落語のひととせ 22 夏の部5

   船遊び その1                       (汲み立て)
 江戸は八百八町、大坂は八百八橋と言われ、江戸は陸地だらけのように思われますが、水路が発達して、船は交通手段にも、物資の運搬手段にも使われて、現代の自働車と同じ役割を果たしていました。
 交通手段として、一番速く目的地に行けるのは猪牙船(ちょきぶね)で、その名の通り猪の牙の形で、安定感がありません。乗り慣れないとかなり船酔いをしたようで、「江戸っ子の生まれ損ない猪牙に酔い」という川柳があるほどです。船から小用を足す剛の者もいるほどですが、そこまで至るのは、「船で小便千両」と言われるくらい散財を重ねた結果と言われます。江戸っ子になるのも大変で、三代続くこと、水道の水で産湯を使ったこと、という条件が挙げられていますが、そこまで厳密でなくても、咄の中には江戸っ子を自称する者が多くいました。朝湯に行けば、熱いのに「こんな日向水みたいな湯に入れるか、おい、ぬるい湯をかきまわすな」と真っ赤に茹で上がったり、蕎麦を食べるのは、蕎麦の先にちょこっとつゆを付けてさっとたぐり込み、死ぬ前に何か言い残すことはないかと聞かれて、「一度蕎麦につゆをたっぷり付けて食べたかった」と言ったりします。「江戸っ子の生まれ損ない銭を貯め」と言われるのを嫌って、江戸っ子は宵越しの銭は持たねぇと粋がって、「銭が残った、寄席でも行って、咄家にぶつけてこよう」と出掛けもします。ただし、ぶつけられた咄家は一人もいなかったようです。
 江戸っ子で脇道に入ってしまいました。交通手段でもありますが、遊びに使われたのが屋根船、それより大きいのを屋形船と言います。この屋根の付いた船は乗り方にこつがあるもので、乗るときには頭から入ってはいけないのです。屋根の縁に当たって簪を水中に落とすことがあるからで、芸者衆は、裾前を膝に挟んで、お尻の方から入る稽古をしたもので、屋根船と矢立の筆は尻から入るという言葉があります。
 まずは大きな屋形船の咄からです。、町内で音曲を教える稽古屋がありました。女師匠で、ちょいと色っぽいとくれば、町内の若い者が放っておきません。転んだら食ってやろうと狙って、「狼連」と呼ばれるような弟子が寄ってきます。特に夏は暑くて夜なべ仕事ができないので稽古屋に通い、冬には引っ込む蚊に似ている「蚊弟子」が増えてきます。中には万一の僥倖を狙って冬まで居残る「藪蚊」もいます。この師匠が、弟子の一人と親しくなって、他の弟子には内緒で二人きり、船で夕涼みをすることになりました。壁に耳ありで、この師匠の家に同居していた与太郎が、この計画の一部始終を聞いていました。与太郎が外出をしたところ、最近の師匠の様子や、弟子について何か話題にしていないか聞こうと他の弟子が与太郎を呼び止めたところ、与太郎は少々愚かしいところから、問われるままに「町内の有象無象に聞かれるとうるさいから」という内緒話まで全部喋ってしまいました。これを聞いて有象無象連中は黙ってはいられません。みんなに一言の断りも無くそんな仲になるとは許せないと、真っ赤になってを通り越して、真っ黒になって煙を出して怒りました。それならその船遊びを邪魔してやろうではないかと計画を立てます。一方的とは言え、恋の恨みは恐ろしいものです。
 さて、船遊び当日、師匠と色男と与太郎の三人が乗った船が大川に出ると、有象無象の船が後を追います。師匠と色男がいい雰囲気になりかかると、有象無象連中は船を寄せて、雰囲気ぶちこわしの馬鹿囃子を始めます。付いたり離れたり、「いい加減にしろ」と口喧嘩が始まり、罵り合います。「糞を食らえ」「おう、食らうから持って来い」とやり合うところへ、肥汲み船が間に入って来て、「どうだね、汲み立てだが、一杯あがるかね」。
 ちょうど、葛西あたりから肥と交換の野菜を積んで汲みに来た船が、汲み終わって大川を通って帰るところです。囃子の馬鹿囃子も正式には葛西囃子と言います。葛西が当時の江戸の郊外であったころの咄です。