刺されるといけないというので蚊帳を釣りました。その夜は部屋の入り口に麻の暖簾が架かっていたので、按摩さんは麻暖簾を蚊帳だと思って、暖簾をまくり上げて、暖簾と蚊帳の間に寝てしまいました。そのため、按摩さんは蚊に刺されて、でこぼこ頭になってしまいました。
 後日、また揉み療治で遅くなったので泊まって貰うことになり、前回は気の毒だったと思った女中さんが、気を利かせて暖簾を外しておきました。そんなこととは知らない按摩さん、「一枚目のこれが麻暖簾、次が蚊帳」と蚊帳の外へ出てしまいました。季節感のある咄ですが、このままですと目の不自由な人を笑う哀しい咄になってしまいます。そこで、この按摩さんの性格を少し強情に設定して、案内などなくても大丈夫ですと、一人で行かせるようにします。すると、身体的な不自由さが薄れて、強がりの自業自得の感じが出て、ありそうなことよと納得できます。
 蚊帳は、夏の必需品でしたから、必ず請け出すということで良い質草になりました。『東海道四谷怪談』では、民谷伊右衛門が何か金になるものはないかと捜して、蚊帳を持って行こうとするところを、女房のお岩が、子供が蚊に食われるとかわいそうだと持って行かせまいと蚊帳を握りしめ、生爪をはがされるという凄惨な場面があります。
 蚊が飛んで来ました。「蚊帳はー、蚊帳はー」「うるさい、質に入ってるんだ」と答えると、蚊が「ふーん」。蚊の羽音を使った小咄です。
 残念ながら蚊帳がない家では、蚊燻しによって蚊の撃退をはかりました。これは、松の小枝や葉、杉の葉、おがくずを燃やして、その煙によって蚊を撃退する方法です。煙だけですので、ただ蚊が逃げて行くだけというものです。蚊を追い遣るので、蚊遣りとも呼びました。蚊帳にしても、蚊燻しにしても蚊を遠ざけるだけで退治するというものではありませんから、根本的解決ではありませんが、「よく寝れば寝るとて覗く枕蚊帳」は子供の様子を見に来た母親、「燃え立ちて顔恥づかしき蚊遣りかな」は蕪村の句で、燃え上がって若い二人がの顔が見えたところ、こんな作品もあり、風情が感じられます。
 さて、ある長屋の蚊帳の無い家、閉めて寝れば暑いし、開ければ蚊にやられるしで、毎晩やりきれません。そんな時、同じ長屋に住む浪人の先生から、蚊と一戦をして退治するという方法を伝授されました。まず、自分は城主となり、家を城に見立てて、「やあやあ蚊の面々良く承れ、当家では今宵は蚊帳を釣らぬぞよ」と名乗りを上げます。長屋中に蚊帳が無いことが知れ渡りますが、戦のさなか、そのような些事を気にしてはいられません。そして窓を開けて蚊を呼び込み、十分に入ったところで窓を閉め、ここでかねて用意の狼煙に見立てた蚊燻しを食らわします。敵がうろたえているところで窓を開け、追い出して閉め、残党は皆殺しにすれば安眠できるという手順で始めました。「煙くとも後は寝やすき蚊遣りかな」です。さて、名乗りも順調に終え、窓を開ければ敵の群れ、ここで用意の狼煙にかかれば、煙いこと、我慢して窓を開けて追い出しましたが、残党が次から次へと現れ、狼煙は役に立ちませんでした。もうこの上は、「城を明け渡そう」とあえなく落城いたしました。
 こちらの八五郎は、女房は殴り、母親に対しては、親に手を上げられないと蹴るという乱暴を働きます。大家が中国の二十四孝を引いて意見をします。王褒(おうもう)という人は貧しくて夏になっても蚊帳が釣れないという話になったら、蚊帳が釣れないのはそいつのところだけじゃないと怒り出しました。事情を聞くと、八五郎はまともに働かず、金が入ると飲んでしまうために蚊帳がないという威張れたことではないのが判りました。「この王褒は酒を買ってきて自分の体に吹きつけ、親を食うならば我を食えと言った」「それなら蚊に食い殺されたろう「ところが、それが、天の感ずるところで、蚊に食われなかった、いいか、親を大切にしなければ長屋を追い出す」と言われ、八五郎の心に少し孝心が涌きました。早速家に帰って酒を買い、体に吹き付けても飲んでも一緒だろうと言って、たっぷり飲み、そのまま寝てしまいます。翌朝起きてみると、蚊に食われていません。「どうだ偉いもんだろう、孝行の威徳で蚊に食われてねえ」、母親が「馬鹿野郎、おれが夜っぴてあおいでいたんだ」。金箔付きの親不孝物語であります。

   昼下がり              (次の御用日、夢の酒、雀の巣、茶金)
 夏の昼下がり、往来の人通りは減り、静かになります。
 これは大坂の咄、北浜の辺り、日差しは強く当たっているのですが、往来はしーんと静まりかえって、昼間なのに怖く感じられる昼下がり、ある大店のお嬢さんが、丁稚を供にして習い事に通います。人影の無い道を、向こうからやって来たのは、普段から二人をからかう出入りの職人です。なんとなく恐怖を感じた二人は物陰に隠れて、しゃがんでやり過ごそうとします。職人は目敏く二人を見つけ、脅かしてやろうと、半纏を頭の上まで伸ばして大入道の形になり、二人の上から「アッ」と声を掛けました。怖い怖いと思っていたお嬢さんは、上から怪物に声を掛けられて気を失ってしまいました。丁稚は泣きながら店に帰り、店の者総出でお嬢さんを連れ帰りました。お嬢さんは息を吹き返しましたが、それまで聡明だったのが、正気を無くして、人形のようになってしまいました。これまで大切に育ててきた娘を腑抜けにされてしまった両親は、職人を奉行所に訴えました。
 いよいよお調べの日、この日を御用日と申します。奉行出座でお調べが始まりました。「この訴えによると、その方がこちらの娘の頭の上で、『アッ』と言ったとあるが」「お奉行様に申し上げます、私はお嬢さんの頭の上で『アッ』てなことを言った覚えはございません」「お奉行様、この男は、娘の頭の上で『アッ』と言うたのに相違ございません」「ここには『アッ』と言うたとある。その方、『アッ』と言うたなら言ったと申せ」「いいえ、『アッ』てなことは覚えございません」「黙れ、『アッ』と申しておきながら、『アッ』と言わんとは何と言うことか。『アッ』と言うたなら、『アッ』と言うたと申せば良いものを、それを『アッ』と、『アッ』『アッ』『アッ』、一同の者、この裁き、次の御用日にいたせ。奉行、喉が痛くなった」。
 遠く聞こえる物売りの声も、朝の物売りの威勢の良さとは違い、のんびりと聞こえ、つい眠気を起こしてしまいます。
 若旦那が昼寝をします。嬉しそうな顔をして寝ていたのですが、嫁さんが起こしてしまいました。どんな夢を見たのと嫁さんが聞くと、昔なじみの家に行って一杯ご馳走になり、酔って少し醒まそうと横になったら、その家の女性が蒲団に入ってきて、さて、というところで起こされたと語ります。嫁さんは悔しいので怒って夫婦喧嘩になります。大旦那が仲裁に入って、夢の中の話と聞いてあきれます。嫁が大旦那に、その女の所に行って叱ってくださいと昼寝を頼みます。大旦那は、そんな無理なと思いながら昼寝をすると、その女の所に行けました。大旦那も若旦那と同じように酒を勧められますが、あいにく火を落としたために酒の燗ができません。冷や酒は飲みたくないので、まだかまだかと待っているところに、嫁に起こされて、「惜しいことをした」「お叱りの前だったのですか」「いや、冷やで飲めば良かった」。
 こんな昼下がり、「あーぶらー」という油売りの声が聞こえてきます。その声だけで眠気が誘われます。長屋に入ってくるとお神さんがあられもないかっこうでぐっすり昼寝しています。油売りはむらむらして、とうとう最後まで、でもお神さんは目が覚めません。あいにく拭く物がなかった油売り、油の手を拭うための藁を使い、余った藁をお神さんの中に入れて去ります。帰って来た亭主、「おや、あんなところに藁が、雀が巣を作ったのかな」と藁を抜くと、どろり、「しまった、卵つぶした」。 
 油売りが清水寺茶店で休んでいました。そばに茶道具の目利きで有名な通称茶金の茶屋金兵衛が茶を飲んでいて、茶店で出した安茶碗を手に首を傾げています。油売りは、これは高価な茶碗だろうと思い、茶店の親爺が茶金が首を傾げた高価な茶碗だと言うのを、自分用の茶碗がほしいと言って有り金全部と油屋の道具を付けて無理矢理買い取ります。
 後日、油売りは茶碗を茶金の店に持ち込むと、物は清水焼の安茶碗、ただし疵もないのに洩るのだと聞かされてがっかりします。茶金は、自分の名前を買ってくれたからと言って、油売りに商売の元手として三両の金を貸します。
 油売りはすごすご帰りました。残された茶碗について、茶金が関白の邸へ出掛けたついでにこの話をすると、関白は茶碗を見て、歌を添えました。この話が関白から天皇に伝わり、茶碗は叡覧にあずかり、「波天奈」との箱書きがなされ、さらに一首の歌が添えられました。これを大坂の鴻池善右衛門が聞き、茶碗を質物として千両で預かりました。実質は千両での転売です。
 茶金は、この話をなんとかして油売りに伝えたいと思いましたが、油売りは借金を返せないので茶金の店を遠回りしていましたが、丁稚に見つかってしまいました。恥ずかしがる油売りに茶金は、あの茶碗が千両になり、半金渡すと告げます。油売りは喜んで帰り、茶金は残りの半金を施しに使いました。
 これで片付いたと思ったのですが、数日後、油売りが大勢の人を雇って何かを持ち込んで来ました。何かと思った茶金に油売りは、「十万八千両の大儲け、水がめの洩るのを見つけてきた」。
 昼下がり、最後の水がめはどうなったか判りませんが、髪油を売り歩く油売りの幸運二題です。

   夕立 その1        (雷夕立、雷の子、雷の弁当、夕立屋、宮戸川
 暑い日の夕立は、雨具なしで外出した時は困りますが、家の中なら涼しくなって気持ちの良いものです。夕立に付きものの雷の咄から始めます。
 お日様とお月様と雷様が旅をしました。宿屋に泊まって翌朝、「もし、お目覚めでございましょうか」「うん、よく寝た。連れはどうした」「お日様とお月様はもうおたちになりました」「ああ、もうたったか。月日のたつのは早いものだ」。「雷様は」「わしは夕立にしよう」。
 雷様が雲の上で働いていると、子供がついてきます。ゴロゴロゴロ、ゴヨゴヨゴヨとやっているうちに、子雷が足を滑らせて雲の隙間から落ちてしまい、下で寝ている虎の所ヘドシーン。虎は怒って「ウォー」、「お父ちゃん、ふんどしがいじめるよー」。
 雷様が大暴れしました。その後に重箱のような物が落ちています。これは何だと開けてみると、上の段には臍の佃煮がぎっしり、さては雷様の弁当、下の段は何かと開けようとすると、天から声があって、「臍の下は見てはいかん」。
 今度は夕立の咄にします。
 暑い日、涼しくなることはないかと思っていると、外を「夕立屋でござい」と流して歩く者がいました。呼び入れて、「ちょっとここへ降らしておくれ」「へい、よろしゅうございます」と姿を消すと、ほど良く降り、夕立屋が戻ってきました。「ありがとう、どんな夕立でもできるのかい」「へえ、わっちは正体が竜で、どこへでも降らせることができます」「それは涼しくなっていいね。冬は暖めてもらえないのかい」「冬はわっちでなくて、子供の子竜(炬燵)がいたします」。
 さて、日本橋小網町に住む半七、将棋が好きで、もう一番もう一番と将棋を指して、とうとう帰りが夜更けになってしまいました。博打だ、酒だ、女だという問題のあることではないのですが、碁将棋に凝ると親の死に目に会えないと、碁も将棋も道楽の一つと見なされていた時代ですから、親は戸を閉めて入れようとしません。向かいの家のお花は、こちらは歌留多好きで、これまた遊びに夢中になり、閉め出されていました。二人でまるで掛け合いのように、それぞれの家に懇願しますが、戸は開きません。半七は、やむなく霊岸島の叔父さんの家を頼ると言って向かいます。お花は叔母さんが熊本にいますが、今夜の間に合いませんから、嫌がる半七を追って霊岸島へと付いて行きます。
 叔父さんの家に着いた半七、お花を振り切ろうとしましたが、早呑み込みの叔父さんに二人はもう「出来て」しまっていると思われ、二人とも叔父さんの家の二階の夜具が一組しかない部屋へと入れられます。身を固くする半七、夜具の真ん中に帯を置き、二人で夜具に入りました。そのうち、遠くで鳴っていた雷がだんだん近づいて、近くにピシッ、思わず「怖い」と半七にしがみつくお花、裾が乱れて白い脛がすーっ、というところで、「ここから先は本が破れて判らない」ということになりました。ここまでがこの咄の上(前編)で、上と言わずに咄をここで終わらせる形があります。ここから先は、咄が長くなるのと、力量が必要なのでなかなか聞けないのです。
 せっかくですから下を書いておきましょう。この二人の場を、「古い小本(黄表紙)の裏表紙をへがしますと見返しに、『くぐもる恋は顔に袖、濡れて嬉しき夕立や、いかなる神の結び合ふ、帯地の繻子のつゆ解けて、二人はそこに稲妻(いねづま)の、光にぱっと赤らむ顔、鼎にあらぬ兼好の、筆も及ばぬ恋の情』とあります」という言葉を入れ、二人が叔父さんの取りなしで夫婦になってからの咄になります。咄は、お花が小僧を連れて浅草に出掛け、雨が降ってきたので小僧に傘を取りに行かせたところ、行方不明になります。半七は犯人を捜しますが、真相が解らないままでした。時が経ち、浅草観音にお参りに行った帰りに雨に遭った半七は、船に乗り、船頭に一杯飲ませると、船頭は酔った紛れに、以前の夕立の時に女(お花)をさらって殺して宮戸川(隅田川)へ捨てたと話します。半七は、「それで様子がからりと知れた」と船頭相手に立ち回り、そこへ小僧の「旦那さん、お神さんが雨に降られたので、傘を持ってきてくださいって」という声がかかり、半七は目を覚まします。目が覚めてみればお花は無事で、全部半七の夢でした。「ああ、夢は小僧の使い(五臓の疲れ)だ」。
 後半は、すべて幸せな半七の夢で、船頭とのやり取りが芝居がかりになりますので、なかなかやり手がありません。
 先程の「古い小本の…」という繋ぎの部分ですが、「四万六千日」の項(夏の部4)の文末に触れた「お初徳兵衛浮名の桟橋」という人情咄で、「船徳」の中の笑いを誘う素人船頭とは違って、立派な船頭になった徳兵衛と、小さい時から徳兵衛に憧れていた芸者お初が結ばれる時も同じ夕立の場面になって使われています。「お初徳兵衛」と「宮戸川」のどちらが先かの詮索は、同じ隅田川のこと、水に流しましょう。

   夕立 その2                (湯屋番、大名房五郎、道灌)
 「夕立の降る中さんざ通ってきたが ただの一度も濡れやせぬ」という空しい都々逸がありますが、やはり夕立は色っぽい方が良いです。もう一つ、空想の中の夕立です。道楽者の若旦那、家から追い出され、今やじゅっかいの身になっています。「じゅっかい」とは、出入りの職人の家の「二階」に「厄介(八階)」になっているからです。お神さんから嫌味な扱いを受けても知恵を働かせてなんとか乗り越えて生きています。本人の弁によると、「おまんまを食わせてくれない。食べようとするとお前の神さんがお櫃を脇に引き寄せていて、まず杓文字でぺたぺたぺたと叩いて、一番上をさっと削ぐ、それを茶碗の縁へ持って行って、さっとこく。つまり、削ぎ飯のこき飯だ。お茶漬けにしようとお茶を掛けると下がないから墜落する。宇都宮の釣り天井飯、三代将軍御難の飯だ。お茶漬けさらさらといきたいが、お茶漬けさで終わっちまう。お替わりを、ってえと、また削ぎ飯のこき飯で、三杯目となると、若旦那お茶ですか、それとも黒文字ですか、っておまんまから縁が切れちゃう」という扱いです。「こないだ、あんまりお腹が減ったんで、町内の常磐津の師匠の所へ行って、『魚の骨が喉に立ったんで、象牙の撥があったらお貸し願いたい』と言ったんだ。お前のとこで魚なんか食べさしてくれないけど、師匠の所に今象牙の撥が無いのを知ってるから、そう言ったら、『撥が損じてますんで、撥でなでるより、御飯の塊を飲むといいってえますから、台所に御飯があるんでお飲みなさい』って言ってくれたんで、台所へ行ってお結びを造って食べたんだ。そのおいしさ」として生き延びています。 そこで、何か働きなさいと、隣町の湯屋を勧めると、二つ返事で出掛けることを承諾しました。さて湯屋に着くと、番頭と言えば聞こえは良いのですが、実態は外回りの木っ端集め、釜焚き、煙突掃除という雑用ですが、住み込みとなりました。ちょうど主が昼飯を食べに行くことになったので、一時番台を任されました。
 ここで若旦那は番台で想像の世界に入って行きます。色っぽい年増が来て、若旦那に岡惚れし、休みの日にその女の家の前を通って中に招き入れられ、膳が出て、杯の遣り取り、ここでちょいと雨が降って雷様にお出ましを願おう、遠くでごろごろ言ってたのが近くなり、その内にピシリと落ちる、女はうーんと気を失う、しかたがないので杯洗の水を含んで飲ませると気がつき、「今の水のうまかったこと」「今の水がうまいとは」「雷様は怖けれど、私にとっては結ぶの神」「それなら今のは空癪か」「うれしゅうござんす番頭さん」と仕形咄になり、客がみんな見ています。夕立は、こんな若旦那の嬉しい夢想に付き合わされました。
 江戸の町が困窮していた頃、あちこちに施しをする大工の房五郎、その度量の広さから、大名房五郎と呼ばれていました。因業な金持ちの隠居から茶室を頼まれますが、時節柄贅沢な造りはひかえてはいかがかという提案をしましたが、断られました。
 それとは別に、この隠居は大の骨董好きなところから、房五郎は秘蔵の応挙の軸を見せます。やがて夕立が降ってきて、隠居が手洗いに立って帰って来ると、応挙の軸の傘を持っていた人が傘を差しています。これは大した宝だ、これで大儲けできると、隠居はその軸を抱えて家へ一目散に帰ります。房五郎の元からは返してくれとの使い、隠居は売ってくれの一点張り、とうと百両で譲ることになりました。
 後日、雨の降る日、隠居は骨董好きの人々を集めてこの軸を披露しました。雨がだんだん止んできます。止めば傘をつぼめ、皆が驚いて評判が立ち、百両が千両、万両になると隠居は待っています。外は雨が止みました。画中の人は傘をつぼめません。とうとうかんかん照りになりましたが、そのままで、隠居は目を回してしまいました。そこへ入ってきたのが房五郎、あまりに隠居が因業なので、似たような軸を造らせたと種明かしをして、代価の百両は二人の名で江戸の人々に施した、応挙の軸は差し上げると言って去りました。房五郎の名はますます高くなりました。これは宇野信夫作の咄です。
 夏の夕立とは限らないのですが、急にまとまって降る村雨という言葉があります。この村雨と夏が結びついたと現代人が感じるのは、陽明学者として名高い熊沢蕃山が、「露の乾ぬ間の朝顔を 照らす日影のつれなきに あはれ一村雨の はらはらと降れかし」という今様です。この今様は、『生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)』という浄瑠璃で、宮城阿曽次郎(後に駒沢次郎左衛門)と深雪(後に朝顔)との恋物語の主題をなしているので、広く知られています。ただし、俳句の世界では、朝顔は秋の季語なのですが、現代の感覚で季節分けしています。
 俄の村雨の話では、八五郎が大家の家で、武士が立っていてそこに少女が盆の上に黄色い物を載せているという絵を見ました。この絵は何かと聞く八五郎に、大家が、「これは、太田道灌公が狩に出て、俄の村雨に遭い、近くのあばら家で雨具を借りようとすると、十六、七の娘が盆の上に山吹の花を載せて『お恥ずかしゅう存じます』と言って出て来た。この意味が解らなかった道灌公に家来が、『これは兼明親王の、「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞかなしき」という歌の意味で、「実の」と「蓑」を掛けたものでございましょう』と話すと、『ああ、余は歌道に暗いのう』とおっしゃって、日本一の歌人になったという絵だ」と解いてくれました。これは良いことを聞いた、雨具を借りに来て返さない奴がいるから、この歌を見せて断ってやろうと、かなで歌を書いてもらって帰りました。
 家に着いたとたんに村雨で、男の道灌、女の道灌、子供の道灌、犬の道灌までいます。そのうち友達が飛び込んできて、提灯を貸してくれと言います。せっかく聞いた話が無駄になると、八五郎は、傘と言ったら提灯を貸してやると言い張ります。友達は仕方なしに「傘を貸してくれ」と言うと、八五郎は先程の紙を出します。読めば、「ななべやべはなはさけどもやまぶしのみのひとつだになべとかましき」となり、ちっとも解りません。「これが解らないとは、お前もよっぽど歌道に暗いな」「角(かど)が暗いから提灯借りに来たんだ」。
 むらさめという言葉は、旅の咄の中に銘酒の名として出て来ます。「この村には良い酒があるで、『じきさめ』に『にわさめ』に『むらさめ』じゃ」「へえ、じきさめは」「飲むとじきに醒めるから『じきさめ』じゃ」「にわさめは」「酔っていても庭に下りると醒めるから『にわさめ』じゃ」「むらさめは」「どんなに酔っていても、村を出ると醒めるから『むらさめ』じゃ」。
 話がずれましたので、この辺で、お時間でございます。