落語のひととせ 4 春の部3

   七草                              (七草)
 松の内という言葉は十五日まで、現代では一応七日までということでしょう。正月七日は七草です。五節句の一つの人日(じんじつ)の宮中行事にならって、民間でも行われるようになりました。少し寄り道ですが、五節句とは、人日のほか、ひな祭りの三月三日(上巳・じょうし)、子供の日の五月五日(端午)、七月七日の七夕、菊の節句の九月九日(重陽)です。
 古くは、野辺に出て若菜を引いて、これを熱い吸物にして食べました。小倉百人一首の中にも「君がため春の野に出でて若菜つむ我が衣手に雪は降りつつ」という光孝天皇の歌があります。これが後に民間での七草粥になります。本来は若草の精気を身に取り入れるという行事でしたが、現代では、正月の飲食で疲れた胃を休めてやるためだと解釈されています。また、似たような宮中の正月行事があり、これは、子(ね)の日に野に出て小松を引き、この日にも若草を食べるというものでした。子の日が根延びにつながるとして、生命力を強める行事でありました。
 さて、春の七草は、芹(セリ)、薺(ナズナ)、御形(ゴギョウ)、繁縷(ハコベ)、仏の座(ホトケノザ)、菘(スズナ)、清白(スズシロ)の七つで、普段食べるのは芹、菘(青菜または蕪)、清白(大根)です。覚えるときは、「セリナズナゴギョウハコベラ、オトケノザ、スズナスズシロ春の七草」と唱えます。
 七草の二番目、薺は、実の形が三角形で三味線の撥に似ているところから三味線の音色を連想してペンペン草と呼ばれました。貧しい家の屋根に生えていることが多いところから、「ペンペン草が生える」というと貧乏になる代名詞で、「ペンペン草を生やしてやる」というと、相手の商売を左前にするという呪いの言葉になっていました。薺には、そのような無粋な呼び方とは別に、三味線草というきれいな名もあります。芭蕉は薺を「よく見ればなずな花咲く垣根かな」と、蕪村は「妹(いも)が垣根三味線草(さみせんぐさ)の花咲きぬ」と美しく詠んでいます。
 七日には、この七草を粥に入れる前に、まな板に載せて、「七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、トントンパタリトンパタリ」と包丁などで叩きながら囃すと、周りの者が「オテテッテッテ」と鳥の形をしながら唱和するという風習がありました。
 吉原の七越(ななこし)という花魁は、客の膳の物をつまむ癖があり、客がちょうど外に出ている隙に、膳の上のホウボウをつまみました。ところが、骨が喉にひっかかってしまいました。七越は痛がりますが、どうしようもありません。そこで客が、七越の背中を叩きながら、「七越泣くな、ホウボウの骨が、ささらぬうちに、二本の箸で、トントンパタリトンパタリ」と歌うと、七越が鳥の形をして、「イテテッテッテ」、という短い咄があります。
 長屋の人々には、七草(ななくさ)よりも、七草(しちぐさ・質草)の方が身近だったようです。こんな咄があります。羽織を借りた男が返しに来て、誰もいないので置き手紙をして帰って行きました。貸した男が帰って来て、置き手紙を見て、怒鳴り込みました。「貸した羽織を質に置くとはどういうことだ」「あれ、俺は棚に置くって書いたよ」と言うので、置き手紙を見ると「借りた羽織を七に置くよ」、「これではしちじゃあねぇか」「俺はたなに置くって書いたんだ。その字は七夕の『たな』だろ」。七の字の読み違いです。
 なお、同じ七草でも、秋の七草は野を彩る草で、こちらは目で楽しみます。『万葉集』に、山上憶良の詠んだ「萩の花尾花葛花撫子の花 女郎花(おみなえし)また藤袴朝顔の花」という旋頭歌が収められていて、秋の七草が覚えられます。この朝顔は早朝に咲く花の意味で、桔梗の古名です。