落語のひととせ 9 春の部8

   雛祭り                          (道具屋、雛鍔
 三月三日は五節句の一つで、桃の節句、雛祭りです。お雛様は芭蕉の『おくの細道』に「草の戸も住みかはる代ぞ雛の家」とあり、家の中にお雛様が飾られた姿が思われます。また、あちこちの町や、美術館・博物館で、それぞれの伝来のお雛様を飾ることが行われていますが、咄の中には、そのようなお雛様を飾った風情は見当たりません。
 飾ると言えば、お雛様の左右どちらに男雛を飾るのかが時々話題になります。明治以前は、向かって右が男雛で、由緒ある美術館や旧家ではこの飾り方を踏襲しています。なぜそうなるのかというと、日本では左が位が高いとされているからです。左大臣が右大臣より位が高く、和服の前の合わせ方を見れば左袖側が上になっています。西欧では左右逆で、明治になって、近代化を目指す政府や皇室がそれに倣うようになり、やがて御真影が日本国中に行き渡ると、世間一般も男雛が向かって左側に位置するように飾るようになりました。と偉そうに書きましたが、江戸琳派の代表格の酒井抱一の「立雛図」で、男雛が左に描かれている作品があります。この左右どちらが上かという考え方はまことにめんどうで、公式な場での席次でも問題になり、また、「右に出る者がない」とか、「左遷」という言葉を考えると訳がわからなくなりますから、この辺にいたします。
 さて、ぶらぶらと日を送っている与太郎に叔父さんが、叔父さんの商売をやれと命じます。「叔父さんの商売は頭に『ど』が付くだろう」「よく知ってるな」「どろぼう!」「何を言ってるんだ、道具屋だ」ということで、与太郎は露天の道具屋をやることになりました。叔父さんからあてがわれた商品は、いわゆる「ゴミ」で、表紙しかない『唐詩選』や火事場で拾った焼きのいいのこぎり、足が二本しかなくて裏の塀ごと買わなくてはいけない燭台などが出てきます。そんな店だからこそ掘り出し物はないかと見に来る客がいます。毛抜きを手に与太郎と話をして、髭をすっかり抜いていなくなるという、符牒で「小便をする」ひやかし客がいました。そこで、股引を見に来た客には与太郎があらかじめ「小便はできませんよ」と釘を刺したところから、「小便できない股引なんかいらねえ」と怒って帰られてしまいます。そこへ、短刀を見に来た客が、中身はどうなのかと抜こうとしたが抜けません。「ちょっと力を貸せ」「へえ」と両方から引っ張って抜こうとします。「抜けないな」「抜けません」「どうしてだ」「木刀ですから」「馬鹿野郎、どうして木刀を抜こうとしたんだ」「抜けば何が出てくるかと思って」「他になにか抜ける物はないか」「お雛様の首が抜けます」とお雛様が出てきます。売り物の話なので、三月の雛の月のことではないのが残念です。ここでは一対揃っていないようです。
 これも三月のことではない話で恐縮です。植木屋の熊さんが、仕事先のお屋敷から肩を落として帰ってきました。おかみさんが訳を聞くと、お屋敷の若様の振る舞いを見てがっかりしたというのです。その若様は熊さんの子と同い年の八歳で、お屋敷の庭を遊び歩いていて銭を拾い、「かような物を拾った、これは何であろう」と若様付きの家来に尋ね、「これは丸くて四角い穴が開き、波の模様が彫ってある、お雛様の刀の鍔であろう」と言い、若様はその銭をぽーんと放ってまた遊びにいってしまったというのです。熊さんはうちの子はすぐ小遣いをほしがるだけだとがっかりしています。
 そんな時に、出入り先の大店のご隠居が打ち合わせにやってきます。すると、子供が「こんなもの拾った、こんなもの拾った」と言って帰ってきます。「丸くて四角い穴が開いてる、これ何だろう、あたいの考えでは、お雛様の刀の鍔かなあ」、これを聞いたご隠居が「驚いた、お前さんの所では銭を知らないのかい、お小遣いを上げても仕方ないから、今度ご褒美にお手習い道具一式あげよう」と褒めます。熊さんが「早く捨てちまいな」「いやだい、これで焼き芋買うんだい」。お雛様が鍔を通してかすかに登場いたしました。
 似たような銭を知らない話があります。銭は穴に緡(さし)というものを通して まとめていました。これは長くなると、妙な形に見えます。吉原のある大店で、緡に通した銭が落ちていました。これを見た花魁が、「あれ、あそこにこわい虫がいる」と若い衆を呼んで片付けてもらいました。銭の片付け先は若い衆の懐の中ということはもちろんです。この事件から、「あの花魁は銭を知らない」と大評判になり、花魁は一躍売れっ子になりました。その話を聞きつけた小さな店の花魁が、自分も評判になろうと、わざと銭を落としておいて、「ちょっと芳どん、あそこに怖い虫がいるよ」「虫なんかいませんよ」「いるんだよ、あそこに緡に通して三百五十」と金額を言ってしまったという失敗談です。
 ちょっと寄り道です。二つの話で「大店」という語を使いました。前のご隠居の店は、「おおだな」と読んで、おおきな商店を指します。後の吉原の話は「おおみせ」で、大籬(おおまがき)とも言い、吉原で格式の高い店を言います。「おおみせ」は商店のことも言いますが、吉原と聞き間違えるといけないので、あえて使い分けています。同様に使い分けられている「大」の字を使う言葉に、「大門」があります。「芝で生まれて神田で育ち、今じゃめ組の纏持ち」という言葉で有名な芝にある神明様の大門は「だいもん」で、都営地下鉄の駅名になっていますが、初めて東京を訪れた方は口に出すとき要注意でしょう。初午の項で出てきた明烏の時次郎がお稲荷様の鳥居と間違えた吉原の大門は「おおもん」と言って、使い分けています。